遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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共通語の「きっちり」が変形したもので「きっかり」の意味合いでも使われる。
「きっちしやらんと気が済まん」(きっちりやらないと気が済まない)
「時間きっちしで終われた」(時間きっかりで終われた)
「丁度・ぴったり」として使う意味合いでは、「ちょっきり」という同じ意味合いの言葉があるが、「ちょっきり」は主に数に関係する際に、「きっちし」には数値にしにくい場合にと使い分けられる。
「荷物、箱にきっちし入った。」(荷物箱にぴったり入った。)
「こん箱荷物6個まるさら、ちょっきり入る箱。」(この箱は荷物6個全部丁度入る箱。)
「荷物たんとあったけど、きっちし入った。」(一杯荷物あったけど箱にきちんと入った。)
「荷物たんとあったけど、ちょっきり入った。」は数が曖昧なのでこういう「ちょっきり」の使い方はまずしない。
昭和の話し。
浜松旧市内限定の表現と思われるが、「汽車」と「電車」は使い分けられて表現されていた。勿論最近の若い衆らは流石にもう使わないであろうが。
浜松には鉄道が二つあって、JR(旧国鉄)と遠州鉄道の2社が路線を走らせている。それを使い分けるため、国鉄を「汽車」、遠鉄を「電車」と呼んでいた。
路線の長さから、国鉄には当然全国に繋がる入り口として果てしなさを感じるが、遠州鉄道は天竜までと先が見える長さである。鉄道ヲタクではないので、長さの表現の例えが思いつかないが、とにかく半日で行って帰ってができる距離間である。
「汽車」に乗って何処か行くと言うことは、どこか遠くへ行くということであり、「電車」に乗ってとなると、何かの用足しに行くと言うことである。そういうイメージがどことなくこびりついているので、通勤の際に「汽車」で通う人は遠距離通勤してるという錯覚に陥ってしまう。浜北・天竜は地元通勤で磐田・掛川・湖西の衆らは随分遠くから通うもんだと本気で思ってた。
「電車」で旅情にふける事はない。あくまで日常の足なのである。乗るところも降りるところも遠い他所ではない。なので、名曲「なごり雪」の列車が汽車でよかった。もし電車だったら浜松の衆らは旅情をこれっぽっちも感じなかったであろう。たかが隣の町に離れる位で大袈裟な奴だと思ったかもしんない。
昨日(きのう)と言う意味。決して勤皇と言う意味ではない。
明日(あした)・一昨日(おととい)・一昨昨日(さきおととい)・明後日(あさって)・明々後日(しあさって)は共通語と一緒。おとついとも言うがこれも共通語の範疇。
きんのうだけが何故か変形している。
「きんのうはありがとね。」
昨日はありがとね。と言っているのであって、勤皇の志士よありがとねと言ってる訳ではない。
「きんのうはどさぶいもんで家ん帰ってからぁちゃっと寝ただよ。」
昨日は物凄く寒いから家に帰ってすぐ寝たんだ。と言っているのであって、勤皇の志士は早寝だとか言ってる訳ではない。
「きんのうはこりたやあ。」
昨日は大変な目にあったと言っている。結構この言い回しは頻繁に使われるので、もしそう言われたら(ちょっと聞いて聞いて)といってるようなものだから聞く姿勢を見せたほうが人間関係上有利である。
気忙しい(きぜわしい)。せかされる・落ち着きがないといったバタバタした感じをたしなめる際に用いる言葉。
「気忙しい」(きぜわしい)は辞書にも載っているので方言ではないが、「きぜわしない」となると方言になるらしい。あまりにも普通に使っているので全国共通だとばかり思っていた。
解釈(邪推)としては、気忙しいが無いということではなく、「気忙しいなあ」の「なあ」が「ない」に変化したもの、「気忙しいでやめない」が省略されたもの、など憶測がいくつか考えられる。なにが正解なのかは無論知らない。
おそらくは、せわしない(忙しない)という表現があるように(せわしいの強調形だそうな)昔はきぜわしないも使われていたものが使われなくなって遠州には何故か残っていたと云う考えが一番適切かもしれない。
意味合いとしては気ばかり急いていて実になることをしていない様を言うことが多い。つまり無駄にあたふたしてる様であって単に忙しく立ち回っている様に対しては使わないことが多い。もちろん普段のんびりとしたところがその日に限って忙しくしてる様に対して「いつもと違うじゃないか」と思って言う場合とかもあるので一概には決め付けられないが。
例文
「さっきから出たり入ったりきぜわしない。座って待ってりゃいいじゃん。」
「いやなんかいごいとらんと落ち着かんくてやあ。」
「時間がこにゃ始まらんだで待つしかありもしんに。」
音声はこちら
洋服を着せるの「着せる」ではない。無賃乗車の「キセル」でもない。
蓋を被せると言う意味。つまり「被せる」・「蓋をする」という意で「きせる」という表現を遠州ではするという事である。漢字でどう書くかは知らない。
例文1
「のりしっけちゃうでちゃっとふたきせて。」
(海苔が湿るから直ぐ蓋をして。)
例文2
「あれえ出んよお。どーして?」
「そりゃあふたきせたままだもん。出る訳ないらあ。」
例文音声はこちら
蓋に限定されるかどうかは不明だが「栓をする」という場合でも「栓きせる」と使われることがある。
話しは若干飛ぶが上記の「きせる」とは別物としての「着せる」という言い方。上記での「車にカバーきせて」という場合もし「被せる」という意の「きせる」ではなく「掛ける」という意での「着せる」だと車を擬人化してる風にも聞こえてくる。こういう言い方は例えば「お人形さんにけっこい服着せる」とかいう使い方で存在する。
で、この「着せる」。共通語に訳すと「着させる」という事になるかというと微妙ではある。つまり「着させる」だと「着るようにさせる」という使役(やらせる)というニュアンスが強くなり遠州弁での「着せる」は「させる」ではなく「する」という意味合いの方が強い言い方もあるのである。
つまり使役の助動詞「す」の未然形の「せ」ではなくサ行変格活用動詞の未然形である「せ」という方がニュアンスが近いと思える。
遠州弁でやらせるという意の場合「着さす」という事が多い。「着せす」という言い方もあってこちらなら「せ」は使役の助動詞「す」であると思われる。どちらも使うということで解釈(聞き取りよう)によっては勘違いされやすい言い回しではある「着せる」というのは。