遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「貸せれる」と「貸せる」
「ら」抜きと「られ」抜きということになるのか?
共通語で「いくらまでならお金を貸せる?」という文章。(東京発信のテレビでそう言ってた。)
遠州弁だったら「いくらまでなら貸せれる?」となる。
そうなるとこれは「ら」抜き言葉だから「いくらまでならお金を貸せられる?」としないと標準語にはならないという論法になるのだろうか。(よくわからないが。)
共通語は「貸せる」・「貸せない」
遠州弁は「貸せれる」・「貸せれん」もしくは「貸せん」。遠州で「貸せる」と発すると「貸す」と解釈されることもある。
標準語は「貸せられる」・「貸せられない」
という事になるのか。だとしたら共通語は「られ」抜きということだよな。
共通語でもなければ標準語でもない。それでいて大きく異なっているわけでもないというのが遠州弁といえそうである。
ちなみに逆の「返す」というのは
「返す」・「返さない」・「返して」でこれは共通語も標準語も一緒だろうか。
遠州弁だと「かやす」・「かやさん」・「かやいて」などとなる。
例文
「おい、せんひきかやいてやあ。」
「なにゆってるよを。『貸して』っつったら『貸せれん。』っつって貸してくれんかったじゃん。」
「じゃ、それ誰の使ってるよを。」
「しょんないもんで買い行っただよ。」
「じゃ、わたしんのどこいったよを。」
「知らんよを。なんで知らんとかんよを。」
遠州弁的言い回し
「してこっか」
レベル 日常茶飯事レベル
まあ、遠州独特というものでもなかろうが遠州での使われ方をば。
例として
「じゃあわし先行ってこっか。」。訳さば「なら私が先に行ってこようか。」。
「こっか」=「こようか」ということになるわけであるが
他の言い回しとして「かっか」というのがあり、これとはどう違うか。
「じゃわし先行かっか。」を訳さば「なら私が先に行こうか」となる。
「かっか」=「こうか」ということになる。
「見てかっか」と「見てこっか」だと「見ていこうか」と「見てこようか」という事になり、大袈裟にいえば寄り道と偵察の違いが出ると言える。
「あの店に売ってるかもだで見てかっか。」
とりあえずあるかどうか見てみようよという誘い。「わし見てかっか」と言えば自分だけが行ってくるよと言ってる事になるがこの場合「わし」が付されていないので共に行こうと言っている。
「あの店に売ってるかもだで見てっか。」
じっくりかどうかはそれぞれとしてきちんと(普通に)商品を見ようじゃないかという誘い。
「あの店に売ってるかもだで見てこっか。」
「かっか」とほぼ同じなのであるが勢いとしては自分が行ってくるから待っててという感じが強くなる。強くなるだけで必ず自分だけ行ってくるというものではなく一緒にいこうと誘う際にも使われるものであり自分が乗り気だというのが増す言い回しとなる。
ならば、「か」と「こ」があるので「きっか」・「くっか」「けっか」とかもあるのかというと
「見てくっか」というのはある。
「見てくるか」と訳せる。「飯も食ったで仕事やってくっか。」(ご飯も食べたからさあ仕事をしてこようかね。)という使い方。それ以外にも先の例文での「あの店に売ってるかもだで見てくっか。」という見に行くけどいいよねといった承諾を求めるような使い方もされるものである。
「見てきっか」というのもある。
訳すにむつかしいのだが直訳すると「見て来っか」で「来」を「こ」と読むか「き」と読むかの違いみたいなものでニュアンスで訳すと「みてこっか」とほぼ同じな気がする。なんで二種類あるのかが説明できなくて難しい。
「見てけっか」についてはおそらく無い。
ややこしいのは「見てたけっか」で「見ていたんだっけ」という言い回しがある点。これは別物。
話し若干戻るが、「かっか」と「こっか」の違いには他には、「かっか」の使い手は比較的年齢層お高めであり「こっか」は全年齢層が使うという違いもある。
遠州弁的言い回し
「おこれてくる」
これはこれで完結だろう。つまり訳しようがない。
という気がする。
「おこれる」(怒れる)は共通語だと思っているのだが、それでもまあ遠州弁(共通語じゃない)という前提で話しを進めると
「おこれてくる」(怒れて来る)というのは共通語に直すと何になるんだ?
