遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「おとっさ」
「おとん」は西の言い方なんだろうか。
すくなくとも遠州で「おとん」と発せられても意味は通じるが違和感が湧く。地元感が無い。
やっぱ「おとっさ」だろうな。男女共に。
「父」(自分の・知り合いのどちらにでも使う)を指す使い方だけでなく見知らぬ「おじさん」に対しても使われるというところが「おとん」との違いであろうか。
「おっとさ」でも可。「おっとさ」と「おとっさ」の違いについては以前も記事に挙げたが正直よく掴めないとこが多い。
親しみがこもらなければ「おやじ」になる事が多かろう。他人になら「おっさん」か。
「おとん」程に「おとっさ」には愛嬌や親しみは感じられないかもしれない。使い方は「やれやれ」とか「ホントしょんない」とかいった残念とか愚痴っぽい場合に使われる事が多いからであろうか。「おやじ」よりかは親しみは込められてはいるが。
例文
「やあおとっさなにやってるだあ。」
(何をもたもたやってるんだよ。)
「見りゃ解かるじゃん。○○やってるだよっ。」
(当たり前な事訊くなよ。○○をやってるのっ。)
「とてもそうには見えんに。かしょ、わしやってやるにい。」
(なんかやり方が変だぞ。かしなよ、やってあげるから。)
「いらんこんするじゃねえよ。そんな爺じゃねえだでなあ。」
(余計な事するなよ。最新に弱い訳じゃないんだからな。)
訳はもちろん直訳ではない。
例文2
「うちのおとっさ朝早いもんでいっつもこっちまで起こされるもんでえらいだよ。」
「うちは逆なんだよね。うるさくて眠れやせん。」
「えらい」は「しんどい」という意味。この場合「眠い」・「睡眠不足」と訳すが妥当か。
遠州弁的言い回し
「ど」や「ばか」は使うが
「ず」は遠州では普通に使われるや否や。
例えば「凄い」。
これを「ばかすごい」とか「どすごい」とは言うが
「ずすごい」と普段使いで言うかという話し。
たまあに使う奴がいたりするが、用途意図においてはおちゃらけ・受け狙いといった体で日常表現という感じがしない。
「ばか」・「ど」以外にも「がんこ」・「えらい」など「とても」という意味で使われる言葉に事欠かないのが遠州弁ではあるが「ず」においてはあまり平素使われてる感じがしない。
「でかい」に代えてみる
「ばかでかい」・「どでかい」・「がんこでかい」・「えらいでかい」はやはり日常で聞く言葉だが、「ずでかい」は言われても意味は通じるがどこか耳慣れない。
「でらでかい」みたいにそりゃ名古屋だろうてと思えるくらい聞き慣れないならいざ知らず皆無という程でもないというのが「ず」。
「ず」は遠州にも多少伝播してきている表現と考えるのが自然な勢いと思えるが、はて一体どこの地域(が本家)の言い回しなんだろうか。共通語じゃないよなあ。
他には
「ず眠い」→これはなんか聞くなあ。
「ず痛い」→これは聞かないやあ。
「ず酷い」→これも聞かんにい。
とまあ、聞いたりするものもあるので、全く使わないという訳ではなさそうだ。
遠州弁的言い回し
「ばかふしぎ」
「ばかふしぎ」を共通語に直すとき
「とても不思議」と訳すよりも(決して間違いではない)
「あらふしぎ」とした方がなんかニュアンスが近いような気がする。
「なんかさあ、ばかふしぎだいね。」だと「なんというか、あら不思議って感じだよね。」と訳すとなんかしっくりくる。
この場合の「ばか」は凄いとか大層とかいう大袈裟さを表わすものや理解不能とかいうよりもつかみどころがないという事を表わしているように思える。
もっとも不思議の奥行を表わしていると考えれば大層深いと言ってることになるが。でもそこまで深刻に不思議だと思っている感じでは使ってはいない。
「不思議」とか「えらく不思議」とかの方がよっぽど「訳が分からない」という勢いになる。
「あら不思議」以外だと「上手く言えない」・「理論立てて説明できない」といった訳にしても当てはまる場合が多い。
飛躍すれば「摩訶不思議」=「ばか不思議」と言えなくもないか。無論「摩訶」をどう変化させても「ばか」になる事は無く、単に偶然似てるというだけの事である。
使い方としては
朝財布に1000円入っていたのに夕方になったら800円に減ってた。
こういう場合に「ばか不思議やあ。なんで?」(使った覚えがないよ。どうしたんだろ。)といった風に使う。
