遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「そんなこんゆうならあんたやってみい」
「やってみ」ではなく「やってみい」。決して「み~」と伸ばすものではない。
この「い」は「やりない」・「見てきい」とかと同じものである。関西でも使いそうな感じであり遠州独特という訳ではなさそうだ。
意味は古語辞典には
「い」{終助詞}①呼びかけの意を表す。②命令の意を確かにする。③強めの働きをする。とあって遠州弁の「い」はまさにそのままである。
ちなみに国語辞典では
「い」{終助詞}①(男性が同輩以下もしくは同輩に対して使う。まれに高年の女性も使う)親しい間柄にある相手に気楽な気持ちで質問する文の末に付けて用いる。(ねよりはぞんざいな言い方)。「元気かい」・「それはなんだい」②(主として男性が使う)「心外だ」とか、そうしてくれなくては困るという意味の文の末に付けて用いる。(「よ」よりは相手を責める意が強い)。「何言ってんだい」・「早くしろい」。③相手に何かを訴えたい気持ちを表わす文の末に付けて用いる。「大変だい」・「間違えちゃったい」。とある。全くというわけではないが遠州弁の「い」とは離れている。
ちなみに①の例文「元気かい」は遠州弁だと「元気けえ」②の「何言ってんだい」は「なにこいてるだあ」(女性なら「なにゆってるよを」)③「大変だい」なら「大変でえ」とかになる。おそらくだが共通語の「い」は遠州弁では「え」が当てはまるような気がする。
「い」は「よ」と訳せるのであるがニュアンスは「よ」程に強い言い方ではない。これは国語辞典「い」②とは逆っぽいくらいである。
「そんなこんゆうならあんたやってみよ。」
(そんなこと言うのならあなたやってみなさいよ。)
「そんなこんゆうならあんたやってみい。」
(そんな事いうのならあなたやってごらんよ。)もしくは(みやってなよう)
とかいった違いとなる。この場合の「い」は古語辞典①+②の使い方であろうか。ちなみに
「そんなこんゆうならあんたやってみ。」と「い」を使わなかった場合。
(そんな事いうのならあなたがやってみて。)もしくは(みやってみなよ)
というニュアンスになる。蛇足であるが「みいな」という言い方とかもあって
「そんなこんゆうならあなたやってみいな。出来やせんに。」
(そんな事言うのならあなたやってごらんなさいな。出来やしないから。)
となる。例を変えて
「ほれみ」(どうだ・どうよ)よりも「ほれみい」(そらみたことか・言わんこっちゃない)で「ほれみよ」(言った通りじゃないか・どうだまいったか)といった違いというところもある。これは古語辞典①+③の使い方であろうか国語辞典の③も遠くはあるが近いものはあろうか。
まあ、そんなこんなで「にい」・「みい」・「ない」とかは意味も無く長音で語尾が伸びてだらしないという事では無くきちんと意味があって「い」が付いているということである。しかも訳すとしたら「よ」であるがそのニュアンスは「よ」ほどきつくないという共通語には無いものである。「ろ」でもきつく感じるかな。
命令・指示ではあるが、諭す・促すといった勢いで使われる事が多いのが「い」なのである。
遠州弁的言い回し
「やってみよや」・「みしてみよや」
「そうしよや」・「起きよや」
昔の歌で「天然の歌」というのがある。
見よや人々、美しきこの天然の・・・とかいう一節で出てくる「みよや」。
ニュアンス的に今風に直すと「ご覧なさないな」で、歌の場合人々(不特定多数)ということだから「はい皆さん注目!」ってな感じになるのかな。訴えるという勢いか。
では遠州弁のニュアンスでこの歌の「みよや」に当てはめてみると、「みろよ」・「みなさい」であるので「あんたら見なよちゃんと。ばかけっこいこの天然の・・・・」といった感じになる。共通語だと「ちゃんと見なさいよ」・「見ろよ」とかになろうか。つまり強要もしくは強い要請に限りなく近いもので訴える要素は殆ど無い。
遠州弁の「みよや」にはムッとしてるというか感情的に怒ってる風に受け取れるものである。
「そこまでゆうんならやってみよや。」
「そんな怒らんだっていいじゃん。」
「怒ってなんかいんわあ。ええで早くやってみい。」
とかいった風に実際本人怒っていなくても聞く方はそう聞こえるのである。
もしくは上から目線で言われてる感じがするところであり年上の発言ならどうということもないが年下及び同列から「みよや」と言われたりなんかしたら角が立つ事この上なしとて。
しかしながら時代劇なんかでは「みよ」であり「みよや」とはお殿様とかはあまり言ってない気がするところである。
