遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「なんしょかんしょ」
今は使い手は希少である。
「なんしょかんしょ」はほぼ死語である。私の親世代は口癖的によく使っていたが。
今は殆ど略形と呼べるかどうかは定かではないが
「なんしょ」と発する。
共通語の「とにもかくにも」が廃れて「とにかく」もしくは「ともかく」と言うが普通になってるというのと同じ現象なんだろうかな。
奇遇にも(?)「なんしょかんしょ」を訳すと「とにもかくにも」であったりなんかして。
ちなみに「なんしょ」を訳すと「とにかく」というとこまで一緒。これは奇遇では無いということなのか?
以下はいつも以上に個人的感覚によるものなのであしからず。
それにつけても「なんしょかんしょ」も「とにもかくにも」も「なにはともあれ」程ではないにせよ一段落付けるとかひとまず落ち着いて(とりまとめて)とかいった勢いなのに
「なんしょ」と「とにかく」だと「つまりは」・「要するに」とかいった結論・決定を言う為の前置きといった勢いと思え
意味合いが変わる気がするのは自分だけだろうか。
「なんしょかんしょそうなりゃいいだ。」(とにもかくにもそうなればいいんだ。)
「なんしょそうなりゃいいだ。」(とにかくそうなればいいんだ。)
ではやっぱ印象が違うよなあ。
ちなみに辞書には
「とにもかくにも」は「「とにかく」の強調表現。と書かれてあって
だとしたら「とにかく急げ」というよりも「とにもかくにも急げ」と言う方がより急かせている度合いが強いということになるのであろうか。もっとも昭和の辞書だから今と違ってきてるのかもしれないが。
でもまあこの理屈を当てはめると「なんしょ」の強調形が「なんしょかんしょ」ということで「なんしょかんしょ」の略形が「なんしょ」というのは誤りだということになるなあ。理屈は納得できるが実用とは若干の矛盾を感じたりなんかして。
遠州弁的言い回し
「としいったしゅう」(歳いった衆)
「歳いった衆」。
直訳すれば「歳とった人」ということになるが
ニュアンスで訳さば「ご老人」もしくは「ベテラン」。決して小馬鹿にした言い回しでは無くむしろ敬意の籠もった言い回しである。若干ではあるが。
「衆」ということで特に誰を指すというのではなく一般論としてその世代もしくはそういう人達(該当する連中)を指すものである使い方が主であろう。
年齢的な区切りを指すのか自分より上でさえあれば使うのかという点について。つまり例えば年金を貰う世代以上を指すと限っているものなのか、極端な例であるが例えば小学生が高校生を指して「としいったしゅう」と発するのもありなのかということであるが、多分後者の方であろうかなと思ってる。
「いった」は漢字にすると何になるのであろうか。「とる」と訳しているのであるが「重ねる」という意味での「いった」というのはどれだろうかとネット辞書で「いった」を検索してみたら、結果出てくる「行った」・「入った」・「煎った」・「要った」・「射った」・「炒った」・「鋳った」どれも直接的にそういう意味を表わすものではなかった。
感覚的に無難なとこなら「ねんきのいった」だと「年季の入った」・「年期の入った」と書く(どっちかが正しいのか両方正しいのかはよく分からんが)わけで、それと同じだということになれば「歳入った衆」となる次第だが果たして如何に。
「いく」でなら「幾」が「数量の多い事を示す」とかいう文言があるが。
根拠もない勝手な想像を巡らすと
「としいくしゅう」なら「歳幾衆」となって薄らほのかに意味が成しそうに映るが、「幾」が「いった」になる筈もなくちょっと苦しい。
超強引に「歳幾した衆」が元として「幾した」が詰まって「いった」になっての「としいった衆」となったと出来なくもないが相当無理があるな。
要するになんで「いった」なのか分からんというのが結論であるが
ところで、この「いった」というのは方言なのか?普段当たり前に使っているので当然共通語だと認識しているのだがはたして全国において通じるものなのだろうか。
「ねんきのいった」が共通語なんだからくどうようだが「としいった」も「としのいったしゅう」とすれば共通語に違いないとは思っているが。
例文
「としいったしゅうのゆうこんだで間違いはないらあ。」
「そんなもんかねえ。」
「そんなもんだよを。」
「いいよ、じゃまあそうしまい。」
遠州弁的言い回し
「いもしんに」
以前「いもせんに」という記事を書いたが、その継ぎ足し。みたいなもん。
「いもしんに」は「居もしない」+「に」
砕けて訳さば「いねえじゃねえか」・「いないじゃないのさ」。「いないねっ」と強く言い切るとかでも使われる。
「どこにいもしんに」を直訳すると「どこにも居もしないよ」・「(絶対)どこにもいないねっ」とかになろうか。
「に」は「よ」もしくは「かよ」とか「のさ」とかいったもので、効能は問い詰めてる勢いを増す効果がある。
例文
「きのうどうしたよを。行かんかっただけえ。」
「待ち合わせしただにつれん現われんかった。」
「あれえ、行ったっつってたにい。遭えなんだだ?」
「うそだよを。一時間以上待ったし、がんこ探いただにいんかったにい。」
「変だやあ。駅前のベンチんとこでずっと待ってたっつってたけどやあ。」
「そんなとこいもしんに。絶対いんかった。」
携帯の無い時代でないと成立しない話しである。
遠州弁的言い回し
「なにがあ」
「なにがじゃ」と「なにがだ」。
どちらも「なにがだよ」と言ってるわけであるが
遠州ではどちらかといえば「なにがだ」がよく使われる傾向にあろうか。
じゃあ、遠州弁ではとなると
「なにがあ」
と発することになろうか。(女性表現なら「なにがよを」)
「が」を強く言う。
「が」は鼻濁音では無いものと鼻濁音のものと二種類があってそれぞれのニュアンスが異なる。
鼻濁音の「なにがあ」だと嫌そう・うるさいと感じているという勢いが付く。
鼻濁音で無い「なにがあ」だと反論・不同意を表わす勢いが付く。
「なにがじゃ」・「なにがだ」とニュアンスが同じなのは鼻濁音では無い「なにがあ」ということになろうか。
蛇足だが「な」を強く言う「なにがあ」は空々しいとかすっとぼけた勢いとかが付く。まあ共通語とほぼ同じ。
例文
「ちゃんとやってるだけえ。全然進んじゃいんじゃん。」
(ちゃんとやっているのかよ。全然進んでいないじゃないか。)
「なにがあ。ちゃんとやってるよっ。」
鼻濁音での「なにがあ」だと訳は「うるさいなあ。ちゃんとやってるって。」
鼻濁音で無い「なにがあ」だと「なんだと?ちゃんとやってるだろうが。」
といった風になる。
遠州弁的言い回し
「みんしゅう」
これはあくまで言葉遊びの冗句です。
「みんしゅうのみんしゅうによるみんしゅうのための」
共通語だったら「民衆の民衆による民衆の為の」となるが
遠州弁だということになると
「見ん衆の見ん衆による見ん衆のタメの」
となる。訳は
「見ん衆」→「(何かを)見ない人」ということにすれば
「見ない人の見ない人による見ない人と同格の人の」
もしくは「見ん衆」→「見た事無い人」→「知らない人」ということにしたら
「知らない人の知らない人による知らない人と同列な人の」
という風になる。
蛇足だが、「見ない」の「ない」が「ん」に変わって「見ん」となると考えるよりも「見ぬ」の「ぬ」が「ん」に変わるものと考えた方がなんかしっくりくる。