遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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共通語的解釈だと「よくぞお越しくださった」・「ようこそおいでなさいました」とかを親しげに崩した温かい歓迎を意味した形ということになるであろう「よく来たねえ。」
されど遠州弁においてイントネーションによってはこれは
「よくもまあこんなとこにまで来たもんだ。」と歓迎しつつも呆れているという表現となる事がある。
この場合の「よく」は「よくもまあ」というよりも「なんとまあ」というものである。
そのポイントは「よく」と「来た」。平坦に言うのではなく「よ」と「来」を強く言うとそうなる。この場合「なにせえ来たよをこんなとこに」と「こには何をしに来られたんですか?」という問いが暗に含まれている事が多い。
もちろん歓迎の意は大いにあるのだが、その表現の仕方が「いらっしゃってくれました」といったような相手を上げるのではなく「こんな場所によくぞ来てくれた」と自分が下がるといった、つまり相手を持ち上げるのではなく自分が一段下がるというのが遠州弁の言い回しの特徴ともいえるのかもしれない。
もちろん歓迎の意思を抜いた「よくもまあこれたもんだ」と憮然としてるという使い方も存在する。この場合は「よく」と「ねえ」を強く言う。
ちなみに共通語のイントネーションで平坦に「よくきたねえ」と発すると共通語では歓迎であり遠州弁においても普通は共通語と同じ歓迎であるが稀に状況によっては「飛んで火に入るなんとやら」な意味深な勢いで使われる場合がある。
例文
「こんにちは。」
「あんたどこから来たよを。」
「東京から来ました。」
「東京からぁ。へ~。よく来たねえ。」
こう言われて呆れられると他所の方は二の句が告げなくなるらしい。この場合には要件を伝えれば話が進むものである。
「ええちょっと観光に来ました。」
とか。そうすれば
「どこ行くよを」
とか話が進む。ただ呆気にとられてると
「なにせえ来たよを」
と暗な部分を口に出すことになる。
尚、この言い回しのニュアンスは「ダーツの旅 竜洋編」という番組を視て気付いたところである。
そしてこれとは別のイントネーションの違いで「どの面下げてここに来た。」・「恥ずかしくもなくよくこれたなあ。」とむかついてる表現にもなる。まあこれは共通語でも同じか。
この場合の「よく」は「よくもまあ」というものである。
アクセントのポイントは「よく」と「ねえ」。「よく」の「よ」うを強く「来た」は平坦で「ねえ」を強く言う。
例文
「あんたよく来たねえ。どの面下げて来れるよう。」
「この顔だあれ。」
「どむかつくう。」
ちなみに「よう来たねえ」といった「よう」。「よく来たねえ」とどう違うのかというと「ようせん」・「よう言わん」とかいう言い方は遠州では少数派でありそのニュアンスはよく分からないので違いはないと思って日々過ごしている。脱線するが自分の場合「ようせん」については「でけん」・「やれん」、「よう言わん」については「とてもゆえれん」とか言っている。
「だからそれがなに?」と言っているのであり、ニュアンスとして「開き直り」というだけでなく「ふざんけんじゃねえぞ」という含みが多めにある。
この場合の「だで」は「だから」であり「だもんで」(なので・というので)の略形ではなく、「だで」=「だもんで」では必ずしも無いという事が判る「だで」であろう。
昔映画で「ばかやろう わたし怒ってます」みたいなタイトルのシリーズ作品があって、こういうとこで「バカヤロー」と叫んだらさぞかし気持ちいいだろうなというのを具現化した内容の映画があった。
