遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「なに?」・「なんだって?」などと言っている。つまり聞き返しているということ。
「ゑ」をはめた事で分かる通り発音が「ye」と特異である。
「はあ?なにゑ。」だと威嚇気味に「ああ?なんだって?」といった風に訳すことになる。が、言葉の勢い程には喧嘩を売ってる訳ではない事が多い。
以前述べた「ゐゑ~」との違いは「ゐゑ~」が「なんだよ」という勢いで
「ゐゑ~なにやってるだあ」(もう何やってるんだよ)といった嫌になる勢いであり
「なにゑなにやってるだあ」(なんだあ?何やってんだ?)といったおいおいとツッコミ入れる勢いの違いである。
共通語だと「あ?」に近いのであろうか。
怒りでもすっとぼけでも平常心でも大抵の状況で使われる広い用途の言葉である。
近い表現で「なにやあ」があるがこれとの違いは
「なにやあ」が「なんだと?」といった詰問調に近い聞き返しであるのに対して
「なにゑ」はよく聞き取れなかったのでもう一度といった聞き返しという違いであろう。
例文
「おい。今日あんたどうするよを。」
(ねえ、今日あなたどうするの?)
「なにゑ。なにがあ。」
(はあ?なんの話し?)
「昼飯。出前とるだ?」
(お昼ごはん。出前取る?)
「外食い行くでいいわ。」
(外食するからいいよ。)
注、文中の「なにがあ」は「が」が鼻濁音の方である。
「衆」と「衆ら」。どちらも「多くの人」という意味である。特に遠州弁という訳ではなかろうが、頻度の高さに地方性があるのではなかろうか。
では「衆」と「衆ら」。どう違うのか。
ひとつ目は
「あの衆」だと「あの連中」
「あの衆ら」では「あの人たち」
つまり親近感の違いで「衆ら」のほうが親しみを抱いてる印象を与えるものであり
「衆」は親近感が薄い印象を与える。
もっとも「親しい」という表現を使っているが見た事あるとか顔見知りというのとそうでないのという些細な差異においても使い分けられるので親密度の浅い深いの差異ではない。
どちらかといえばなんらかの関連性がある集団と関係性のない集団という違いという区分という感じであろうか。
共通語でも「ぼくら」・「うちら」とかいう使い方の「ら」と同じであろうか。「ぼくたち」・「うちたち」というのと印象が違うというようなものであろう。
ふたつ目は
「あの衆」だと「あの人々」
「あの衆ら」だと「あの人々は」
という「ら」=「は」という使い方。
「あの衆らどこ行ったよを」(あの人達はどこに行ったんだ)
「あの衆どこ行っただよを」(あの人達どこに行ったんだ)
という風な違い。
あくまで解釈上の講釈であって厳密な使い分けがある訳ではない。下手な鉄砲数撃ちゃ当たるだろう的な思いつきの羅列である。にしてはふたつしか思い付かないのがちとせつない。
「おいぃ、急ぎの用あっただに、あんた全然電話出んじゃん。なんで出んよ。」
「なんで出んよ」となればとりあえずは怒りより理由を問い詰めている勢いが強い。
「なんで出んよを」となれば「なにやってんだてめえ」といった怒り心頭の勢いの方が勝っている。
正しくは「を」でなくて「う」だろうかな。あくまで音で書いているので「を」としているのだが「よう」が本来であろう。
古語辞典にある助動特殊型の「う」だと
①推量を表わす。・・・だろう。②意思を表す。・・・よう。③適当・当然を表わす。当然・・・するがよい。④命令・勧誘を表わす。・・・せよ。・・・したらどうだろう。
と説明のある中で①以外の意味使いのものであろうと考えられる。辞書においてもほぼ同じ意味のものが書かれてある。
したがってこれは発音が「よを」(または「よお」)であっても長音化ではなく「よ」+「う」という組み合わせのものではなかろうか。
例文
「おいぃ、急ぎん用あっただに、あんた全然電話出んじゃん。なんで出んよ。」
(あのさあ。急ぎの用件があって電話したのに全然出ないじゃないの。どうして出なかったんだ。)
「しょんないじゃん。風呂入ってだもんでえ。で、なによを用って。」
(仕方ないでしょお風呂に入ってたんだから。それで用件ってなに?)