昔からの言葉が遠州では生き残ってるという感じではなさそうに思えるところである。
まあ「みよ」+「やあ」ということで「や」(やあ)だけが遠州弁と考えれば屁理屈的にはもう少し説明がつくところであるが。実際に使われてるニュアンスから訳すとなると
「よや」=「ろよ」
で十分説明がつくものである。これならお殿様とか高貴な人が言う筈もなかろうと。で、使用するには年齢の高い人が相応しく若くして言うと喧嘩を売ってると思われる傾向にある。
例文
「やあ、ちゃんとしよやあ。」
「なにがあ、ちゃんてしてるじゃん。なにゆってるよを。」
「どこがちゃんとだあ。出したもん出しっ放しで出たごみはほかっときぱなしでゴミ箱だけは綺麗っつうのはちゃんとしてるっつえるだか?」
「やることやってるだもんでそんな細かい事どうだっていいじゃん。」
「人としてどうかっつってるだあ。」
「いいだよ。家じゃあこんなことしてないだで。」
いつでもどこでも綺麗好きという人もいればオンオフで真逆の人もいる。職場では綺麗好きでも家はゴミ屋敷。その逆もあろうか。
遠州弁的言い回し。
「あれ・これ・それ」の「あれ」とは別種の「あれ」。
レベル 日常茶飯事レベル 男女共用。
「あれ・これ・それ」の「あれ」で「あれ」と言えば「どれよ」などと応えたりするものだがここで述べる「あれ」は「あれ」と言えば「なによう」などと応えるものである。
ここに述べる「あれ」は、感動詞{代名詞「あれ」の変化}意外な事に気づいたり感動したり思わず出す声、と辞書にある「あれ」である。イントネーションは「あ」を強く発する。「あれえ」も「あ」を強く発するものである。
以前「あれ」の記事にも書いたが「あれ松虫も鳴いている」というお唄のままのイントネーションの「あれ」である。
注意点は共通語では「あれ」で「れ」を「あれえ」でも「れ」を強く言う「あれ?」・「あれえ?」があるがニュアンスが違う別物である。
例えば「あれ、どうしたよう」と「あれえ、どうしたよう」ではそのニュアンスは異なる。
「あれ」とした場合訳は「おやどうしたんだい」。
「あれえ」とした場合「なんだよどうかしたのか」。
「あれ」は意外というニュアンスが濃い。「あれえ」を使うと首を突っ込みたいという意欲が見受けられる。
ちなみに共通語の「あれ?」・「あれえ?」だと
「あれ?」は「え?どうしたの?」という驚き。
「あれえ?」は「変だな(おかしいな)どうしたの?」といった疑問。
といった違いになる。
「あれ久し振り」と「あれえ久し振り」だと
「あれ」なら「あらお久し振り」。
「あれえ」なら「まあ(なんと)久し振りだねえ」。
「あれえ」にはびっくりしたというニュアンスが多く含まれる。
「あれ」は意外だ、突然だといったものである。
「あれ知らなんだだ?」(え?知らなかったの?)
「あれえ知らなんだだ?」(おやあ知らなかったのかい?)
この場合の「あれえ」には俺は知ってるよという優越感もしくはなんだ知らないのかよと小馬鹿にしてるニュアンスが加味されて聞こえる。
「あれ、なにゆってるよう」(ちょっと、何言ってるんだよ)
「あれえ、なにゆってるよう」(おいおい何言ってるんだよ)
今まで「あれ」には大抵意外というニュアンスが占めるものであったがこの場合は即応という要素が多くなる。「あれまあ」はあるが「あれえまあ」という言い方は無い。
遠州弁的言い回し
といっても全国的な言い回しであろうが。
「しょぼい」と「へぼい」
もしかしたらニュアンスが地域によって異なるのかなと思って記載。
レベル 超個人的な感覚で物言ってるのでレベル外
全国的な言い回しで遠州弁ということでもないのだろうが
「しょぼ」と「へぼ」だとその意味するところに隔たりがあるのに
「しょぼい」と「へぼい」となると似たような意味使いになるというのは不思議であるよな。
「しょぼい」とは「せこい」・「みみっちい」とかいった、勢いのなさをなじるものである
「へぼい」は「下手くそ」・「手際が悪い」とかいった、勢いを殺してることをけなすものである。
下手だからせこく映る訳だし、せこいから下手に見えるとかいう相乗効果というもので連なるからであろうか。
辞書をひくと
「しょぼい」{形容詞}(俗)期待以下の内容で、がっかりさせられる様子だ。
「へぼ」(俗)①技術がへたなこと(人)。②(果物などの)実り方が不完全なこと。
とある。「へぼなす」とは実が熟してない茄子ということか。
実際の使う感覚からいうと、例えば家庭菜園の野菜が上手く実らなかった時「しょぼい実が生った」と発し「へぼい実が生った」もしくは「へぼな実が生った」とは言わないような気がする。これは自分が間違っているのか?
