遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「みば」。「見栄え」・「みてくれ」という意味である。
「みばえ」が「みばあ」になって「みば」に行き着いたと想像するところでありこの屁理屈からすれば「みば」も「みばあ」も同じものといえそうである。
従って「みば~」と長音とするのではなく「みばあ」とするのが自然と映る、
訳す際に
「ちったあみばあよくしんと嫌われるにい。」
「少しは見栄えをよくしないと嫌われちゃうよ。」とする訳だと「みばあ」の「あ」は「見栄えを」の「を」が変じた「みば」+「あ」としたものという解釈になる。
「見栄えよくしないと」という訳であれば「みばあ」という解釈になる。
実際にはどっちがなんてどうでもいい話しであるが。
ちなみに「みば」と「みばあ」の違いとかはあるかというと使い分けしてる記憶はないので多分違いとかはない風に思える。いづれを使うかは人の好き好きもしくは地域性によるものであろうか。
「ならば見栄えを良くして好印象持たれるようにしないと」という文章を遠州弁にする際
「なら みば よく して みこ よく なる よう しんと」
「だったら みばあ よくして みこん よくう せんと かんら」
とかいった2の連呼で行くか3の連呼で行くかの感性の違いともいえそうだ。
例文 普段散らかしっぱなしの奴と、そんな奴が珍しく部屋を片付けているのを見て驚いてる奴との会話。
「あれえ、なにやってるよう珍しいこんしてるじゃん。どうしたでぇ。」
(おやあ?なにしてるのかな?珍しいことしてるじゃん。どうしたの?)
「おお。人ん来るんでちいっとみばよくしとかんとな。」
(うん、お客さんが来るから、少し見映えよくしとこうと思ってね。)
「ホント珍しいこんもあるもんでえの。ほんで誰ん来るよぉ。おせえて。」
(そりゃあ珍しい事もあるもんだね。それで誰がくるの?教えてよ。)
「まあ、それはいいとこまんじゅうっつうこんで。」
(それはまあ内緒ということで。)
「なんだよそれ。彼女のはざあないだで、借金取りかなんかけえ。」
「失礼こいちゃかんて。」
「ええ歳こいた大人にええとこまんううっつう方がよっぽど失礼だわ。」
例文音声はこちら
「みば」、(見映え)の(え)抜きの言葉。
遠州弁ははしょりの言葉が多く、はしょらなければ共通語になるので、自分が方言しゃべっているという自覚が薄い理由のひとつでもある。
例「ほれみっせえ」
「ほれみっせえ」で「そらみたことか」とか「いわんこっちゃない」とかいう意味で使われる。これは特殊な使い方であろうか。
普通は「やってみっせえ」とかで「やってみなよ」や「やってごらんな」などと訳せる。
つまり「みっせえ」を訳すと「~してみなよ」とかになるのであろうか。
「みせてみろ」という意味使いはしない。「みてみろ」というニュアンスの方が近いであろうか。
「ほれみっせえ」に限っては年齢問わずの言い回しで頻度も高く発せられても特にどうということもないが、「見てみっせえ」とか「やってみっせえ」とかは高齢者が子供とかに言う分にはとんじゃかない(どうってこともない)がタメ同士とか横並びの関係に於いて発せられると上から目線っぽく感じられてなんか嫌という気になる事が多い。
これはあくまで勘繰りだが「みっせえ」は「みせよ」の変だからそう感じられるのかも。(「みせな」ではなさそうだ)
ま、でも江戸風の「みなせえ」の変が「みっせえ」と考える方が無難なところであろうかな。でもこれだと訳は「みなさい」になろうから「みっせえ」のニュアンスとはちょっと離れる気がするのが難点ではあるけど。
それか時代劇に出てくるような「くるしゅうない面(おもて)をみせえ」とかの「みせえ」が変じたという方がニュアンス的には近いな。
別な言い回しの「見てみい」とか「やってみい」の方が柔らかい言い回しと映る。「みい」は「みよ」の変だとすれば、「「みよ」と「みせよ」どっちが高圧的であるかというのと同じなのだろうか。
変形で「みっしい」とかいう言い方をする人もごく少数だろうがいそうである。「みっせえ」と「みっしい」との使い分けとかは使い手に訊かないとよく分からない。
ただ「みっしい」の場合は「みせてみろ」という使い方もされたりする。
例文
「そこまでゆうならやってみっせえ。」
「おおやっちゃるわあ。」
で、結果上手くいかない。
「ほれみっせえ。出来んじゃんか。」
例文音声はこちら