遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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とある大都会のレストランでの店員さんと遠州人の会話。
「いらっしゃいませ。御一人様ですか?」{心の声・・・・・。}
「いやあ、あともうちっとしたら一人は来るだよ。」
(いやね、後もう少ししたら一人は来るんだ。)
「テーブルとカウンターどちらになさいます?」{なんだよこいつ、どこの田舎もんだ?言葉がいまいちわからんぞ。}
「どうせまいかなあ。」
(どうしようかなあ。)
「いや狭くはございませんのでご安心を。」{見りゃわかるだろ。}
「いやいやいや、じゃなくてえ、一人は確実でもしかしたら人んまーちっと増えるかもしんないもんでえ。」
(いやそうじゃなくて、一人は確実なんだけど、もしかしたらもう少し増えるかもしれないから・・・。)
{増えるって言ったよな確か}「それでは、テーブルの方がよろしいですね。ご案内いたします。」{増えるっていってるよな、多分。}
「あー、そうしてくれるとうれしいやー。助かるよー。」
(うん、そうして貰えると有り難い。助かります。)
「ご注文の方はお連れの方がお見えになられてからでよろしいでしょうか。」{うれしいってなにがだよ。それになんかタメ口っぽくて馴れ馴れしいし。}
「んー、どうしまいか。」
(そだなあ、どうしよう。)
{終い?}「まだ閉店時間ではありませんので、ごゆっくりでも結構ですが。」{終いか?って、こんな時間に店閉めるってどんだけ田舎なんだ?こいつの住んでるとこは。}
「いんやあ、そんな長居はしんでえ、ええだけどやあ。」
(いえいえ、そんな長くはいませんので、ご心配なく。)
{長井が死んで?}「あ、お葬式のお後ですか。でしたらお肉などは出さないよう厨房に伝えますよ。」{なんだよこいつ、人が死んだのにいいって・・・さっきから脈絡がないぞ。}
「はあ?おんしゃなにょうこいとるだ。」
(ええ?あなた何いってるんですか?)
{御社って会社にクレームかよ。なんかまずいこといったか?俺}「・・・・・。」
勿論創作で現実にあった逸話ではない。遠州人がよそいきの言葉を使わず本気で普段の言葉を使うとこうなるであろうと言う想像のお話し。
こうなると、店の人は丁寧な言葉で接しているが、内心は見下した感じになってくる。郷に入れば郷に従え。浜松でいうと、ブラジル系の人達に対する物言いみたいなもんであろうか。明らかに日本人離れしてる容姿ならいざ知らず、見た目日本人の人が言葉が通じないというのは、違和感を感ぜずにはおれない。島国根性だと言ってしまえばそれまでの話しではあるが。
とにかく今のところ普段の生活の中で異文化を享受することには慣れていなくて、だからといって排他的になるなというのは、日本人であり続ける限り無理なお話なんだろうな多分。でも自分がなにもコミニケーションとれない環境に放り出されたら一体何日精神状態が持つのだろうか。そう考えると今いじめを受けている子供達は本当に強いなあと我が身に置き換えるとそう感じてしまう。はぶせが怖い私にはコミュニケーションは生きてく上で最重要な道具なのである。
そういう意味でコミュニケーションのための共通語というものの重要性は強く感じる。たとえお国言葉は郷土の宝であったとしても。
基本として静岡県は東部伊豆・駿河・遠州の三つに分けられている。非常に大雑把ではあるが、郵便番号7桁の頭2つで41地域は東部伊豆・42地域は駿河・43地域が遠州と分けることが出来る。因みに三河は44・名古屋は45・46岐阜は50といった具合である。
しかし、言葉でわけると三つでは済まないかもしれない。東部伊豆はほとんど人付き合いがないので全くわからないが、駿河と遠州なら幾分分かるのでそこいら辺りを書きます。
