遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
共通語は「忘れられない」
遠州弁だと「忘れれない」→「忘れれん」
レベル 言葉弄りのどうでもいいレベル
「忘れられない」と「忘れれない」。
「ら」抜きと言ってしまえばそれまでの話しであるが、「ら」抜きを強調する展開ではなく言ってみてのニュアンスの捉え方の違いを書いてみる。
「忘れられない」は「忘れたくない」といった意思のニュアンスを含んだりもするが
「忘れれん」だと「忘れたいが」といった忘れたくてもなニュアンスで占められるものである。
ちなみに「忘れん」だと「忘れない」という意味使いももちろんするが、それ以外にも「忘れてもどうってことないのに」何故か覚えてるといったニュアンスで使われる事も多々ある。
ならば「忘れられない」のニュアンスを伝えたい場合には遠州弁ではなんと発するかというと
普通はまんまで「忘れられん」を使うものであるが遠州弁っぽくを意識して強いて捻り出せば「忘られん」・「忘れえん」とかになるのかな。ちょっと飛躍して「忘れようんない」(ん=が)とかか。強引過ぎたな。
例文
「覚えにゃかんこんはおぼわさらんだあ、忘れれんこんは嫌でも覚えてるだいね。」
「普通そうだらあ。おぼわすと思っててもおぼわさらんもんな。」
「ホントだよ。変なこんばっか忘れれんだもんで。ホントしょんない。」
「まあそうゆうもんだって。」
遠州弁的言い回し
「~だっつんで」
「~だっつうんで」
はてどう違う?
レベル 日常ごちゃまぜレベル
「つんで」と「つうんで」。
さてどう違うかということを書くのでが、実際のところはいっしょくたあ(ごちゃまぜ)になっていてあまり差異はついていない。
基本的には「っつんで」・「っつうんで」と前に「っ」が付く形になる事が多い。
「笑っちゃうっつんで」
訳さば「笑っちゃうってんで」・「笑ってしまうてなもんで」。砕けて訳せば「笑っちゃうよなホント」・「笑っちゃうってか」
「笑っちゃうっつうんで」
訳さば「笑っちゃうというので」・「笑ってしまうというから」
とかいった違いとなる。したがって繋がる文章を考えると
「なんしょ笑っちゃうっつんでとてもじゃないが我慢できんやあつって出てった。」
(どうしても笑っちゃうんだよなと笑いをこらえきれないからといって席をはずした。)
「なんしょ笑っちゃうっつうんで『あんた失礼だに。』って怒ったった。」
(なにしろ笑っちゃうというものだから「それは失礼だろう。」とたしなめてやった。)
といった具合になろうか。
「つんで」は江戸っ子風味の「てんで」・「てなもんで」と殆ど同じかと思え
「つうんで」は「というので」の変と思えるところである。
似てるようで大いに違うものである。
遠州弁的言い回し
「しょんない」と「しょんねえ」は
やっぱり違う。
レベル 個人的感覚
「しょうもねえ奴」だと手に負えない奴という意味で、怒ってる要素も多少含まれるニュアンスの悪口・陰口である。勢い的には「仕方のない」に近い。
「しょんねえ奴」だと手の焼ける奴とかいう意味で、困ったもんだといったニュアンスなのであるが、許せるという許容範囲内のもので悪口・陰口の類いではない。分類するなら愚痴・不平といったものであろうか。勢いとしては「しょうがない」に近い。
「しょんない奴」となると突飛な奴突拍子もない奴とかいった意味で嫌いというのなら悪口というものになり好感を持っているのなら呆れるといったニュアンスで話しのネタの主人公を指すものとなろうか。または箸にも棒にもかからない奴とかいったニュアンスで使われたりもする。話しのネタの登場人物とはいえ本人が居ない時にという使い方ばかりでなくもちろん当人に直接「しょんないやっちゃなあ」とか発したりもするところであるが。基本親しみの籠もったものである。
蛇足で「ひょうきんな奴」・「ひょんきんな奴」とかと「しょんない奴」はそのニュアンスが被るのではないかというと
「ひょんきんな人」と発すると、その意は「変な人」・「おかしな人」というものである。意味使いには二通りあって、ひとつは協調性とかからすると異質なという悪い方の意味使い。これの場合には「しょんねえ」に近いニュアンスということになる
