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遠州弁の箱

遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります

目は「つむる」?「つぶる」?

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目は「つむる」?「つぶる」?

目はつむるもんだろうと真剣に思っている私であるが。辞書とかで調べる限りでは「つぶる」(瞑る)が共通語で「つむる」は方言・老人語と書かれてあって、え?というお話し。

じゃあどこの方言なのかということに興味が湧くのであるが、方言・老人語と謳っているのは昭和の辞書で現代のネット辞書などでは共通語枠の中に収まっている。つまりもう今となっては広まっていて元が分かんないということなのか。

イメージとして「つぶる」(瞑る)と「つぶる」(潰る)が似通っているので「つぶる」に静かに目を閉じるような穏やかさを感じない。どちらかといえば力一杯な閉じ方を彷彿とさせる。ホラー映画観てて思わず目をそむける時とか子供が頭洗う時などは「つぶる」で、静かにとか穏やかにとか瞑想するとかなら「つむる」だろうと。

また、例えばいいとこだけを見ようとか言う場合「欠点にはこの際目をつぶって」みたいな場合には潰す揉み消す勢いの「つぶる」でないと。「つむる」だと違和感を感じる。

これが「さびしい」(淋しい)と「さみしい」(寂しい)とかくらい明確に違えばいいんだろうけど、「わびしい」(侘しい)が「わみしい」となるみたいな訛りとかであればメリハリもつくんだろうけど、「つむる」に関してはその中間みたいで曖昧だよなあと。

でも「わみしい」ってどこも言わないのかな。「つむる」も似たようなもんだとしたら「わみしい」も「つむる」も遠州弁って屁理屈が成り立たなくもないけど。いくらなんでもそりゃないかあ。

とにかく遠州全域かどうかは定かではないが、うちらの集落とかでは目を閉じるに関しては「つぶる」より「つむる」の方が多く使われる気がする。

尚、「つぶらな瞳」とかを「つむらな瞳」とかにはさすがにならない。

例文

「目えつむってみい。いいもんやるで。」

「なにくれるよを。」

「いいで早くう。」

「分かったよ。・・・・ってなによをこれえ。」

「チケット。ノルマきつくてやあ。ねえ買って。」

「馬鹿っつら。しかもくれるじゃないだ?やなこったい自爆こけ。」

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