一口に遠州と称しても浜松人からすると、掛川以東は言葉が違うと感じる。掛川は遠州と言うよりもむしろ島田・金谷とかいった方に近いことばのような気がしている。そしてその衆らの言葉は駿河でも静岡市内の言葉とは異なっている。なので、厳密に言うと言葉に関しては、遠州と駿河のあいさにもうひとつの言語圏があると言うことである。東の境はどこまでかは知らないが、西に関しては掛川が境であろう。具体的にどういう言葉かというと、有名人でいうと岸本加代子さんとか(県内のみの有名人かも知れないが)中山儀助さんがおられる。余談だが、岸本さんはテレビで「静岡県人はお茶で医者要らず。」とか言われていて、茶っぱをてんぷらにして食べると言うのを紹介しておられたが、少なくとも浜松では「知らんやー」って感じで食べたこたぁない。(お茶の葉を遠州では茶っぱと呼ぶ)飲む以外では、出し殻の茶っぱをかわかして畳にまいてから掃き掃除すると埃を吸ってくれるからといって昔はよーやってた。何かの匂いが気になるとき脱臭剤として使うというのも昔は、やっていた。
遠州弁の特徴である語尾が上がるというのは集落ごとに微妙な差があるらしく、よく「君は語尾が上がる言い方をするねえ」と注意されたりした。おんなし浜松の衆に言われたので、遠州弁の特徴として語尾が上がるとは一概には言えないのかもしれない。
東の境が袋井辺りだとすると、西の境はどこいらへんになるのだろうか。愛知県の豊橋の衆らとは話してて違和感が無い。岡崎辺りでもそうである。愛知県の東部は三河弁のエリアであるが親近感が湧くのでうどん屋と呼ぶか蕎麦屋と呼ぶかの境ほど明確ではない。ちなみに浜名湖が境となって西がうどん屋、東が蕎麦屋と称する分水嶺であるということらしい。
遠州弁は使ってる当人に基本「馴れ馴れしい・汚い」という自覚があります。なので普通は、同じ遠州人であっても方言は使ってないつもりで会話をしています。
そういう言葉を「よそいきの言葉」と称することができるのですが、実は本人方言ゼロのつもりでも、モロ方言まるだしらしい・・・です。自覚がないので確定したことは言えませんが、他所にいくと直ぐばれるというか「お里が知れる」らしいです。著名人で例にとれば、「本田宗一郎」さんはべらんめえ調ということで有名でしたが遠州人的に言うと遠州弁が終生直らなかったという感じです。
著名人話しで脱線しますが、こないだネットを徘徊していたら「上戸彩」さんの応援サイトで、上戸さんの縁者の方が浜松におられるという理由でちょくちょく浜松にお越しになられていたということをご自身のラジオでおっしゃっておられたそうな。で、遠州弁に対して好意的な発言をされておられたように読めたのですが、おそらくは「よそいき言葉」ゆえの発言かと想像されます。俗に言うところの「だら・だに・だもんで・ほい・ほれ・やあ」の範疇かと推察されます。まあ確かにそれくらいでしたら可愛いもんですけど。
それに対して「長澤まさみ」さんは磐田できっちし育った遠州人ですから、ときたま気を抜いてポロッと出てしまう遠州弁は「うちうち言葉」が飛び出すときもあり、自分に正直なのも程ほどにと心配してしまうほどです。例をあげれば「いいとこまんじゅう・ちんぷりかある・ひょんきん」などです。「ひょんきん」と共通語の「ひょうきん」は微妙に違いますし、あとのふたつは遠州人しかわからない言葉です。
私が記事に載せているのは、「よそいき」と「うちうち」の区別無く思いついたまんまの未整理な状態ですが、例文に関しては「うちうち言葉」がほとんどですのでその点ご了承願います。
遠方よりお越しの方には、「うちうち言葉」はまず耳にすることはないでしょうけれども、まあ裏には裏があるということで。それに遠州と言っても結構な範囲なので、浜松に生まれ育ってン十年ですが、いろんなHPとかの遠州弁単語集を覗いても聞いた事もない言葉もたくさんありますんで。話半分で見て頂ければありがたいです。決して学術的なものではありません。あくまで言葉遊びの一環です。