遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「けっこう」。イントネーションの違い。
前の記事で「け」を強く言う事はするが「こ」を強く言う事は遠州弁的ではないに近い旨を書いたが、遠州弁収集の協力者から
「ふんだだこたねえら、どっちも使うでえ。」
とツッコミ入れられて、なるほどそういわれればそうだなということで。
「けっこう」。漢字にすると「結構」なのだが、「結構」と「けっこう」は別物かもしれない。もしかしたらだが。
イントネーションの違いで意味が若干変わるものである。(地域によって異なるかもしれないが)
①共通語と同様「け」を強く言う「けっこう」の意味使いは、「案外」・「意外と」といったもので
②「こ」を強く言う「けっこう」の意味使いは、「相当」・「かなり」・「相応に」などというもので使われている。
例を挙げれば
「この注射けっこう痛い。」
痛くはないだろと思っていたけど痛かったという場合は①
痛いだろうとは思っていたが思ってた以上に痛かったという場合は②
同じ意外でもそういう違いが窺える。
「けっこういける口だら?」
①の場合だと「思ってるよりも呑めるタイプなんだろ?」と言っている。
②の場合だと「かなり呑めるタイプなんだろ?」と言っている。
まあ些細なニュアンスの違いではあるが、許容量(酒の強さ)の違いが出てくるものである。
①は「思ってるよりも」で
②は「平均以上に」と
言い換えることが出来そうだ。
「けっこうびっくりした。」であれば
①なら「案外びっくりした。」
②なら「かなりびっくりした。」
もっとも「かなり」といっても「がんこびっくりした。」や「えらいびっくりした。」などとかと較べたら大したびっくりの程度ではないので「それ相応にびっくりした。」か「存外びっくりした。」などとする方がらしくはあるが。
「結構」で辞書引くと①も②も辞書とは違う意味使いが書いてあると読める。
じゃあどちらも方言か?というと①は俗語(全国的)の使い方なんじゃないのだろうかと思える。②はもしかしたら駿河・遠州辺りの方言的意味使いと読めなくもない。
「黙ってたけどずっと前から好きだったんだよ。鈍感だからそんなこと知らなかったでしょ」
これを各地方のお国言葉でという問いかけのお題。
応じてみたいがツイッターでの応じ方がよう判らんのと長ったらしくなるのでブログ記事とした。
今風の遠州弁では決してないが、昔(昭和)はこんなだったと思召せ。
*設定をうら若きめな女性の告白としたらば
「ゆわんかったけどずっと好きだっただにい。(あんた)鈍感だもんで気づきゃへんかっただら?」
「知らなかった」を使うのであれば「知らなんだだらあ」辺りになろうな。
*同窓会とかで女性がひと昔前の想い出話として言うとなれば
「けっこう好きだっただにい ゆやあへんかったけど。でもあんた鈍感だもんでほんと気づかんかったらあ。」
*男だったら
「ゆえれんかっただぁ好きだったやあ。知らなんだらあ けっこう鈍感だでえ。」
男が言うと喧嘩売ってるも同然になるな。差し障りの無い様に変形すると
「好きだっただよを。ゆわんかったけど。判らんかったらあ 見せんようにしてたで。」
とかならまあ無難かあ。もっともそもそもがこんなこと言う男なんてしょんない以外の何者でもないが。
遠州弁的には「鈍感」=「とろくさい」という勢いが強く、告白に際して「鈍感」を使うにはあまり相応しい感じがしないところであり、「気づかない」が妥当と思われ、最低限でも「鈍い」辺りで止めとく方が無難な気がする。こういう感覚って遠州弁的なのであろうか。それとも全国共通なのであろうか気になるところではあるな。
追記
「好きだっただにい」以外にも「好きだっただよを」という言い回しがあるが
「だにい」を使うと今でもといった心残りな勢いが幾分含まれ
「だよを」を使うと今は吹っ切れたもう過去のという勢いが増すので
「だにい」を使うこととした。
遠州弁的言い回し
「けむったい」と「けぶったい」
微妙に使い分けられていそうに思われる。
