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遠州弁の箱

遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります

とらまえた

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とらまえた

「つかまえた」と言っているのであるが

ネットの辞書では「捕まえた」と「捕らえた」もしくは「捉えた」が合わさって出来た言葉みたいな旨の説明がなされていた。

遠州弁においては「とんました」という言い方が存在し「捕まった」だと「とんまさった」となる。

細かくして考えると「とんまさった」は「とらまれなされた」ではなかろうかと推測できる。

「とらもう」→「とらまう」

「とらまうれ」+「なされた」→「とらまれなさった」→「とんまさった」

もっとも「とんまさった」のニュアンスは「お捕まりになられた」みたいな敬語的なものではなく「捕まったアホだ」といった小馬鹿にしたものであるのでこの説明に説得力は皆無であるが。

しかしながらこんな感じがもし説得力があるとしたなら、「つかまえた」と言う意味の「とらました」と「捕まった」という言い方である「とらまさった」という言い方が考えられ実際そういう言い方が存在してるような気がする。そして「とらました」の「ら」が撥音便化して「とんました」となったという事が考えられるのではないか。

で、肝心の「とらまえた」であるが、「とらました」が存在するのであるからして「とらまえた」という言い方も存在してもおかしくないと思えてくる。つまりネット辞書での説明とは異なる理由で言葉の説明が遠州弁においては出来るということである。

それに「とらまえた」の「ら」が変化して「とんまえた」という事になればより遠州弁っぽくなるところでもある。訳としては

「とんました」(とらました)だとはっきりした意思を持って捕まえたという勢いが増し

「とんまえた」(とらまえた)だとなんのかんのの結果として捕まえたという勢いが増すように感じられる。

分かりにくいので例文で説明すると

「猫んそこらはっちょうでくるうもんでとんまして外に出いた。」

  (猫が所構わずはしゃぎ回るものだから捕まえて外に出した。)

「えらいがさごそ音んするもんでなんだと思ってとんまえたら隣んちの猫だった。」

  (なんかがさごそ音がするのでなんだろうと思って捕まえてみたら隣の家の猫だった。)

「捕縛」が「とんました」で「捕獲」が「とんまえた」と例えるのは無謀か。でもそんな感じの違いを個人的には感じる。

「とんました」の対が「とんまさった」であるなら「とんまえた」の対は「とんまえさった」という風にも勘繰れるところである。それに「ら」=「ん」であるとしたら「とらまえた」。対で「とらまえさった」は方言として存在するものであると屁理屈が立てれるところである。

まあ総じて無謀な屁理屈ではあるかな。

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