もうひとつは、その程度のほどは思わず引いてしまうような異質なものではなく突飛という勢いのもので、「なに馬鹿やってんの」とかなつっこみといったものである。こちらは「しょんない」に近いニュアンスという事になる。
つまり批判・悪口とかいったものではなく愛嬌を伴ったつっこみといった勢いのものである。たまあに軽薄といったニュアンスが含まれる使い方をすることもあったりする。
そういう意味では共通語の「ひょうきんな人」と大した違いはないところであるが、「剽軽な人」と言うよりも「ひょんきんな人」と言った方が親しみ度合いが増すものである。
で、「ひょんきん」と「しょんない」の違いはというのは「しょんない」を使うとおふざけてなくて真面目(真剣)にやっての上での突飛という勢いが強く、「ひょんきん」を使うとふざけてる突飛さという勢いが強くなるといった違いが感じられるものである。
できれば関わりあいたくない領域というのは
「しょうもねえ奴」・「しょんねえ奴」
関わる事に苦を感じるものではない領域というのが
「しょんない奴」
微妙(場合によりけり)なのが
「ひょんきんな奴」
といったところであろうか。
遠州弁的言い回し
「調子こく」と「調子にのる」
微妙にニュアンスが違う
レベル 微妙レベル
「調子こく」と「調子に乗る」、「調子こいてる」と「調子にのってる」。
「調子こいてる」は「図に乗ってる」といった悪乗りという勢いで
「調子にのってる」はおだてられたりでいい気になってるという勢いといった違いを感じる。
「調子にのる」だと物事が順調に進む様を表わしたりするいい意味使いをすることもあるが、「調子こいてる」では「調子こく」にしてもつけあがるとかのみでいい意味使いをすることは殆ど無い。
「こく」は全国に広がる言い回しであって、こうした使い方は別に遠州に限ったものではなかろうが、もし異なっているといけないので一応書いてみた。
それでもまあ、「調子こいてんじゃねえぞ」も「調子に乗ってんじゃねえぞ」もむかついてるんだぞという意味で変わりは無いが。
「調子に乗ってきたから早く終われそうかも。」という言い方はあっても
「調子こいてきたから早く終われそうかも。」はいかにも不自然である。無理して説明つければ「つけあがってきてるので途中で打ち切りとなるから意外と早く終わるやも。」と解釈できなくもないが苦しいな。
ま、とにかく些細な事だけど一応書いといた。
遠州弁的言い回し
「捕まった」を「つかまさった」と言う事。
間違いではないがなんかね。
レベル 個人的感想
前後の文章の流れがなくただ単に「つかまさった」という言い方されるとその解釈は
「掴まった」(つかまった)
「捕まった」(つかまった)
「捕まりになられた」(まあこんな大層な敬語っぽいものではないが)
といったいくつかが頭に浮かぶという結構中途半端というか明確でないものになる。決して間違った言い方ではないのだが。
ならば実用としてはどう言ってるかと考えるに
「掴んだ」の場合は「つかまさった」・「つかまえさった」・「つかみんさった」
「捕まった」だと「とんまさった」・「とんまった」・
「捕まりになられた」は「とんまさりさった」・「とらまさりんさった」・「とらまわれた」
ちなみに「捕まえた」だと「とんまえた」・「とらまえた」
「掴む」で「つかまえた」
とかいったものが思い浮かぶ。
掴まるでの使い方例としては(必ずこう言うというものではないが)
「ちゃんと掴まっていなさいよ。」は「ちゃんとつかまさってんとかんにい。」
「準備はいい?ちゃんと掴まった?」で「準備いい?ちゃんとつかまさった?」
捕まるという方は「とんまる」を使う事で掴まるとのこんがらがりを防いでいるともいえようか。
それでもやはり「捕まる」を「つかまる」で言いたいということであるならば
「あの人捕まったんだってさ。」というのを
「あの人つかまさっただってや。」というのもアリだが
「あの人つかまんさっただってや。」と言う方が自然な感じがする。で、ちっと丁寧にしたいのなら「あの人つかまりんさっただったてや。」とかになるであろうか。
この場合の「ん」は元がなんなのかは邪推不足でまだ不明だが。
いずれにしてもやっぱ「あのひととんまさっただってや。」という方が楽である。