遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
間違ってる訳ではないが、分かり易くしようとあえての共通語とのちゃんぽん文というのははざらつくもので、折衷とするのは難しいものだと思える言い回し。
「遠州弁では語尾に『だに』を付けるだに。」
ぐでぐでの遠州弁じゃあ切なかろうという事で共通語も混ぜてという文であろうが、なんかざらつきを覚える言い回しである。別に間違った遠州弁という訳では無いのであるが。
では、どこがざらつくかというと
まず自分だったら(もちろん正しい遠州弁なんてのは存在しないのであるが)
「遠州弁は語尾にい『だに』い付けるんだにい。」
もしくは
「遠州弁は語尾ん『だに』付けるだに。」
などとするかなと。変更してる箇所は、①、「では」じゃなく「は」。②、①と同じようなものだが助詞が共通語と遠州弁は異なる。③、語尾に付くのは「だに」ばかりじゃ無い。って言い回しがじゃなく文の意そのものについての不同意感となってしまうけど。
①、こういう場合に於いてであるが、「では」という言い方よりも「は」や「だと」を使うのが頻繁かと。もしくは「じゃ」・「じゃあ」。
「では」を使う場合には語尾は「だに」ではなく「だよ」・「だあ」・「だあれ」などで締める事が多い。
「遠州弁では語尾に『だに』を付けるだよ。」
②、「てにをは」といった助詞の使い方及び省略の仕方は遠州弁は共通語と異なる。
この文の場合、「語尾に」の「に」は「ん」または「にい」。「『だに』を付ける」の「を」は「い」もしくは省略。「付けるだに」は「付けるのだよ」の形で「付けるんだに」もしくは「付けるうだに」と「ん」か「う」とかをはしょらずに言う。と、した。
③、「づら・つら」の時代ならいざ知らず今は「だら」・「ら」・「だに」・「に」・「だ」・「じゃん」・「で」・「でえ」・「だもんで」・「だで」などなど。これ以外にも「だか」・「だれ」などきりが無いくらい種類がある。
とにかく語尾に「だに」を付ければはい遠州弁の出来上がりと説明する冒険は私には出来ない。私だったら
「遠州弁って語尾ん『だに』い付けたりするのよくあるだに。」
ぐらいか。
つまるところ、やはり折衷は中途半端と映り、共通語に遠州弁を(逆もまた同様)混ぜての文章を作るというのは難儀な事だと思える次第。
遠州弁的言い回し
「えがむ」と「いがむ」
これはどう違うのかという勘繰り。
あくまで非実用的な勘繰りであって正しい事(実用的な事)を述べてる保証は無いのであしからず。
「えがむ」と「いがむ」
どちらも「歪む」(ゆがむ)と言っているものである。
ではこの二つに違い及び使い分けといったものは存在するのかどうか。(実際の所は違いなどは無いと思えるが、こじつけに近い感じで勘繰ってみる。)
「えがむ」
故意(人為的)に歪んだというものではなく、自然とというか劣化というか。元からそうなってるというのもあろうか。
「最初っからえがんでる。」とは言うが「最初っからいがんでる。」とはあまり言わない。
「いがむ」
多少なりとも人為的感が増す感じがする。使い過ぎとか無理矢理なせいでとかいった。
「歪ませる」という場合には「えがませる」だと盆栽の幹のようにそうなるように仕向ける感じになり、「いがませる」だと無理矢理力を加えて変形させるみたいな感じと映る。
例を挙げてみる
「列が歪んでる。」
「列がえがんでる。」とすると誰かがわざととかいったものではなくて自然(普通)に並ばせたらこうなったみたいな。
「列がいがんでる。」とするときちんと整列しようという気が感じられない反抗的(もしくは無気力)だといったような印象を持ってるように感じられる。
理由がはっきりしないけどそうなってるだと「えがんでる」
何々のせいというのが解かってるような場合だと「いがんでる」
といった違いもありそうな気がするところでもある。
蛇足だが、「性格が歪んでる」というのを「性格いがんでる」とか「性格えがんでる」とは言わない。「性格ひん曲がってる」とか「性格ねぐさってる」(根腐ってる)とか言う。まあ、「ひんまがる」は「ねじ曲がる」の俗表現で特に方言と言えるものではなかろうが。
遠州弁的言い回し
「だい」。
あまり「だい」では使わず「だいね」・「だいや」とかなにかを付けて言う事が多い。