「はあ遅いわあ。バーゲンであんた欲しかった品あったもんで買うけ?って聞かすと思っただん。はあ売り切れたで意味ない。」
「え~買っといてくれりゃあよかったじゃん。」
「はあ買ったかもしれんもんで聞こうとしたじゃん。」
「~してくれるとうれしいだけどやあ」。共通語に訳すと「~してもらえると有り難い(助かる)んだけれど」。ただし共通語よりも要請度合いは強めである。
下手(したて)というか伺い調であるが暗に遠まわしに頼んでるという表現。助けというよりも親切を期待してるという感じか。する・やる・みる等色々な行為に使われる。それを受けて
「おおいいよやっちゃるよ」といえば「いい人だあ」ということになり
「しょんねえなあや、やったるわ。」と返せば「わるいやあ」と言いつつも内心しめしめという事になる。
言い方はしてくれなくてもがっかりはしないけれどしてくれると有り難いといった下手に出てるが内心はほぼやって貰うつもりでいる(期待している)事が多い。言い方の割には結構これみよがしな頼み方ではある。言われた方はそれに気づかないわけではない。
結構きっぱりと「ん~無理」とか「いやいやあ。なんでそんなことしにゃかんよを」とかつっぱねられると角が立つ。断る際には「ごめんね」とか「悪いやあ」とかを添えるのが無難であろう。
じゃあなんで言う方(お伺いのつもり)と聞き手(ほぼ強要に聞こえる)の間にかくも感じ方のギャップがあるのに会話として成立しているのかというと
別に後ろめたいことを頼むからということではない。
立場としては上の者が露骨に頼むと面子とか意地に関わるような場合によく使われる言い回しである。親が子に頼む際とかによく使われる。
きっぱり断られると角が立つが一応相手に伺いを立てている(意思を尊重してる)という姿勢であるので直接表現で頼んで断られるよりかはショックは少ない。
似たような言い回しで「してくれんかねえ」というのがあるがこれとの違いは、「くれんかねえ」は依頼であり「嬉しいだけどやあ」はお仕着せではあるが希望を述べているということになる。
「してくれん?」となると当然してくれるんでしょという念押しという使い方と依頼よりも強要力の増した要請といった場合などが考えられる。
例文
「ああしんど。こんな重いの持ってると腰おやしそうだやあ。あんたちっと持ってくれるとうれしいだけどやあ。」
「悪いのっ。わし箸より重いもん持っちゃかんっつう親の遺言守らんとかんだもんで。」
「ばっかじゃないのあんた。はあいいわ。もうあんたなんかに二度と頼まん。」
「おおそうしてくれるとうれしいやあ。」
「どへた」・「どへたくそ」・「どっへえ」・「どへ」
「どべた」・「どべたくそ」・「どんべた」・「どんべえ」
どれも遠州弁において「凄く下手」と言っているのであるが、それぞれニュアンスは異なるものである。
ここではとりあえず「どへた」と「どべた」の違いを考えてみる。
とりあえずはイントネーションが異なる。
「どへた」は最後の「た」を、「どべた」は最初の「ど」を強く言う。
したがって「どべた」には「とても・大層」という事に重きがいってる風に聞こえる。
次に「あいつどへただにい」と「あいつどべただにい」という文章だと
「あいつどへただにい」(あいつはホントへたくそなんだよ)
え~知らないの?という情報提供っぽいニュアンスになる。
「あいつどべただにい」(あいつ本当にへたくそなんだぞ)
悪いこと言わないからやめときなといった忠告という趣で使われる事が多い。
まあ相当誇張した訳ではあるがニュアンス的にはこういう違いがあろうかと。
したがって
「え~あいつどへただらあ。いいだけ?任いてえ。」
(え~あいつ凄いへたくそだろう。いいのかい?任してなんか。)
「え~あいつどべただらあ。いいだけ?任いてえ。」
(え~あいつのへたくそは相当だぞ。任したらどうなるか分からんぞ。)
このように「どへた」だと任すのに賛成できかねるという勢いになり「どべた」だと結果が散々になるよといった勢いの違いが生じてくる。
まあ個人的な感覚だろうと言われても弾き返せる根拠はないのであるがこういう勢いの違いはなにがしかあろうて。でないと「へ」と「べ」が共に存在している筈は無く全く同じ意味合いであるのならどっちかに統一されてしかるべきであろうから。