遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「あらまあ」とかいう「まあ」ではなく、「それはそれはもう」とかいう「まあ」+「怒れる」。こうした「まあ」という使い方は「怒れる」だけでなく「しょんない」・「あきれる」・「ついてけん」・「やっきりこく」・「きぜわしない」などなど色々と使われる。
別に方言でもなんでもない言い回しであろう。が、人に言いふらしたい位の状態であることには変わりはないところであるが共通語的な憤懣やるかたないという勢いではなく遠州弁での「まあ」はとりあえず怒りは抑えているけれどもといった勢いというところが違いであろうか。
例文
「寄り合いどうだったよを。えらく時間掛かっただねえ。」
(会合はどうだったの?相当時間掛かったみたいだけど。)
「はあねえ駄目でえ。○○さんが混ざると話しんややこしくなる。」
(もうねえ駄目だよ。○○さんが入ると話しがおかしくなるんだ。)
「なんで?」
(どうして?)
「はあどんどん勝手に決めちゃって周りの衆のことなかとんじゃかないもんでえ、なんしょまあおこれるだよ。」
(もう周りの皆の事なんかお構いなしでどんどん勝手に決めていこうとするんでそりゃもう嫌になっちゃうんだ。)
「なんでえ、ちゃかちゃか決めてく人いたなら早く終わるじゃないだけえ?」
(え~そうなの?パッパ決めてく人がいたなら早く終われるんじゃないの?)
「自分の都合だけでゆってるだもん。そんなじゃ困るもんでみんなして止めて話し進めにゃかんもんで余計掛かるだよ。」
(自分の都合だけで言ってるんだから。それじゃあ困るから皆で止めて話しを進めていかなくちゃいけないもんで余計に時間が掛かるんだ。)
「いるだねえそうゆう人どこにも。」
(いるんだねえそういう人ってどこにでも。)
直訳すれば「とにかく怒れる」であるが、ニュアンスはプンプンとかプンスカとかいう熱している状態ではなくいつまでも燻ぶり続けている勢いでむかついている状態を示す。ある程度怒れるとかいうことではない。
共通語での「まあ」は「何をおいても」・「なんといっても」といった使い方であるが、それとはニュアンスが近くはあるが異なる。
共通語に直すと「嫌になっちゃう」・「呆れちゃう」とかいう言い回しが近いか。ただしそれよりはむかつき度合いは強いが。嫌になる対象に直接ぶつける言葉というよりも他の誰かにぶつけるぼやき・愚痴という使い方が多い。
「まあ怒れたもんでゆったった。」(それはもう怒れたものだから言ってやった。)という使い方も確かにあるので全てが愚痴・つぶやきという訳ではない。
似たような表現との違いは、「なんしょおこれる」は「なんにせよ怒れる」といった冷静に怒ってる的要素が強く「まあなんしょおこれる」と同じようなニュアンスをふたつ繋げる言い回しも存在する。「ホントおこれる」は熱してる状態であり「やっぱおこれる」だと「どう考えても云々」で納得いかないというニュアンスといった違いがある。
「おこれる」の度合いについては強弱に関わりない。つまり「まあどおこれる」でも「まあばかおこれる」とかでもありだということ。でも「まあ」が入るとおこれる度合いは薄まるところではある。