考えてみても思いつくものがない。つまり置き換えられない。ということはこれで完結か?強いて挙げれば
「怒りが湧いてくる・増してくる・こみあげてくる」とか「むかついてくる」。崩して言わば「むかむかしてくる」。
とかいった意味になるのであるが。やはり「おこれてくる」は共通語だろうと思えてならない。
まあ共通語は「怒れる」で「いかれる」と読むんだということであれば「おこれる」は確かに方言チックという事になろうかな。
ってことは、「怒れてくる」は共通語では「いかれてくる」と読むが普通ってことになるのか。憤怒の情が勝って常軌を失うから「イカレてくる」ってことに繋がらなくもないところだがこれは完全なこじつけだろうな。
冗談ついでにいえば「怒れる者久しからず」というのは「いかれる」より「おこれる」といった方がより「驕れる」(おごれる)に近くていいと思えるのだがそんなニュアンスが通じるのは遠州弁の使い手だけということになってしまうのか。
ちなみに
「ばかおこれる」は訳すと「とてもむかつく」とかで
「ばかおこれてくる」は「とてもむかついてくる」
「ばかおこれた」で「とてもむかついた」という事になる。
蛇足だが、「ばかおこれれん」は「とても怒るという事ができない」。
ただし、この場合の「ばか」を訳した「とても」の意味は「とてもじゃないが」という事になる。例としては「周りが静か過ぎてばかおこれれん雰囲気だった。」(周りが静か過ぎてとてもじゃないが怒りだせる雰囲気じゃなかった。)。
凄く(強く)怒るとしたい場合には「ど」とかを使う事が多い。「こっちにも非があるもんでどおこれれんかった。」(こちらにも非があるものだから凄くは怒ることが出来なかった。)。
例文
「あの野郎とっとと先帰っちゃいやがってどおこれるやあ。」
「一応、一言言ってったけどね。」
「なんてえ。」
「待ってれんで先帰るって。」
「ゆっときゃいいっつうもんじゃありもへんにい。」
「わしに怒ったってしょんないじゃん。」
「まあ、そりゃそうだけど。今度会ったら説教だ。」
遠州弁的言い回し
「ら」と「だら」の違い。
レベル 初歩レベル
他所の地方の人が遠州弁を覚えようなんて危篤な(逝っちゃてる)人はまずいないとは思うが
使い分けとして名詞+だら・形容詞+らと決まってる訳では無い。
「これ何よを。」に対して
「扇風機だら。」はあっても「扇風機ら」は無いという理屈は確かに有る。もしかして屁理屈的に名詞+らというパターンは無いとはいえるやもしれない。
しかして形容詞+だらという形は存在するものである。
例えば「寒いら」と「寒いだら」
訳すと「寒いら」は「寒いでしょ」。「寒いだら」は「寒いんだろ」・「寒いのだろ」。
「そんな薄着じゃ寒いら。」(そんな薄着では寒いでしょ。)
「そんな薄着じゃ寒いだら。」(そんな薄着だと寒いんだろ。)
これに「らあ」と「だらあ」を加えると
「そんな薄着じゃ寒いらあ。」(そんな薄着では寒かろう。)・(寒いだろうに)
「そんな薄着じゃ寒いだらあ。」(そんな薄着だと寒いんじゃないのか。)
まあ、脱線したが形容詞だあ名詞だあとかの理屈から「ら」と「だら」の使い分けを考える七面倒くさい手順よりも、「ら」=「ろ」・「だら」=「だろ」・「らあ」=「ろう」・「だらあ」=「だろう」という風に考えて置き換えた方が分かりがいいんじゃないかと思える今日この頃。
こうした使い分けが実際成されていそうであるので、なにかで目にした「ら」と「だら」は同じものであるが「だら」は三河・遠州で「ら」は駿河の言葉という地域によって使い勝手具合(使用頻度)が異なるという理屈はこと遠州に於いては一概にそうと言い切れない気がする。時として「ら」を「だろ」という意味合いと成す使い方もあるがそれは特殊なという感じがする。
例えば「そんじゃあ寒いらに。」。「そんじゃあ寒いだらに」とは言わないが訳すと「それじゃあ寒いだろに」となるといったもの。
従って必ずしも「ら」=「ろ」・「だら」=「だろ」・「らあ」=「ろう」・「だらあ」=「だろう」という風になると決定づける事は出来ないが初級編としてはこう考えるのがとっつき易くは無いだろうかと思える次第。遠州では「ら」も「だら」も使うものである。