「煙い」と書いて「けむい」か「けぶい」のどちらかと読む。それに「ったい」が付いた言い回し。
共通語は「けむったい」で「けぶったい」は方言っぽくある。が、どちらもネット辞書に説明があるから共通語なのであろう。
もっとも「けむたい」・「けぶたい」で記載されており、「っ」が入るのは若干方言寄りといえなくもないか。
遠州弁的な解釈をすると(といっても使い分けがなされているというのではなく、あくまでそういう違いを感じるというものである。)
「けぶったい」は息が咽る(むせる)とかいった煙で難儀する事を指すのみという使い方。
「けむったい」は上の使い方の他に、近づきにくいとかいった対人関係を表わす事にも使われる。
なので「けむたがれる」という言い方は存在するが「けぶたがれる」という言い方は聞かないものである。(しないと言い切る事はできないが)
それと、「煙い」にしても「けむったい」だと鼻に来るみたいな軽度な感じで「けぶったい」だと肺に来るみたいなそれ相当な感じという勢いの違いを感じたりもする。
「ねむい」と「ねぶい」の違いと同じみたいなものであろうか。
なので
「おい、けむん出てるにい。」と「おい、けぶん出てるにい。」
とでは、軽く焦げてる感じと結構燻されてる感じといった勢いの違いが感じられたりもする。
もっとも実際のところは使い手の好みでどっちを言うかというもので、程度に応じて使い分けをしているというものではない事が多い。
遠州弁的言い回し
「ざあとらしい」
まあ全国的な俗語表現だろうけど、けっこう市民権を得ている言い回しなので。
「ざあとらしい」。
「わざとらしい」と言っているのであるが。
そこはかとなく「あざとい」と掛かっているようで使い勝手がよく。
ネットで検索してみると死語扱いされてるようにも読めるが、少なくともうちらんとこでは大の大人も平素発するものである程に定着している。
無論古くから使われてきたものではなかろうて、憶測だが昭和の頃辺りから使われ始めたものであろう。言い出しっぺは誰でどこからなんだろう。
吐き捨てる感が「わざとらしい」より増すところが特徴といえようか。
それと、「わざとらしい」が「憎たらしい」だとしたら「ざあとらしい」は「小憎らしい」といった抱く感情の勢いの違いがあるであろうか。
まあ、全国的な言い回しであって決して遠州弁の範疇に置くものではないが、もしかしたらニュアンスの違いに地域性があるかもと思って記載。
遠州弁的言い回し
屁理屈こくと間違ってる筈なんだが
日常はとんじゃかなく使われている言い回し。
例えば「浜松に着いたんですよ。」
これを「浜松着いただよ。」と発する。
屁理屈で勘繰ると「浜松が着いた」という事になっておかしいということになる。
ここは「浜松ん着いただよ。」であるべきかと思えるところ。(もしくは「浜松ぅ着いただよ。」)
「ん」を省いたということなのだが、略すに於いて少しはしょり過ぎな気がしないでもない。
しかして現実には「浜松着いただよ。という言い方で通用するところである。
「今浜松着いただよ。だでちゃっと迎ええ来て。」とかいった具合。(「迎えへ」か「迎ええ」かは見当(検討)の余地ありだが)
これでいいのだなのか嘆かわしいのかは別の話しであって、遠州で息してくにはこういった略す事のお約束を覚えていかなくてはならない訳で、屁理屈で実際の遠州弁を語る(講釈垂れる)のは無理っぽいもんである。
もっとも「正しい遠州弁」なんてもの自体存在してるかどうか非常に怪しいので、言ったもん勝ちという野放図さ(理屈じゃない)が遠州弁の魅力と言えなくもないか。
それにそもそもの理屈(正しい遠州弁)がないんだからいくらそれらしく言っても所詮屁理屈(そう思える)でしかないよな。
ところで、もしくは「浜松ぅ着いた」という言い方。長音化であり大阪だったら「大阪ぁ」・福井だったら「福井ぃ」といったような最後の音を伸ばすものである。
普段使いに於いては「ん」を使うよりもこっちの方が一般的なのだが、説明するのが面倒なので「もしくは」とした。