遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「見れえへん」は何らかの障害があって見ることが出来ないといった理由の存在を強く言いたい時。
「見れやへん」は理由はともかく見れないということを強く言いたい時。
テレビ番組が見れない時。
田舎では放映されなくて見れない時は「映らんくて見れえへん」と言えば映らないということに重きが行くことに聞こえる。
「映らんくて見れやへん」と言うと見れないことが焦点に聞こえる。
どちらが残念に思っているかというと「見れやへん」の方が残念そうで「見れえへん」だと無念そうに感じる。
会話で「見れえへん」単体は成立しづらく「何が?」とか「何で?」とか聞かれ易く、「見れやへん」だと「まあまあ」とか「あっそう」みたいな単体で成立する表現ということもありうる。
「へん」の代わりに「せん」や「しん」という言い方もあるが「見れえしん」という表現はない。例文ではより遠州弁チックにするため「見れえへん」を「めえれん」に「見れやへん」を「めえやせん」と表現している。
例文
「○○のコンサートめえ行っただって?」
(○○のコンサート観に行ったんだって?)
「行ったにゃ行っただけえが総立ちっつう奴?あれされて全然めえやせんくてなんしょ音だけ聴きいったようなもんだった。」
(行ったには行ったんだけど総立ちって言うの?あれをされて全然見えなくて、もう音だけ聴きに行ったようなものだったよ。)
「そんなもんだらあ。今時めえれんのが当たり前じゃないの?よを知らんけど。」
(そんなもんじゃないの?今時見れないのが当たり前じゃないの?よくは知らないけどね。)