遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「なかった」→「なんだ」
「そうしなかった」→「そうせなんだ」
「なかった」と言うのを「なんだ」と言う言い方を遠州弁ではよくする。
「知らなかった」→「しらなんだ」
「やらなかった」→「やらなんだ」
「やれなかった」→「やれなんだ」
「しょうがなかった」→「しょうがなんだ」
「しなかった」→「しなんだ」・「せなんだ」
「出来なかった」→「出来なんだ」・「せれなんだ」
「買わなかった」→「かわなんだ」
「見なかった」→「みなんだ」
「言わせなかった」→「いわせなんだ」
「言えなかった」→「ゆえなんだ」・「ゆえれなんだ」
「持たなかった」→「もたなんだ」
「持ってなかった」→「もちなんだ」
「食べなかった」→「たべなんだ」・「くわなんだ」
「食べれなかった」→「たべれなんだ」・「くえれなんだ」
「くれなかった」→「くれなんだ」
「貰えなかった」→「もらえなんだ」
「貰わなかった」→「もらわなんだ」
「運べなかった」→「はこべなんだ」
「運ばなかった」→「はこばなんだ」
「進めなかった」→「すすめなんだ」
「進まなかった」→「すすまなんだ」
まあきりがないのでこの辺で。とにかく「なかった」→「なんだ」。「無かった」を「無んだ」とは言わないが。
この他の言い方としては「んかった」がある。「な」が「ん」に変わったというもの。
「知らなかった」→「しらんかった」
「やらなかった」→「やらんかった」
「なんだ」との違いは蚊帳の外というかなんというか。
「しらなんだ」だと知らなかったという事でも知る機会はあったけどという風に聞こえる。もしくは知ってる知識の中にそれは無かったといった感じ。
「しらんかった」では主に初耳だみたいな知る機会が今までなかったと言ってる風に聞こえる。
では、「知らなくて」という場合はというと
「しらなんで」となる。
つまり「なくて」→「なんで」ということ。これも「なんだ」と同様で挙げたらきりがない。
他には「んくて」で「しらんくて」という言い方がある。
「知らないで」という場合は
「しらんで」となる。
「知らないでいる間に」は「しらんでるまに」となる。
「ないで」は「んで」ということになろうか。
遠州弁的言い回し
「いくらするよう」とかいう「よう」のニュアンス。
まず、辞書における「よう」は
{助動詞・特殊型}一①主体の意思を表す。「もう寝よう」②相手に対する勧誘を表わす。「さあ食べよう」。③えんきょくな命令や希望を表わす。「ここはひとつ言う通りにしてみようじゃないか」。二①客観的な事態についての推量・想像を表わす。{相手の心情・状況についてのそれをも含む}「容易に理解されよう」②えんきょくな断定を表わす。「このように言えようかと」③反対の意を表す。「こんな所に誰が来よう」三積極的な事態と消極的な事態とを対比させながら想定することを表わす。「食べようが食べまいが」。となっている。
では遠州弁ではどうなるかというと、辞書の意から大きく外れるものではないが微妙に異なると思えるところである。辞書での説明のどれに属するのかはよく掴めないので書けない。
*「いくらするよう」。
言い方にもよるが、一言言いたいとこを我慢してるみたいな猜疑心の混ざった言い方である。返答によってはひと悶着起こりそうな気配大である。訳すと「いくらするのさ」とかであろうか。
別のニュアンスもあるがそれは「どこ行くよう」で述べる。
*「あんたこれいくらしたと思ってるよう」。
ふざけんじゃないわよという憤慨が現われてる言い方である。返答を待つまでもなく既にひと悶着起こっていると思って間違いない。訳すと「思ってるんだよ」。
*「どこ行くよう」。
「いくらするよう」で説明したのと同じ使い方をすることもあるが、そうではない使い方もあるのでそちらの方を説明すると
