遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「泣きよう」。なんかいいよね。ほっこりしてくる。細かいニュアンス分からんけど。
テレビの情報番組で、福岡から上京する人と見送りに来た人の会話の模様が映しだされていてのその会話の中の一フレーズ。
共通語に直すとなんだろね、あの雰囲気から推察するに「泣くの?」・「泣いちゃうの?」・「泣くのかい」・「泣いてるの?」・「泣くんだ」・「泣いてる」とかが思い浮かぶ。
つまりよを分からんその細かいニュアンスが。「泣きよう」の連呼で言い合いになってたけど多分それぞれニュアンスが違ってるんだろうな。
状況をもう少し細かく説明すると、バス停にてもうすぐお別れでしんみりした雰囲気になりかけた頃に旅立つ人が見送りに来た人を見て「泣きよう」と発す。そしたら違う違うという素振りを見せながら今度は逆に見送りに来た人が旅立つ人に「泣きよう」と発す。そしてどちらも「泣きよう。」・「泣きよう」と指さしあいながら言い合うことによってしんみりを吹き飛ばすという様であった。
もっと具体的に書けば2011・4・4のめざましテレビでの「新人女優・大野いと15歳の旅立ち」という中での一シーン。丸写しすると
A「泣きよう?」
B「・・・・・?」
A「泣きよう?」
B「泣いてないから。」
A「泣きよう、泣きよう・・・」
B「泣きよう、泣きよう・・・」
この状況を遠州弁に置き換えてみるとどうなるんだろ。(注、少しいじらないと伝わらないので上と同じになってはいない。)
A「あ~泣くだ?」
(泣いてるの?)
B「なにゆってるよを、ちがうよを。」
(そんな訳ないでしょう。違うよ。)
A「泣くだ?」
(泣くの?)
B「そっちこそ泣くだ?」
(そっちこそ泣きそうでしょ。)
A「泣いてるらあ。泣いてる泣いてる。」
(泣いてるでしょう。絶対泣いてる。)
B「そっちこそ泣いてる泣いてる泣いてるにい。」
(そういうあなたこそ泣いてるでしょうに。)
とかになろうかな。たとえ同じ15歳の若さで発しても博多弁?ほどには可愛げが出ないな。まあおっさんが考えるには限界もあろうけど。
とにかくこう解釈いたしました。博多弁の使い手さんとかからそんなニュアンスじゃないぞというのであればごめんなさいです。
それにつけても博多弁?畏れ入る。「泣きよう」ひとつでこれだけバリエーション豊かに表現出来るとは。
いずれにしても方言はやっぱいいな。同郷故の心緩やかさが解放されてるようで。
違うお国同士での、例えば片や博多弁こなた遠州弁で話すとかだと会話が成立しないから共通語の存在は重要だけど。
英語やらなんやらに力入れるのもいいけど二か国語を話すとなれば外国語と日本語というよりも自分のところの方言と共通語とをマスターした方が心にはいいような気はするな。