遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「どべたくそ」
「度」+「下手くそ」=どべたくそ
度も下手くそも共通語なんだからそれが合わさったどべたくそも共通語だろうと思えるがどうなんだろう。
ま、ともかく遠州弁における「どべたくそ」のニュアンスを言うならなば。
「ばかへたくそ」は苦手・不得手と映るがそれでも努力すれば改善できるんじゃないかと思える感じの下手さ加減。
「どべたくそ」はほとんど見放されてるもしくは呆れられてる。才能是れ無く改善の余地はどこを探してもないと映る。
「あいつばかへたくそだにい。」だと能力云々よりも要領とかが悪いとかいった感じ。何かをやらせる任せるに於いては注意が必要だよと警告してる。
「あいつどべたくそだにい。」だと能力そのものが無いといった感じ。あいつに任せるのは無謀だと忠告してる。
違う言い方で「どへた」というのがあるが、こちらは「ばかへたくそ」に近いニュアンスである。
「どべた」とすると「どべたくそ」よりかはましだが「ばかへたくそ」よりも下手具合は上回る。それでも引導渡されてるようなものではない。
「どべたくそ」だけが「ダメだこりゃ」という領域のものである。しかして中傷の類いでは無い。よって直接本人に向かって
「あんた、どべたくそじゃん。だで止めときなって。」
とかいった制止の際に使われたりもするものである。
遠州弁的言い回し
「ついてん」に「ど」と「ばか」をつけるとどういうニュアンスになるか見当つけてみる。
「ついてない」の「ない」が「ん」に変わっての「ついてん」というものに、「とても」とかいう意の「ど」や「ばか」が付いたものであるが、
「どついてん」は「最悪だ」と言っている。決して関西風の「どつく」(叩く)という意での「どついてんねん」(どついたんだ)とかいうものの遠州弁バージョンではない。
「ばかついてん」は「運が無い」・「運が悪い」と言ってる。
「どついてん」だとちくしょうとかいった腹立たしい気分が窺われる。まだ強気ともいえようか。
「ばかついてん」にはあ~あとかいった嘆きな気分が感じられる。弱気になってるといえなくもない。
感情的に昂ぶっている場合には「どついてん」で落ち込み気味な場合には「ばかついてん」を使うという使い分けがあるのかもしれない。
これが「えらいついてん」とか「がんこついてん」だと冷静というか感情的な部分は含まれない感じがする。
この「ど」と「ばか」のニュアンスの違いが他の言葉に付いた際でも同様かというとそう言い切れるものではない。
例えば「ど痛い」と「ばか痛い」だと強気も弱気もないしどっちがより痛いのかははっきりこっちだと言い切れない。
「ついてん」につく場合に於いてはニュアンスの違いが結構鮮明に表れる珍しい例だと言えるのかもしれない。
遠州弁的言い回し
「こりはてる」
まあ共通語であろうがイントネーションが独特だから。
漢字にすれば「懲り果てる」。
「困り果てる」の変ではない。
「つくづくこりごりだ」と言っている。果てしなく懲りたということであろうか。
遠州弁の場合イントネーションが独特である。
「凝り」は「こ」を強く言う頭高、「果てる」も「は」を強く言う頭高。しかも「こり」一拍おいての「はてる」というもので記載する場合は「こり はてる」というもの。
普通に会話の中での「こり はてる」は大抵「参った」とかいった訳にすると訳し易いであろうか。
「いやあ、渋滞でど遅刻こいてこり はてちゃってえ。」
当然であるが「おうじょうこいた」よりも参った具合は高い。比較すると
参った<おうじょうこいた<やいやい<こりはてた<やっきりこいた
(やいやいはしまった、やっきりこいたは頭に来たという勢いをそれぞれ多く含むものなので若干比較するのに無理はあるが)
とかになろうか。
遠州弁的言い回し
「ちったあ」と「ちっとは」
共通語であろうが遠州弁でのニュアンスを一応。
どちらも「少しは」と言っているのであるが、このふたつにどういう違いがあるのかというのを勘繰ってみる。
必ずこうなるというものではないが傾向として
「ちったあ働け」は全く働いていない状態から少しは働けと言ってる風に聞こえる。
「ちっとは働け」は働いてはいるが役に立っていないという状態から少しは役に立てと言ってる風に聞こえる。
「ちったあまし」少しはましと聞こえる。及第点には至ってはいないが少しはよくなったという勢いであろうか。
「ちっとはまし」殆ど変っていないがまだ以前よりかはいいと聞こえる。こちらのまし加減は「ちったあ」より劣る。まあ微妙なものだが。
「変わっちゃいん」<「ちっとはまし」<「ちったあまし」<「まし」
といった並びとなろうか。
「ちったあいい顔しよやあ。」は「たまにはいい顔しろよな。」といった感じで普段からぶすっとしてる勢いがある。
「ちっとはいい顔しよやあ。」だと「少しはいい顔しなさい。」といった感じで普段と今の態度に違いがあるのかは読み取れないが、この場に於いてはとにかくいい顔をしろと求めている勢いがある。
あくまで勘繰りであるが、「ちったあ」は広く長い目で見てといったトータル的な勢いがあり「ちっとは」はその事象に対してといった局部的な勢いの違いが考えられなくもない。
他の言い方として「ちいとは」というのはあるが「ちいたあ」というのは滅多に聞かない。
「ちいとは」には上から目線ではあるが軽い懇願の勢いが付加される感じがする。
「ちいとはいい顔しよやあ。」だと「頼むからいい顔してくれよ。」といった感じ。
「ちったあ」よりも「ちっとは」に近い。
「少し出かけて来る。」というのを
「ちったあ・ちった出かけて来る。とは言わない。
「ちいと・ちっと出かけて来る。」とは言う。
「ちったあ」には「少々」という意味は無いみたいである。「少しは」というよりも使いどころによっては「たまには」という訳し方のほうがはまる感じすらするところである。
遠州弁的言い回し
「そりゃ~だかもしれんがあ」
別に方言というものではないであろうが「だ」は遠州弁にとって重要な言葉というのをよく表わしてる言い回しかなと思って。
「そりゃあんたのゆう通りだかもしれんがあ。」
訳さば「それはあなたの言う通りなのかもしれないけれども。」
共通語なら「言う通りかもしれないが」と「なの」を省いても左程ニュアンスは変わらないところであろうが遠州弁で「ゆう通りかもしれんがあ」とするとなんか怒ってる勢いになってニュアンスが変わってくる。
「なの」と訳したが「である」としても違和感はない。というか「である」の方が「だ」を説明するにおいて楽かもしれない。
遠州弁において「だ」は「「だら」・「だに」・「だもんで」等が象徴するように重要な省けない言葉なのであろう。「だ」を抜いて(省いて)しまうと大抵つっけんどんな物言いという印象を与える。