さしずめこの「バカヤロー」は遠州弁であれば「だでなんだあ」であろうかなという言い回しなのである。女性言葉なら「だでなによう」。
「だでなんだあ」は遠州弁における最上級の開き直り表現であろう。突き放しなら「知いらんやあ」哉。
とにかく後を考えずにこれ以上は我慢しないという最終発言として使うには「やあばかっつら」や「うっさいなあ」とかよりも相応しい気がする。もちろん日頃から発してばかりいてはこういった効力はなくただの非協力的な奴の口癖にしか過ぎなくなる。
勢いとしてはとにかくもう後の事はどうなっても与り知らぬという放棄であり制御の解放であろう。
似たような表現で「それんなんだあ」というのがあるが開き直りということでは同じだが
「それがどうかしたのか?」といった勢いでこっちの意見は曲げないぞというものである。つまり憤怒の情はあれどキレてない。
例文
「君なんだねこの営業成績は。」
「それんなんだあ。一生懸命やってるだでしょんないじゃん。」
「なんだその態度は。それが上司に向かって言う言葉かね。」
「だでなんだあ。知るかあ、無茶ばっか言ってよこしゃがってえ。」
遠州弁は「ら」抜き言葉で成立してる部分がある。従って「ら」抜きは罪(日本語破壊)だとて無理に「ら」を入れ込めてしまうと相手に伝わるニュアンスが意図通りに伝わらなくなることがある。(遠州弁的には「ら」ではなく「れ」となるのだが)
例えば「信じれん」。
「信じれん。ホントにやるだか?」
これを訳さば「嘘だろう本当にやるのか?(やる筈がなかろう)」・「本当にやるなんて信じない」などとやらないだろうと思っているという信じないという勢いが占めている事になる。別の言い方をするなら「嘘だろうやるのか?」遠州弁だと「ばかじゃんほんとにやるだ?」。
それを「信じられん。ホントにやるだか?」とすると
「よくやるよなあ」といったニュアンスで訳さば「本当にやるなんて信じられない(理解不能)」・「本当にやるなんてなんで?」などとなる。つまりやるだろうなと思っている上で理解できないことをするよなあという勢いが占めている事になる。別の言い方をするなら「ほんとにやるのか?」遠州弁なら「ほんとにけえホントやるう」。
例文はこれからやる(する)という状態だが(やった(した)という状態であっても)「信じれん」を使うとそのことについて納得できない(しない)・理解不能という事を強く表わしているもので「信じられん」を使うと納得しようと整理中・理解に努めるという状態と見受けられるという違いがある。
「ん」は「ない」の撥音便したもので「信じれない」と「信じられない」と置き換えることになる。
「信じれない」はその行為を行う事を疑ってる・認めないということであり
「信じられない」目の前の(起こる・起こった)出来事に対して頭の整理がつかないという場合に使われるもの。事実は事実と受け止めてそれとどう自身が折り合いがつくか検討中といった勢いを感じる。
言葉を変えて「やってれん」と「やってられん」とするとちょっと強引だが
「やってれん」は「やることが出来ない」であっていわゆる拒否・拒絶。
「やってられない」は「続けることが出来ない」であって非難・批判。
このように区別がある以上「ら」抜きは罪だなんて言われてもああそうですかと素直に応じる訳にはちっとやそっとじゃいかないのが遠州弁なのである。
「なによう、帰れんだけえ。」
(なんだよ、帰れないのかい。)
直訳すれば「どうしてなんだ」であるが、この場合そりゃ残念だ。もしくはそりゃ可哀相にとかいうニュアンスや意外にもという軽い驚きのニュアンスが籠もっている。
「え~帰れんのを?」
(え~帰れないの?)
