遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「眩しい」と言っている。
「ひ」は「陽」又は「日」であろうからあくまで日差しに対して使うものであろう。
どの程度の眩しい事を指すのか、目が眩むのか目に刺さるのかなどについては、段階を表わすみたいな他の表現が思い浮かばないので眩しいと感じればとにかく「ひづるしい」という事なのであろう。
私は性格も悪いが目も悪いのでとにかく晴天で外に出れば目を細めなければ居られないので「ひづるしい」の連発である。個人差が大きいんだろうな。だから基準が決められないから眩しければとにかく「ひづるしい」んだろうかな。
書き方として「ひずるしい」か「ひづるしい」のどちらが正しいのかという事については全く定かではないが「ずる」という語呂がどうもなので「ひづるしい」を選択した。「日出処」とかだと「ひいづるところ」で「ず」ではなく「づ」だし。なんとなくね。
静岡県ほぼ全域と三河で使われてる言い回しらしく、モロ遠州弁ということではないらしい。
例文
「おお。真っ暗じゃん。はあ夜けえ。どんばえ~なあやあ。あっちゅう間だったなあやあ。」
「確かに。映画館入る前はひづるしいくらいだったでの。」
「やっぱあれだな。面白い映画観ると時間忘れれるもんで、外出てこう暗いとなんかさあ、現実に戻ったって感じするの。」
「別世界に行ってたみたいってか。」
例文音声はこちら
追記
「ひづるしい」か「ひずるしい」か
個人的には「ひづるしい」だと思っている。
「ひ」は日差しの「日・陽」で異論はないところであろう。「ひづる」ということではないだろうなと。つまり「ひ」+「づる」+「しい」ではなかろうかということ。「しい」は「馬鹿らしい」とか「わざとらしい」とかの「しい」であろうかと思える。
問題は「づる」であるが日差しがまぶしいと言っている訳で「陽」+「辛い」+「しい」と想像するところ。
「つらい」から「づる」に変わる変遷が想像出来ないところが難点ではあるし、「ひづるしい」以外「辛い」という意味合いで「づる」という言い回しになる言葉も思いつかないところもあって説得力には欠けるところではあるが
とにかくもし「づる」=「辛い」ということであれば「やりづらい」・「やりずらい」どっちが正しいかといえば「やりづらい」が正しいように「ひづるしい」・「ひずるしい」どっちがとなれば「ひづるしい」だということになるのでは。
で、「づる」は置いといて今度は「しい」。
辞書とかの説明では「しい」は強意を表わすということであるらしいが「憎い」と「憎らしい」では「憎い」の方が意は強く「憎らしい」はそれよりも意は弱めた言い方ということになるそうな。「憎たらしい」はどのレベルになるんだろ。
「らしい」は~という気持ちを起こさせる・~と感じられると説明されていた。
「しい」も「らしい」もどちらも断定を弱める効能があるのだとしたら「ひづるしい」を強めた言い方は「ひづるい」ということになるのであろうか。もっとも「ひづるい」・「ひづい」とかいう言葉は聞いたことは無いが。
まあとにかく「陽辛いらしい」ということで目を開けていられない状態程ではなく目を細めないといられない状態を指すという解釈が「ひづるしい」に当てはまるところと思われる。
つまりなんとか我慢できる範囲の眩しさの場合に「ひづるしい」を使いこの上となると「目え潰れる」・「開けてれん」・「目えおやす」とか言うことになるかな。
漢字から推測すると太陽が眩しいというものであって光が眩しいのではないので頭で考えると車のライトが「ひづるしい」とは言わない訳であるが実際には眩しいものに対して結構使われている。