遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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共通語だとは思うのだが、時々「とっちらかる」の検索で当ブログにお越しいただく方がおられるのでもしかしたら方言か?と思って記載。まあでも「掴まえる」を「取っ掴まえる」というようなものであろう。だからおそらく漢字で書くと「取っ散らかる」となるのだろうなと。
因みに遠州弁でのニュアンスは、散らかる様の度が過ぎた状態を意味する場合が多い。どちらかと言うと長い間の不精の蓄積によるものというよりか物だけに限らず急ぎの要件などが発生したりしてあたふたして収拾がつかず散らかってしまってる様を指すことが多い。つまり「取り乱す」(とりみだす)と言う意味も含むニュアンスになるということであろうか。
不精による蓄積の散らかりの場合は「どちらかす」・「ばかちらかいて」・「どんぎたない」とかで表現されることが多い。
それと今起こっていることに対して頭の中が整理出来ないような場合にも「とっちらかる」を使う時もある。
「いやあ頭とっちらかってるやあ」(もう頭の中パニくってるよを。)
共通語で「ちらかる」・「ちらける」と使い分けがあるように「とっちらかる」・「とっちらける」と言い方が存在する。
例文
「やあなんでえ、がんことっちらかってるじゃんかあ。」
(うわあなんだよこの散らかりようは!)
「課長いきなし電話寄こしてやあ。あれの資料どこやっただあって言って来ただあれ。」
(課長がいきなり電話してきてあの資料どこにいったか知らないかって聞いてきたんだ。)
「課長持ってっただらあ?違うだけ?」
(課長が持っていったんじゃないの?違うの?)
「忘れてけつかったらしいだよ。相当やばいらしくパニくる寸前みたいだよお。」
(忘れてったらしいよ。今相当やばいらしくてパニくる寸前みたい。)
「そんでそこらじゅうひっくり返してるんかあ。」
(それでそこらじゅう引っ掻き回してるのか。)
「あんた知らん?心当たりないかやあ。」
(ねえ知らない?心当たりないかなあ。)
「課長のこんだで家ん持って帰っただらあ明日の準備とかこいて。」
(課長のことだから明日の下準備するとかいって家に持って帰ったんじゃないの?)
追記
以前書いた際に荒っぽくとかいう意を付加する意図で「捕まえる」→「とっ捕まえる」といったのと同じで「散らかる」→「とっ散らかる」という流れであろうと書いたのだが。
考えてみると「とっちらかす」という言い方にはざらつきを覚えるので
「とちくるう」と同じ傾向の「とちちらかる」→「とっちらかる」の流れかもしれないという手も捨てがたく思えてきた。
辞書には「とちる」{「とち」は「とちめく」の語幹}広義では、まごついて、物事をやりそこなう意に用いられる。とある。
ちなみに「とっつかまえる」はネットの辞書では、捕まえるを強めて言う語と説明されていた。遠州弁的感覚だと乱暴・ぞんざいという勢いになる効能があるとこが若干違うようだ。
それはともかく、つまり「とちる」=「とっ」(とち)であるとするならば「とっ」(とち)を使うとあたふたした感じが加味されるということで「とっちらかる」は整理不能で何していていいのか分からない状態を表わしているということで実際使っている意味と合う。
好きでこの状態に陥る事はないのだから自らの意思で「ちらかす」ことはないと思われるので「とっちらかす」という言い方にざらつきを感じる理由が納得できる。
そういう点から乱暴・ぞんざいという意味使いの「とっぱらう」・「とっつかまえる」とかいうものとは別種ではないかと思えてきた。
もちろん「とちくるった男がとっちらかした」とかいった他人の様を指す分には乱暴・ぞんざいであろうと混乱・まごつきであろうとどちらの使い方でも違和感はない。自身が散乱状態になった場合に乱暴・ぞんざいという使い方は不自然を感じるということである。
ちなみに古語辞典を引いてみる。「とち」では記載はないので「とち」を使った言葉を挙げてみる。
「とちくらふ」ばか食いをする。
「とちぐるふ」戯れる。ふざけあう。
「とちめく」あわて騒ぐ。うろたえる。
古語の「とちぐるふ」は意味合いが異なっている。「とちめく」が一番意味が近い。
例文
「とち狂った男がやっきりこいて机の上をとっちらかいた」
(血迷った男が地団駄踏んで机の上の物をくしゃくしゃに散らかした。)
例文2
「やあもう訳分からんくなってきてとっちらかってきたぞ。頭爆ぜそうや。」
(ああもう訳が分からなくなって頭の中がごちゃごちゃになってきたぞ。頭が爆発しそうだ。)
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