遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
なんか変だなあと感じる遠州弁
「帽子がぬくとい」
「帽子がぬくとい。」というのは間違ってはいないのだが、おかしな言い方と感じる次第である。
そりゃもちろん懐炉とかヒーターとかが仕込んであってホントに帽子そのものがあったまる機能を有しているというのなら話しは別だが、あくまで「ぬくとい」のは「頭が」であって「帽子が」ではないのである。
「帽子かぶったもんで(頭が)ぬくとい。」とか「この帽子(頭が)ぬくとくていいだよ。」
とかの言い回しに於いて「頭が」というのがはしょられた言い方をするのが普通である。
つまり何が変かというと「が」を入れるからおかしくなるのである。「帽子が頭がぬくとい」となるからであろう。
「帽子はぬくとい」や「帽子でぬくとい」とかなら違和感はないところで、「は」や「で」を省いての
「帽子ぬくとい」または「帽子んぬくとい」
であれば「帽子で温かい」・「帽子は温かい」とかになって違和感はない。
もしくは「ぬくとい」を使わず「あったかい」とすれば
「帽子があったかい」
であってもおかしくはない。誰かがさっきまで被っていたとか日向に置いてあったので暖まったみたいな情景が想像されるところである。
必ずしもではないが「ぬくとい」には気持ちがいいというニュアンスが含まれる場合が多い。
こうしたように「ぬくとい炬燵に入りたい」ではなく「炬燵にはいってぬくたまりたい」、「まだぬくといエンジン触ってみい」ではなく「触ってみいエンジンまだぬくといに」といった風になるのが普通であろう。(こうした違和感を感じる使い方には「あたたかい」を使えば解消される。)
「昨日買ってきた帽子がぬくといやあ。」は変。「帽子が頭がぬくとい」という文章になるからおかしいと感じるのであろう。「帽子はぬくとい」とすれば違和感はない。
「昨日買ってきた帽子がぬくとくていいだよ。」は有り。「帽子は頭がぬくとくて」という文章となるから。
例を変えて
「ふとんがぬくといもんで起きるのがおっくう。」
この場合には違和感はない。「帽子」は変で「ふとん」は変じゃないというのはどういう事かということになるのだが、布団の中にいることが温かいと言っている訳で布団そのものが温かいと言ってる訳ではないのであるから。
「冬用のぬくといふとん」には違和感を感じのもので「冬用のあったかいふとん」と言うものである。「ぬくとい」のはあくまで自分がである。