本人は親愛をこめてる意思であるが、相手にとってはずけずけと踏み込んでくる勢いを感じたりすることも多々あり、虫の居所によっては余計なお世話と思われかねないところである。訳すと「行くんだい」。
*「こっちの方がいいよう」。
「私はこっちの方がいい」と訳せ自分の希望を述べているニュアンスである。当然だが「こっちの方がいいよ」だと勧めていることになり全くの別物となる。
*「いいよう」
もちろんというニュアンスが加わるものである。
「これ使っていいかねえ。」
「いいよう。」(この場合には厳密には「よ」を強く言う「いいよを」と発する)
といった使い方である。「いいよ。」だと承諾というニュアンスでしかない。「いいよう」を訳すと「(もちろん)いいさ。といった感じか。
このように単に「よ」と同じであり、ただ音を伸ばして親しみ感を増すものという事では無い。
「いくらするよ」だとそのニュアンスは「いくらするんだ?」といった軽い詰問調である。「よう」は自分の意思の含み具合を示す言い方であろうか。
遠州弁的言い回し
超初歩の「ばか」の色々な言い方の違い。
*「ばかだやあ」は「ばかだなあ」
使い方例、思いっ切りボールを蹴ろうとしたけど空振りしたあげくに転んだ様を見て「ばかだやあ。」と言う。呆れてるニュアンスが多く含まれる。
*「ばかだにい」は「ばかなんだよ」
使い方例、いつも同じような失敗を繰り返してそれの対処を忠告しても聞きいれない奴に呆れて他の人にそのことを話す時「ホントあいつばかだにい」。
*「ばかだに」は「ばかだよ」
「だにい」よりも言い切り感が強い。断定してる。
*「ばかだらあ」は「ばかだろう」
使い方例、信号が赤に変わってるのに突っ込んだのを白バイに見つかった奴の話しをしてての最後の締め言葉として「信じれんらあ、あいつばかだらあ」。共感を得ようとしてるニュアンスが濃い。
*「ばかだら」は「ばかだろ」
使い方例、ついこの間信号無視で捕まったばかりなのに反省もなく再び同じとこでまた捕まった奴の話しをしてての締めの言葉「やっぱあいつばかだら」。同調を求めるニュアンスが濃い。
*「ばかだか」は「ばかなのか?」
使い方例、そうやって何度も痛い目に遭ってるのに反省の色なく信号無視を繰り返す奴を見て「あいつばかだか?」。自分の考えが合っているのか他の人の意見と摺合せしようというニュアンス。
*「ばかけえ」は「ばかか?」
使い方例、出来そうに思えたのにそうじゃない事に気づいてそれを人に確認しようという際「あいつばかけえ。」。自分の考えが違っていたのか他の人に訊いて確認しようとしている。エ○ァンゲリ○ンでの有名な台詞「あんたばかあ?」(ただし愛情表現の裏返しではなく単なる呆れの場合)はこれに属するものと思われる。
*参考までに「ばかづら」
現在は使われていない旧遠州弁。
イントネーションを変えれば殆どのニュアンスの意で使えることが出来る万能表現。
少しレベル上げて
「ばかかあ」は「冗談じゃないね」・「無茶だね」。
「ばかかあ?」は「とんでもないことを言ってるぞ」・「頭どうかしてるぞ」。
「ばかこけ」は「冗談はよせ」・「無茶言うな」。
「ばかじゃん」は「馬鹿みたい」・「ついていけない」。
使い方例は、子供に交じって真剣に喜々として遊んでる大人を見て「ばかじゃん」。
「ばかだや」は「ばかだわ」。
遠州弁的言い回し
使い方「言ってもしんに」・「何もしんに」
「誰もそんなこと言ってもしんに」(誰もそんなことは言ってないだろうが)
とか言う風に使う「もしんに」。直訳するならこの場合「してもいないだろうが」。詰め寄る言い方である。
「言いもしんに」だと「言わないじゃないか」・「言いもしないのに」などと訳せる。
「何もしんに」だと「何もしないのに」。ニュアンス的には「何もしてない癖に」という感じで訳せたりもする。「あんたなにもしんにようゆうわ」。まあ「癖に」が略された言い方ともいえるし実際は「あんたなにもしんだにようゆうわ」となるが。
