遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州でも掛川の衆以東の衆らが使うことば。
「ぞんぐりしちゃう」ぞんぐりっていまいち意味が分からない。
使用的に推察する限り、「やっきりこいた・失礼しちゃうやー・おうじょーこいた」みたいな時に使ってるので多分そういう意味であろう。
だけえがは、西寄りの駿河衆も使ってるらしい。
「そうだけーが」
「そうなんだけど」
語尾につくので、そうなんだけど・・・・・、だでなんだ?と聞きたくなる感じの会話になるので「結論はなんだ?はっきし言え!」と浜松の衆は思えるときがある。
こういう曖昧さで会話が成立するんだから「この衆平和だわ」と思わせる。のんびり感を感じさせるのが静岡県人としての特徴であろうが、浜松はそういう意味では例外で当てはまらないであろう。
数多の遠州弁紹介サイトやブログ等で遠州弁と謳われているけれど、私は「ぞんざい」は共通語だと信じてるんですが、一応記事にしときます。ぶっきらぼうとか横柄とか粗末にとかいい加減とか丁寧じゃないとかいう意味。わがままと表わされてる所も有るみたいだけどうちらの集落ではそんな感じでは使われていない。
「わがままだもんでかんだよ」(わがままだからいけないんだ)というのを
「ぞんざいだもんでかんだよ」とは言わないという事である。こういう場合で「ぞんざい」を使うとそのニュアンスは「丁寧じゃないからそうなるんだ」みたいな感じとなる。
辞書には「ぞんざい」{語源未詳}物事のやり方や取扱い方が丁寧でない(いい加減な)様子。とある。
態度を指しているのであってわがままという性格を指してる訳ではないように捉えられるところである。
やっぱこれは共通語だよなあ。辞書にも載ってるくらいだもの。先にも書いたけど色んなとこで遠州弁と紹介されてるので載せますけど・・・懐疑的です。タメみたいに遠州発で全国に広まったとでも言わっしゃるだかいねえ。
それとも「わがまま」という使い方をしてるところが確かにあって、その意味使いこそが遠州弁であって共通語の「ぞんざい」と遠州弁の「ぞんざい」の二種類が存在して使い分けてるということなのだろうか。
「ぜんざいぞんざいにくっちゃかん」
(善哉を粗末に食べてはいけません)
「せんざいええころかげんにそんなぞんざいにいれちゃかんら」
(洗剤を目分量でそんなに大雑把に入れては駄目なんじゃないの?)
但し、「そんなぞんざいな物の云い様しんだっていいじゃん」となると「そんな突き放した様な冷たい(ぶっきらぼうな)言い方しなくてもいいじゃないの」になるのでニュアンスは共通語とは違うかもしんない。
例文
「なによをこれえ。いれこんなってるじゃん。」
(どうなってんだあこれ。あべこべになってるじゃないかあ。)
「わざとにいれこにしてあるだよ。」
(わざとそうしてあるの!)
「なんでそんなことするよを。」
(なんでそんなことするんだ?)
「知らんよを。あんたみたいなそそっかしい衆が慌ててぞんざいに扱わんようにいきなしいごかせんくしてあるだらあ。」
(さあねえ。君みたいなそそっかしい人が慌てて雑に扱わないようにいきなり動かせないようにしてあるんじゃないの?)
例文音声はこちら
「その代わりに」が変化したもの。標準語ではないがどこでも使ってる方言(?)。遠州でも使っているということで。説明は短いけど、そんかわし例文長めで。
けっして「損をかわしてる」とかいう意味ではない。
例文 とある幼い姉妹のおやつ時の会話
「あっちゃんにさあこれあげる。そんかわしそれちょうらい。ええら?」
(あっちゃんにこれあげる。そのかわりにそれ頂戴。いいでしょ?)
「なにそれ?これ欲しかったんなら、最初っからそおいやあいいじゃん。」
(なんで?これが欲しかったんなら、選ぶ時にそう言いなさいよ。)
「だってえ、どっちにしょうか悩んどったら、あっちゃんあっちゅう間に決めちゃうだもん。しょんないら。」
(だってどっちにしようか悩んでたら、あっちゃんがあっという間に決めちゃったんだもの。しょうがないでしょ。)
「なに言ってるよをはあ遅いしい。口つけちゃっただもーん。替えれんよを。」
(えーもう遅いよ。口つけちゃったよーだ。もう替えられないよ。)
泣き出す妹。泣き声を聞いてとんでくる母親。(とんでくるというのは駆けつけるという意味)
「もうほんとにい。あっちゃんなにやったよを。あんたお姉ちゃんだら?もを、ちゃんと妹の面倒見んとかんだにい。」
(ほらあ、あっちゃんなにしたの。お姉ちゃんでしょ?ちゃんと妹の面倒見ないと駄目でしょうに。)
「だってえ、この子しょろしょろしとってどっちにするだか選べれんだもん。だもんで先にとったらやっぱそっちの方がいいだなんてゆうだもん。」
(だってのろのろとどっちにするのかずっと悩んでるんだもん。待ってられないから先に選んだら、やっぱりそっちの方が良かったって言うんだもの。)
「替えてやりゃあええじゃん。そんくらい。お姉ちゃんだでしにゃかんだにぃ。」
(替えてあげればいいでしょう。お姉ちゃんなんだからそれくらいしてあげなさいよ。)
「だってえ・・・・・」
例文音声はこちら
その後、当然お姉ちゃんも泣き出すという光景になる。あっちゃんにしてみれば妹が生まれてからずっと続いてる矛盾だらけの悔し涙である。妹は泣けばなんとかなると思ってる計算された涙で、お母さんはもうどうせえっちゅう(どうすりゃいいのよ)育児ストレスで泣きそうという、涙涙の感動も終わりも無い永遠に続くドラマ。
だからといって避けてしまったら子供は我慢にも理不尽にも堪えられないとんでもない我儘な大人に育ってしまう。そんかわしきっちし兄弟姉妹の荒波を乗り切った人間は一人っ子よりも強く逞しく育つもんであろうや。
そうだったっけという意味。すっとぼける・しらを切るように聞こえるときがある。
例文1
「あれ?この道来た事あるような記憶があるやー。デジャブーか?」
「なにょうこいとるよー、ど忘れん激しいにも程んあるにぃ。引っ越す前の小学校ん時通ってたらあ。はあ忘れただ?」
(なに言ってるよ、度忘れが激しいにも程があるよ。引っ越す前の小学校で通学路で通ってたじゃない。もう忘れたの?)
