遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
ウィキペディアの「遠州弁」の記事でちょっとお遊びを。決して茶々入れるとかじゃなく単に遊んでるだけですのでお間違いなく。なんかね、自分の使う遠州弁と違うんでそれと比較してみようかなということですわ。遠州弁にも色々あらあなということですかね。
とあるウィキの例文
「はあ、いつまでもいらんこんしとらんでちゃっちゃとうっちゃりなや」
その訳は(もう、いつまでも余計な事をしていなくていいから、さっさと捨てなよ)
私としてはなんかざらつきを感じる。ざらつく所は「はあ」・「いらんこんしとらんで」・「なや」。
訳の文を逆に遠州弁に変換するとしたら私だったら
「やあたらたらしょうもないこんしとらんとを。はあええでちゃっちゃとうっちゃっちゃいな」
とするかな。んで、例文の遠州弁を共通語に訳すとしたら
「もういつまでも余計な真似していないでとっとと捨ててしまいなあ」
あたりかな。そんな大きな違いはないのだが、でも実際ウィキの例文にはざらつきを感じるんだよなあ私。
というのも必ずこうなるというものもないのであるが「いらんこん」(余計な事)「しとらんで」(してないで)と言ってるが大抵は「いらんこん」は「すんな」(するな)という制止である。
そこのところを例文では「しとらんで」を使い尚且つ「いつまでも」という言葉までついているのだからそろそろ止めろというニュアンスで暫し否定も制止もせず黙認してたことになっているところがね。まあ「いらんこん」に対して「やめよや」(止めろ)と締めず「やめなや」(止めなよ)と言うのもあれ?なんだけど、きっとおそらくこの人は物凄く懐の大きい人なんだろうなあ。
つまり「いらんこん」は「要らぬ事」であって「余計なお世話」とか「余計な真似」という意味で普通は使われてる気がする。余分とか無駄とか意味も無い事というのではなく明らかに迷惑・邪魔という事。だから他の要因とかがない限り普通は即制止するものであろうと。他の要因とはたとえば何らかの理由で我慢をして許容していたけどやはり(これ以上)言わずにおれず堪忍袋の緒が切れたみたいなとか席を外していて注意ができず戻ってきたらやっていたからとか。
なのでこの雰囲気では「いらんこん」は使わないように思えるので私だったら素直に「くだらん・しょんない・つまらん」・「無意味な・あほな・馬鹿な」などという言い方を使うかな。それで
「あんたねえ、うだうだしょんないこんしとらんで早くうっちゃっちゃいな」
とするかな。どうしても「いらんこん」を使うのだとしたら
「やあ見てんと思ってなにょうさっきいからいらんこんしてけつかるだあ。はあうっちゃれやあ」
「黙って見てりゃあいらんこんしてんじゃねえよ。へらへらしょうもないこんで遊んでんでちゃっちゃとうっちゃれやあ」
とかにすれば堪忍袋の緒が切れたみたいなニュアンスになってざらつきはなくなるかな。とにかく「いらんこん」を使う場合最後は命令調で締めないとどうも不自然な勢いと感じてしまう。でもそれだと例文「しとらんで」の説明の意味がなくなってしうか。
まあそもそもの例を「ぼ~っとしとらんで はしはしいごけんだか」とかにしとけばいいのにと思うのであるが。
他にも「はあ」と「なや」の使い方にもざらつきを感じてるんだけどそれで遊ぶと随分と記事が長くなるので結論だけでやんぴにしときます。
「なや」ではなく「なあやあ」か「なあや」の方がうちの衆らの感覚だとよく使われる。
「はあ」は「はあこんな生活厭!」という「もう」(最早)なのか「はあ三年経ったのか」という「もう」(すでに)なのかどっちなのかこの文ではよく分からぬ。