辞書に載っていないということで「しょぼ」と「へぼい」は地域が限られた言い回しなのかと勘繰れなくもない。 「しょぼ」とは「しょぼい」を略した表現とも勘繰れるか。「へぼい」は遠州弁によくある「い」を付けて形容詞化させるというパターンかもしれない。
「しょぼくさい」だと「しみったれた」というイメージが強くなる出し惜しみのニュアンスが感じられる。貧相(みすぼらしい)という穿った使い方もあるやも。
「へぼい」は「未熟」というニュアンスであるが「へぼ」の②の意味使いは無くあくまで人に向けて発せられる言葉であろう。「へぼ将棋」という言い方があるがこれは両者共に下手な将棋差しという将棋の内容を指すものであるが「へぼい将棋」となると打ち手が下手ということに聞こえる。って強引過ぎるか。
ちなみに「へぼくさい」という言い方は聞かないので多分無いのであろう。「へぼっぽい」・「へぼっちい」・「へぼっぴい」とかはある。
「しょぼくさい」・「しょぼっちい」・「しょぼっぴい」はあるが「しょぼっぽい」は聞かない。
まとめではないけど
「しょぼい」は情けないとかがっかりというニュアンスを込める際に使われるものでしょぼくないもの(期待するもの)が連想されるから出る言葉であろう。
「へぼい」はへたくそなどとけなす際の悪口系という勢いが強い感じがする。こちらはへぼくないものを明確にイメージして発してるという気がしない。つまり期待をとかではなく見たまんまの評価といった感じであろうか。
過失度合いが弱ければ「しょぼい」で強ければ「へぼい」という使い分けという感じもするところで、だから似たような表現と思えてるのかもしれない。(過失=そう・するつもりは全く無かったのに、不結果をもたらすこと。)
これが「しょぼ」・「へぼ」だと共に非難系の表現で同じように思えるけれども意味が「みみっちい」と「下手」といったそれぞれ異なるもので強弱の使い分けではないから似てる表現と思えないのであろうな。
遠州弁的言い回し
傾向として遠州弁っぽいのは
「いけん」「と「いかん」どっち?
別に答えはないのだが。
レベル どうでもいい話しレベル
「いけない」を「いけん」というのは遠州弁っぽくはない。
遠州弁っぽくというのであれば「かん」・「いかん」であろう。
「どうにもいけん」(万事休す)ではなく「どうにもかん」。
「どうにもいけん」だと「どうしても行けない」と聞き違いする可能性もある。
つまり「いけん」は「いけぬ・いけない」であって「駄目」というのなら「いかぬ・いかず」の「いかん」・「かん」を使うという事である。
っぽくはないと述べたのは、使わないわけではないからである。
普通は「持ってっちゃかんだにい」というのであるが
「持ってっちゃいけんだにい」(持っていったら駄目なんだよ)
こういう使い方をする人も確かにいるのである。
でも「どうもいまひとつ乗れて(うまくいって)ないんだよな」というのを「なんかいまいちいけんだよな」と言うより「なんかいまいちいかんだよな」と言う人がやはり多い訳で、「いけん」は「っぽく」ないと思えるところである。
どっちも使われているのでどっちが遠州弁とかいう話しじゃないのだが傾向としては「いかん」を使うのが主流という感じがする。
ちなみに「あかん」はどうかというと、直感的には関西の言葉?とイメージされるものであり使うとなると意味としては「らちゃあかん」の「明かない」という印象の方が強い。