遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「いかん。失敗した。」。これを
「だめでえ。失敗こいた。」と言うが遠州弁。
「あ!いかん云々」だったら
「やっ!だめでえ云々」という風になる。
使いどころにもよるが、ほぼ独り言な如きの感嘆の表現という場合直訳しての「駄目だ」でも間違いはないのだが「駄目だ」というニュアンスなら「だめだあ」・「やばい」・「やべえ」などと発する事の方が多く、「だめでえ」とは微妙にニュアンスが異なる感じがする。
「駄目だ」だと完全に終わったみたいな結果という勢いで、如何ともし難しでお手上げの際に発せられるものであり
「だめでえ」だとまだ途中段階での状況報告といった勢いという違いがあるようなないような。つまりまだなんとかなるもしくは他の手段があると思ってる心持ち(どこかしら余裕がある)の際に発せられるというか。もしくは失敗しても責任は自分に無い時(つまりお気楽な気持ちの際)とか。
使いどころにもよると書いたが、例えば
「そりゃだめでえ。」
とかいった「駄目だよ」と人に向けて発するものはそのまんまで共通語と変わりは無い。この場合強い口調ではないのが味噌であり「いかん」・「いけない」などと訳すとニュアンスがおかしくなる。
蛇足だが「あ~あ。失敗しちゃった。」とか「やれやれ失敗した。」などという場合は
「やいやい。失敗こいちゃってえ。」という風になる。
「だでや、さっきからそおゆってるらあ。」
(だからさ、さっきからそう言ってるだろ。)
「さっきいからそうゆってるだでや。」
(さっきからそう言ってるんだからさ。)
「だでや」=「だからさ」・「だからね」と訳せる。「だでやあ」で「だからさあ」・「だからねえ」。
男言葉であり、女性(共用)言葉だと「だでね」・「だでねえ」もしくは「だでさ」・「だでさあ」となる。
「だで」を「だもんで」に置き換えて「だもんでや」とすると「なのだから・なんだから」となり、「だでや」は結論(一番言いたい事)がこの後に(流れ)に続くもので必ずしも前の話しの繋がりとは一致しない場合とかがあるが「だもんで」は前の話しの流れの延長線上で繋がるものである。
「だでや」は「それはそれとしてさあ」という使い方もあるということで話しが飛躍する事もあるということ。そして「だもんでや」は「ということなんだからさ」という意味使いであるので別の話しへと移行することは普通ないということ。無論普通じゃない事もあるが。
「わし先行くだでや、絶対来いよ。」
(先にいくからね。絶対来いよ。)
「わし先行くだもんでや、来んとかんにい。」
(先に行くんだからさ、来ないと駄目だよ。)
「晴れてきただでや、さっきよせた洗濯もんまた干しまい。」
(晴れてきたからさ、さっき取り込んだ洗濯物また干そうよ。)
「晴れてきただもんでや、さっきよせた洗濯もんまた干しまい。」
(晴れてきたんだからさあ、さっき取り込んだ洗濯物また干そうよ。)
まあ非常に些細なものだがこういった違いが生じてくる。
ネットで調べると俗語の範疇で、不良が発する「同等・対等を誇示する」といった意味と説明されていた。
「タメ」で「同世代」というのが遠州弁から生まれた俗語というものであるならば
この「ためはる」(タメ張る)というのも遠州弁から発生した言い回しと勘繰れなくもないところ。
ちなみに俗語辞典なるサイトの説明では、「ため」は博打用語でそれが昭和の頃に不良を起点として若者用語として広がり今に至るみたいな説明がなされていた。
遠州弁の「ため」と共通語の「ため」は意味使いもイントネーションも異なるもので似て非ざるものと言えなくもないが、でもやっぱ同じだろうかな言葉としては。
で、不良用語の「ためはる」というと「はる」は「張り合う」といった「同等・対等だぞとつっかかってくる(強く主張してくる)」といった誇示している勢いを感じるものであるが
遠州弁の「ためはる」は「同等・対等といっても過言ではない」または「どっこいどっこい」とか「負けず劣らず」とかいった風な勢いのものであってツッパリ感は無い。
意味合いとしては別物の言葉という感じが湧くものである。
「あんたねえ、ほんと おっとさとためはるくらいの口の悪さだやあ。ホント親子だわあ。」
訳さば「ほんとにもう、まったくもって親父と同じくらいの口の悪さだねえ。ホント親子だよなあ。」といったものになる。
同じ「同等・対等」でも不良語の「ためはる」は自らがそうなるようにしむけているのに対して遠州弁の「ためはる」は単にそう映るという自らの意図とは関係のない評価・判断として使われるという違いがある風に思える。
不良語で「ためはった」結果「確かに」と肯定されれば本人「よっしゃあ」であろうが、遠州弁で「ためはった」と言われても必ずしも喜ばしい事とは限らない(自慢にならない)ものである。
このような微妙な違いが存在すると思える。まあ微妙というよりか大分違うが。
平仮名だとなんのこっちゃいであるが漢字にすれば
「凧場」・「凧揚げ場」
と、なるわけで方言と呼べるかどうかというレベルのものであろうが。
しかして共通語だったら「凧揚げ会場」と言うのであろうから
「たこば」・「たこあげば」
という言い方は浜松固有の言い方と言えなくもないだろうと。
ところで「たこば」と「たこあげば」に違い(使い分けの区別)はあるのかというと
多分無いような気がする。
強引に違いを考えると「行く」に於いて
「凧場に行く」だったら「凧を揚げに行く」で祭りに参加すると取れる。
「凧揚げ場に行く」では「会場に行く」で祭りに参加するわけではないがそこに行くとも取れる。
蛇足だが、凧場の近くで凧や用具を保管したり準備したりするところを「陣屋」と呼ぶ。
「行くだかいね」を例にとると、行く・の・かね。という訳になる。他人に訊いてるというよりも自問してる勢いを感じる。
訊ねるという勢いを増したい場合には「だ」を抜いて「行くかいね」となる。
「行くだかいや」となると、行く・で・あろうか。といった感じになる。
例文
「あの人行くだかいね。」
「知らんやあ。聞いてみんと分からんやあ。」
「行く気満々だっつってたにい。」
「誰があ。」
「誰だか忘れたけどそを聞いた。」
「ほんとにい?」
「ね」と切る場合と「ねえ」と伸ばす場合だとニュアンスが異なる。
「ね」の場合だと確認・問いただすという感じのニュアンスになる。
「ねえ」の場合だと予想・質問という感じのニュアンスになる。
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