細かく色々とニュアンスが変わる表現である。まあすべて同じ言葉といえるのかどうかということもあるが。
以前記事にした「いもせんに」と同じような表現といえる。「し」と「せ」の違いは「しない」と「せぬ」の違いであろうか。ニュアンス的に訳すと「~しない癖に」とした方が正しい気がしないでもない。遠州では「し」と「せ」以外にも関西風の表現であろう「へ」を使う人もいる。
「しもしんにい」と「い」が入ると「しないじゃないかあ。」という訳が当てはまるであろうか。
「しもしんに」だと「してもいないじゃないか」又は「しようともしてないじゃないか」となる。
「に」を抜いて「しもしん」だと「してないだろ」。
「も」が付かないと「しんに」となるがこの場合は「せんに」・「へんに」を使う事の方が多い。
「言やしんに」ではなく「言やせんに」・「言やへんに」といった具合。
他には、「もしてんら」と言う言い方があり「もしてんに」との違いは「ら」だと「してないだろ」で「に」だと「してないだろうが」という違いになる。
例文
カタログを眺めてどれを買おうかと楽しんでいる人とそうでない人の会話。
「どれにしっかな。」
(どれにしようかな。)
「それにしない。」
(それにしなよ。)
「なんでよう、ちゃんと見もしんでよくゆえるねえ。」
「んなもんなんだっていいだあ。どれも同じじゃん。」
「失礼こいちゃうやあ。あんた使いもしんに。使いもしん人に違い分かる訳ないじゃん。」
この場合「あんた使わないじゃないの」と訳せる。
遠州弁的言い回し
「いんで」。以前書いた「いんで」(退出・退場しての意)とは別物。
例、「ああ、それまだやっちゃいんでさわらんで」
遠州弁独特という訳ではないだろうがよく使われる言い回しなので記載。イントネーションは平坦。
「いんで」→「いないので」。「い」を関西風味の増す「へ」に変えての「へんで」も通じる。
まあシンプルな変化ではある。細かいこと言えば「いないで」と訳すべきではと思えがちであるが共通語に訳す際には
「ああ、それまだやっちゃいんでさわらんで」(ああそれはまだやっていないから触らないでくれ)
といった「で」を「ので」や「から」としないと繋がりが悪くなるので「いないので」とかとするのが無難な気がする。細かい御託は記事「で」に並んでいるのでそれをご参照あれ。
「いないもので」だと「いんもんで」となる。
「いなくて」だと「いんくて」。
「いる」以外にも「する」で「しんで」・「しんもんで」・「しんくて」、「見る」で「みんで」・「みんもんで」・「みんくて」などという風に使われる。
ちなみに「みんもんで」の場合イントネーションが平坦だと「ので」で、頭高だと「から」という使い方が多い。
「ちゃんとみんもんでかんだに」の場合平坦だと「ちゃんとみないので駄目だったんだよ」と失敗の原因を述べている勢いになり、頭高で「みん」を強く発するとだと「ちゃんとみないから駄目なんだよ」といった失敗を責めている感じとなる。このイントネーションによる使い分けは「みんもんで」特有で他の「いんもんで」とか「しんもんで」とかには無い。
例文
とある外の様子が見れない一室で外の様子を見てきた人と外の様子が分からない人の会話。
「ねえ、雨降って来たにい。」
「うそ、わし今日傘持ってきちゃいんで困ったやあ。」
「わしも持っちゃいんもんで同じくだやあ。」
「いやあ、止むまで待つ訳にゃいかんもんで、どうしっかなあ。どんくらい降ってるよう。」
(参ったなあ止むまで待つ訳にもいかないから、ん~どうしようかな。一体どれくらいの勢いで降ってるのさ。)
「ぽつぽつかな。」
「なんだ、それっぱかなら慌てんでも好かったじゃん。もう驚かせんでやあ。ちゃんと見んもんで。」
(なあんだそれくらいなら別にあわてなくてもとかったじゃないか。もう驚かせないでくれよ。ちゃんと見てくれよな。)
「わからんよを、これから強くなるかもしれんじゃん。」
(そんな事無いさこれから雨が強くなってくるかもしれないだろ。)