この場合可哀相というニュアンスはない。とにかく意外だという事(驚き)に重きがいっている。
単に「帰らんだけえ。」・「帰れんだけえ。」だとなんで帰らないんだ・帰れないんだと理由を訊いてる。これだと感情的なものは籠もらない感じになり「なによう」を前に置く事でこちらの意思を付け加えることとなる。
「なによう」という言い方が味噌でありそのニュアンスを正しく伝える筆力がないので苦労するところである。しかしながら遠州弁においてはよく発せられる言い回しでありこのニュアンスを知っておかないと溶け込めない可能性がある結構重要な言葉。
例文訳では「なんだよ」をはめたのであるが「おやどうしたんだい?」・「へ~」・「おやまあ」・「なんとまあ」・「おいおい」とか状況によって変わる便利な言い回しである。
言いにくい聞きにくいような事をあっさり軽めに言いたい場合に発することもある。
語調を荒げれて言えばば「それがどうした」・「おいなんだよ」・「どうなってるんだ?」などというニュアンスとしても使われる。
ちなみに驚きということにおいては共通語で「おやまあ」=「なによう」の上の驚き表現「あれまあ」については遠州弁では「あれえ」という言い方になる。イントネーションは「あ」を強く言う。
例文
「さあ~終わったちゃっと帰るだよう。」
(よっしゃあ終わった速攻で帰るぞ。)
「お疲れね。」
(お疲れ様。)
「なによう、帰らんだけ?それとも帰れんだ?」
(なんでだよ帰らないのか?それともなにか?帰れないのか?)
「急にね。忙しくなっちゃっただよ。」
「あれえ、なんで?ちょっと前まで暇してたじゃん。」
(え~?どうして?さっきまで暇でいたじゃないか。)
「誰かさんがちょんぼこいたもんで帰れんくなっただよ。」
「誰よを。誰かさんって。」
(誰だよ誰かさんってのは。)
「ええで笑ってれるうちにちゃっと帰んな。」
(いいから怒りがこみあげてくる前に早く帰りな。)
「え~!もしかしてわしけえ。」
(え~!もしかして俺のミス?)
「みなきし」・「みなきり」・「みなさら」
意味としては大雑把にいえば「まるごと」・「一切合財」・「全部」とかいう意味である。
「みなきし」と「みなさら」は遠州弁だとしても「みなきり」は共通語だろうと思っていたのだが、なんと辞書・ネット辞書に記載がない。
「みなごと」ならあるだろうと思ったのだがこれも無い。
なんとどれもこれも全部遠州弁だったのか。・・・まあ遠州限定ではなくそれなりの広い地域での方言であろうと思われるが。
ところでじゃあ共通語ではなんと言うのだとなると
「まるごと」・「まるきり(し)」・「まるっきり(し)」
ということになるんだろうか。「皆」が「まる」に変わってるだけと考えられる。
勝手な想像だが「まる」という前は「みな」が使われてたという古い言い回しのではないかと。
古語辞典でそのずばりは見つけられなかったが「皆がら」{副詞}=みみながら。残らず。全部。というのがあった。
こういう言い方があったなら「みなごと」だってあったそうに思える。「皆殺し」とかいう言い方があるのだし。(丸殺しという言い方はないが)。
何の根拠もないが「みなごと」・「みなきり」は古い日本語ではないかと想像するところである。
ところで「まる」=「みな」とした場合、じゃあ遠州ではなんでもかんでも「みな」を使うのかというとそういう事は無い。
例えば「まる焼け」・「まる投げ」・「まる儲け」とかは「みな」を使う事は無い。
じゃあどういう使い分けをしてるんだということになると
ネット辞書によると、「まる」は完全であること。欠けることなく満ちていること。欠いたり割ったりしていないこと。もとのままの全部であること。とあり
「みな」は全部。すべて。みんな。とある。
つまり元のものを分割・小分けせずにといった場合に「まる」で同じような物が複数あるのをすべてという場合に「みな」と使い分けしてる風に勘繰られる。
「倉庫に置いてあったのまるごと持ってかれた」だと倉庫に置いてあった何かがそっくりそのまま持って行かれたと解釈することになり
「倉庫ん置いとったのみなさら持ってかれた」だと倉庫内にあった色んなものが全て持って行かれたと解釈するということである。
遠州弁では厳密ではないがこういう使い分けがなされているのではと思える。
ところで「みなきり」・「みなきし」・「みなさら」はそれぞれどう違いがあるのかというと、よく分からない。多分それぞれにニュアンスの違いがある感覚だけはあるので、これについては今後の宿題として実際に使われてるのを聞き耳を立てることということでいまはなんしょいいとこまじゅう。