「そうだっけか。忘却とは忘れ去ることなりってこういうこんか。」
(おやそうだったっけ。忘却とは忘れ去る事なりとはこういう事か。)
「こむつかしいこんこいてケムん巻くなあ。ぼけるにしたって10年早いわ。」
(難しい事言って煙に巻くな。ボケるにしても10年早いわ。)
例文2 病院で禁酒を宣告された旦那と普通に元気な酒好きの奥さんとの会話
「もう、ボトル勝手に飲んだの誰よもを。あれほど飲んじゃかんっつっただにぃ。又あんただらあ。」
「わしじゃあらすけえ。なんでわしだっつうよ。つうかなんで誰か飲んだなんて分かるだ?」
「あんたねえ、見りゃあ分かるじゃん。ほれえ見てみい明らかに昨日よりか減ってるら。」
「おお減ってるのう確かに。だでなんでそれでわしん飲んだって決めつけれるだ?」
「とぼけるのもいい加減しなよを。あんた以外に誰ん飲むっつうよお。」
「わからんよお。どろぼー入って飲んでったかもしれんし子供ん試しに飲んだかもしれへんじゃん。」
「言ってて虚しくない?ええかげんにしんとほんと怒るにー。」
「・・・ごめんなんしょ。」
「あやまりゃ済むと思ってんの。ほれ、こないだなんつったか憶えてるらあ。」
「なんか言ったか?」
「今度迷惑掛けたらいいとこのめし食いいかしたるっつったじゃんか。今日連れてきなよお。」
「そうだっけか。」
例文音声はこちら
しらんぷり・すっとぼけると言った意味。
「そら」はそらぞらしい(空々しい)の「そら」(わざと・そのふりをする)を「使う」で「そらつかう」。
「あんた喰ったらあ。」
「しらんにい。」
「まあたすっとぼけてえ。そらつかったって駄目だでねえ。」
遠州弁といわれているが多分古い日本語だろう。
あくまで個人的意見であるが。
「そらつかう」・「そらをつかう」。
意味は「すっとぼける」・「しらんふりしてその場をしのごうとする」とするものであるが、その態度が見え見えとかモロ分かりと映るものを指す。
ところでこれは遠州弁か?というお話し。
競馬用語でも使われてるようだし、おそらくは元共通語なんじゃないのかなと踏んでいるが定かではない。もっとも競馬用語での使い方は命令・指示を聞かないとかいったものらしいので意味使いは異なるが。
ところで競馬用語。他にも「こずむ」も存在しており遠州弁の要素が感じられなくもない。想像出来る事は遠州弁の使い手が競馬界に浸透させた・古い日本語が遠州弁と競馬界にのみ生き残った。このふたつが勘繰られるところである。
まあしかし、十中八九遠州弁とかではなく古い日本語の生き残りだろうな。ネットで検索してみるとところどころに共通語という扱いで説明書きされてるところを見つけた。ただし意味は「見て見ぬふりをする」といった具合で若干異なっているが。
つまり「人が倒れてたけどそらつかって通り過ぎた」といった言い方はしないという事。「人が倒れてたそうだけどあんた見なかった?」と訊かれ「見なかったなあ。」とそらを使った。みたいな使い方をするという違いである。
まあ元が共通語であっても遠州以外では使われなくなって遠州だけが使ってるということであれば十分「方言」という範疇には含まれるではあろうが。
例文
A「あ~あ、花瓶倒いちゃってえ。床ん水浸しじゃん。誰よこんなことしたの。」
B「だあれも自分だって手え挙げんねえ。そりゃそうか、どんじかられるに決まってるもんね。」
A「判ってるだでねえ、こん中の誰かがそらつかってるの。」
B「黙ってりゃ済むと思ったら大間違いだにい。後で分かった方が痛い目に遭うだでねえ。」
幼稚園とか小学校の低学年の時分によくこういう類いの先生の金切り音を聞いたな。
例文音声はこちら
家でも学校でも怒られるのはしょっちゅうな毎日だったのになんでとぼけれるものはとぼけてしまおうという意識が働いたんだろ。あの頃なら一個や二個叱られるのが増えたって大して変わらないのにね。
まあ毎回この世の終わりがきたと思っていた気分があって刹那的であったことは否めないが。