目の前で超能力を見せつけられてという場合に
「ばか不思議やあ。なんで?」と発するとトリックが分からないと言ってる勢いと聞こえる。つまり胡散臭いと思ってる。これが「不思議だやあ。なんで?」と発すると現象に驚いてるという勢いに聞こえる。
遠州弁的言い回し
「らんごくない」
例えば
「着りゃあ暑いし脱ぎゃあ寒いしらんごかねえの。」
この「らんごかない」の使い方は合ってるのかというと
屁理屈的にいけば「らんごく」というのは雑然としてるという意味つまり「乱雑」ということであり、それに打消しの「ない」が足されてるから雑然としていないということになって「着れば暑いし脱げば寒いし雑然としていないね。」と訳すことになってなんじゃそれということになる。
しかしながら実際にこういう使い方はされていてこれを訳さば「着れば暑いし脱げば寒いし堪らないね(どうすりゃいいんだまったく)。」とかになる。砕けて訳さば「しっちゃかめっちゃかだね」。
ニュアンスとしては「もう参っちゃうよ」と言ってるという意図で伝わるものである。
つまり屁理屈が実際についていけてないというのが「らんごくない」と言えそうだ。
以前にも書いたがわたしらんとこでは日常会話に於いて「らんごく」で使われる事はなく「らんごくない」・「らんごかない」という形で使われるものである。
勝手に屁理屈作り上げるというのもどうかとは思うが、「らんごく」+「ない」というものではなく、
「らんごく」+「で」(省略されてる)+「しょうがない」=「らんごくない」
というのがなんかしっくりくる感じがするところ。
でも「らんごかない」は「らんごくはない」の変と思われ、これだと上の妄想上の屁理屈に合わせられない。
しかも「らんごく」+「は」+「ない」となれば「乱れてはいない」としか解釈できない。「整ってはいない」でないと意味が合わないのだが。
で、「らんごく」とはなんぞやという元が分からなければお話しにならないのであるが、ネットでは「乱飛乱国」からきたものが「らんごく」とされてるところをよく見かける。乱れている様を表現した言葉らしい。
ネットとかでは駿河辺りでは「部屋ん中らんごくだなあ」(乱雑だなあ)とかいう使い方をしてるとな。遠州弁だと「部屋んらんごかねえの。」(この部屋くっちゃくちゃだなあ)となるのであるが、遠州弁は間違った使い方のが普及したのだろうか。んなわきゃないかあ。
つまるところなんで「ない」が付くのかこじつけが浮かばない。ホントらんごかねえのっ。
遠州弁的言い回し
標準語「見られない」
遠州弁「見れん」・「見いれん」・「見えれん」
「ら」抜き言葉と足蹴にされる「見れん」という言い方。
「ん」を「ぬ」にすれば「見れぬ」で「居れぬ」・「やれぬ」・「行けぬ」とかと同類であって、別に古い日本語の変でいいじゃないかとも思える言い分なのだが。
ま、それはともかく
「見れん」は素直に「見れない」と訳す。
「見いれん」は見る事能はず(見ることが叶わない)
「見えれん」は視界に入らず(見ることが出来ない)
「見れれん」は「見いれん」と「見えれん」の両方の意味使いが出来る汎用型といったところか。
といった風に訳を分ける事が出来そうと思える。
「い」が入ると「意思」が加味される勢い。
「え」が入ると「状況」が加味される勢い。
同じ見られないにしても「見いれん」は感情・意識的に見る事が出来ないで、「見えれん」はなんらかの障害(邪魔)があって見る事が出来ないと聞こえるものである。
「見いせん」だと「見ようとしない」
「見えせん」は「「見えやしない」
屁理屈的に「い」と「え」はなんぞやというのは講釈垂れれないが勘繰るとしたら
「え」は「得る」の「得」なんじゃなかろうかと。もちろん合ってる筈も無かろうが。
「い」はさっぱり意を得ない(ちんぷんかんぷん)。
古語辞典で「い」を調べると
「い」{接頭語}動詞の上について意味を強める。とある。
ま、使う事による効能は遠州弁と違うけどそうなのかなとも思えなくもない。
別な勘繰りで、関西風な「見いひん」と同じな何かがい音便化したものと勘繰れなくもないが「見いひん」は遠州弁だと「見やせん」で、しかも「みい」のイントネーションも異なる。別物と考えられなくもない。
つまりは結局分からん。分からんがこういう使い分けはなんしょ遠州弁はしてるだあれ。