もっとも。「だい」でひとつの言葉というものではなく「だ「+「い」というものであろう。
言い切るのは無謀だが「だ」は断定で「い」は意思を表すといった感じであろうか。
「見てくだ」で「見ていく」
「見てくだい」で「見ていくんだ」
とかいったもの。といってもこういう言い方はあまりしないと思える。「だい」+「α」という使い方をよくするものである。
「だいや」
「見てくだいや」で自分の行動という事なら「見ていく事とするつもり」・他人に対してなら「見ていきなよ」(結構強制的な勢い)
「だいね」
「見てくだいね」で自分のことなら「見ていくことにするよ」・他人に対してなら「見て行きなさいな」(こちらはよかったらどう?という勢い)
+「α」といっても「ね」と「や」しか思いつかなかったが。こじつけで捻り出せば
「だいれ」の「れ」・「だいて」の「て」
とかが捻り出せれる。ちなみに「い」ではなく「あ」としてもほぼ意味は同じ。
話し若干変わるが、「だ」+「か」というパターンもある。「か」は推測・憶測を表わす。
「だか」
「見てくだか」で「見ていくのか」
「見てくだかや」は「見ていくのかよ」
「だ」と「い」の間に「か」を挟む
「見てくだかいね」だと「見ていくんだろうか」
「見てくだかいや」は「見ていくのかねえ」
他にも「だ」+「で」とか「だ」+や」とかあるがこれ以上広げるときりが無いのでこの辺で。
遠州弁的言い回し
「きさる」と「きせる」
この言い方の説明。その2くらい。
用意しますは「蓋」(ふた)
「蓋を被せる」ということであれば「ふたきせる」
「蓋が被る」であれば「ふたんきさる」
「被せた」で「きせた」
「被った」で「きさった」
「どれ持ってくりゃいいよを。」
(どれを持ってくればいいんだ?)
「ふたんきさったの持ってきてやあ。」
(蓋がしてあるのを持ってきてよ。)
といった具合。
「きせる」を「着せる」と書くのかは不明。意味としては「被せる」とするのが一番近い。実際訳すにおいては「きせる」は「する」・「きさる」は「してある」とするのが無難なところであろうか。
この言い方は「蓋」のみかというと断定はできないが実用に於いては「蓋」以外で使う言い回しは思い浮かばないのでほぼ「蓋」専用の言い回しと言えなくもないところである。
ただ「蓋」でなく「栓」で「せんをきせる」といった言い方をしてもおかしくはないと思える。が、自分は「栓」は「する・しない」を使うし周りもそうなので「栓」でも使うとするのは微妙である。
(「キャップ」については「きせる」とかを使うが外来語だろうからということで省いている)
遠州弁的言い回し
「ゆえん」と「ゆえれん」の違い
の補足。ちょっと歯切れが悪いが。
違いを箇条書きにすると(尚、あくまでこういう使い分けもあるということで必ずこうなるものではないのであしからず。)
*きっぱり言うか否か
「ゆえん」は「言えない」
「ゆえれん」は「言いにくい」
という使い方もあったかなそういえば。
「あの人直ぐ怒るでゆえん。」だと「直ぐ怒るから言えない。」もしくは「言いたくない」
「あの人直ぐ怒るでゆえれん。」は「直ぐ怒るから言いにくい。」
当然「ゆえれん」の方が歯切れが悪い。「ゆえん」は言い切っている感じである。
*立ち位置によって(くどいようだが必ずこうなるというものではない。)
「わしの口からは立場上ゆえんだよ。」だと上だから下に向かって言う訳にはいかないと聞こえる。言い換えれば一例として「命令できない」。
「わしの口からは立場上ゆえれんだよ。」だと下(もしくは部外者とか)だから上(もしくは当事者)に対して言う訳にはいかないと聞こえる。言い換えれば一例として「申し立て出来ない。」。
こちらはどっちも及び腰であることに変わりはなく歯切れの良し悪しの違いはあまり感じられない。
(蛇足だが仲間だからとか義理があるからとかいうような場合には「立場的に」を使う事が多いのでここ(立場上)には含まれないとした。)
無論最初に挙げたきっぱりか否かという使い方での
「立場上ゆえん」→「とても言えない」
「立場上ゆえれん」→「言いたくても言いにくい」
といった使い分けもされることもある。
正しいかどうかは別にして
「ゆえん」→「言えぬ」・「言えない」
「ゆえれん」→「言うを得ない」
と無謀ではあるが区別できそうでもある。