遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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静岡県の西部地域を指して遠州と一般的に呼ばれる。
そもそも昔は国名で言うと「遠江」(とおとうみ)の国である。遠州という国名はない。他の地域が大体は国名で呼ばれる事が多いのに、遠江というよりも遠州と呼ばれるほうが地元民も含めて多いのは何故か。実はよく知らない。知ってる人がいたら教えていただきたい。ひとつ確かな事は遠江を普段使う人はいないということである。
遠江と呼ばれるようになったのは浜名湖を遠淡海と表記されたものが変形したものらしいが、遠州と呼ばれる理由はこれまた知らん。中田島砂丘を遠州浜の海岸と呼ぶ事もあるので砂丘がらみでの理由かもしれないがあくまで予測推測憶測の域。
今は浜松が栄えているが古くは磐田に国府があって磐田がこの地域の中心であったらしい。ま、家康さんのご活躍によるものであろう浜松が栄えたのは。
隣接するのは参河(今の三河)と「駿河」(静岡)・飯田を中心とした南信地方(長野県)
昔は長野とも今よりもっと交流が深かったらしいが秋葉街道という道路が青崩峠あたりで寸断され塩の道が閉ざされたままの状態になっていていて、以前ほどは人の行き来は盛んではないらしい。汽車で飯田線が繋がっているが、浜松では佐久間・水窪地区が通過駅で基本三河と飯田との連絡線であろう。言葉についてはあまり交流がある訳ではないので似てるのか異なるのかは不明だら。
水窪(みさくぼ)の衆らは長野側の遠山郷の衆らと毎年綱引きやって県境界線のぶん捕り合戦をしているくらい仲がいいだか悪いだか。(もちろんイベントであって本気で地所取りしてる訳ではない)ただ水窪が浜松市になってから綱引きがまだ継続して行われてるかは不明。
基本三河と遠州はタメ口同士の関係と表現しても違和感がない感覚がある。言葉が近いせいでもあろうかと。それに三河はトヨタで遠州はヤマハ・スズキの城下町という共通性も見受けられる。主君が違うから仲がいいと言うわけではなく、立場が似てるねということである。
駿河との境は大井川を境とされているが、昔と今では川の流れが異なるのである意味厳密ではない可能性があるとかどこぞで読んだ記憶がある。
三河(豊橋とか)や駿河から遠州に仕事などで通勤してる人は大変ではあるが結構おられるが、長野から通ってる人はほとんどいないのではないか。そういう人的交流のエリアである。
早口言葉である。八百屋の方ではなく親の方を使用した。
共通語だと「おアヤや親にお謝り」(おアヤよ、いいですか。親にお謝りなさい)
この意味の方を遠州弁にすると「アヤちゃあやあ。あれでえ親に頭下げんとかんらあ」となる。
ちなみに早口言葉のほうを遠州弁的表現にすると
「あや?や、やあ。親にい、大誤り」
意味は「あれ?おいちょっとお。親に言って、すげえ間違ってるって。」
意味的に凄い強引で苦しいのだが
「あや?や、やあ。親だにい大誤り」とすれば
「あれ?おいちょっとお。親の癖してすげえ間違ってるぞ。」
となるので意味はスムーズになる。したがって
「あやややあおやだにいおおあやまり」
にすると遠州弁の早口言葉として成立する。ただし実際言ってみるとあまり早口言葉として成立してない机上の空論ではあった。発音は説明しようがないので近くの遠州人に聞いてくりょう。(結構発音はむつかしいかも)
蛇足だが「大誤り」は遠州弁だと普通「馬鹿違う」と言っている。
「そうズラ」で御馴染みの「ズラ」。遠州弁ではもう絶滅種の表現ではあるが、以前使われていたことは確かであり、一応残しといたほうがいいのかなということで。
ふんで、問題は「ずら」なのか「づら」なのか。言う分にはそんなのどうでもいいことだが、書き残すとなると選択に悩むものである。共通語においても鬘(かつら)の事を略してズラと呼ぶように「づ」と「ず」の境界線なんぞ曖昧模糊で構わないのだろうけれども。
それでも現在遠州弁では、「だら」が主流であることを考えれば、同じタ行で変化してきているのではという考えもある訳で。そういう考えでいくとここは「づら」で押した方が自然かなと思えなくもなし。じゃによって私のブログにおいては出て来る事はほとんどないだろうけども「づら」でいこうかなと思う次第で。
遠州での「づら」が山梨とか静岡県東部の現役「ずら」と同じものだったのかは、多分一緒だったんだろうけども確かな事は分からない。
ちなみにあるところでは古語の「うずらむ」の変化したものと説明がなされており、正しくは「ずら」なのであろうか。推量の助動詞「うず」+推量の助動詞「らむ」の合体形であるとのことだが、それでも私は「づら」でいきたい。解釈としては完了の助動詞「つ」+推量の助動詞「らむ」の合体形という解釈の方を取りたい。何故なら「づら」は推量としての使い方に限らないからである。例えば
「これ便利だで買ってくづら」(これは便利だから買っていこう)
といった風に。必ずしも推量の(買っていくんだろ?)ということになる訳ではないのだから。
推量+推量=主体の判断とかいう公式があるのなら「ずら」が正しいのであろうが。どうなんでしょうね。
ちなみに完了の助動詞「つ」は「石炭をば早や積みはてつ」の「つ」であろうか。この根拠でもって「づら」だと言っているのでありこれを遠州弁に変換すると「石炭はあ積み終わったづら」となる次第で。
聞いた聞いてないの押し問答編
「なんであんた持って来てないよお。」
「知いらんやあ。聞いちゃいんにい。」
「ちゃんと言われてたじゃん。憶えちゃいんだか?」
「いつう。」
「先週の木曜にい。帰りがけに班長言ってたら?」
「憶えちゃいんやあ。」
「もー、憶わさらん方ん悪いだで自分でなんとかしなよお。うちら知らんでねえ。持っちゃいんなら置いてくにい。」
「そういわすとお。なんとかせるで勘弁してやあ。」
「どうにい。」
「そんなちんぷりかあらんだってええじゃんかあ。行ってどおにかせるでえ。」
「ちんぷりかあってなんていもしんにい。人聞き悪いやあ。」
「ま、なんしょ行かまい。行って考えりゃいいじゃん。」
「しょんねえなあやぁ。後ホントに知らんでねえ。」
例文音声はこちら
近所づきあいでよく聞く会話・おすそわけ編
「よかったらこれもらって。」
「いやあこんなことしんでもいいだにい。それじゃあ申し訳ないって。」
「気にせんといて。家じゃ余るもんだで腐らいちゃもったないだでもらってやあ。」
「いつもいつも貰ってばっかだでそれじゃ気い引けるやあ。」
「そんなことないよう私だっていつももらってるだで気にしんで。」
「そんなあ世話んなってばっかでホント気いつかわしちゃって悪いって。」
「ええでもらって。」
「そ~おホント悪いやあ。ありがとねえ。美味しくいただくわ。」
例文音声はこちら
何回お断り問答を繰り返せば良いのかが神経を遣うところである。いきなし「あそうありがとねえ」となれば「ごうつくな遠慮知らん人」の烙印押されるし執拗に断れば「気い利かん人」と呼ばれてしまう。そういうとこは全国共通ではあろう。
男でよかったと思う会話である。