遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
「遠州弁」→「共通語」(例文)補足説明という表記順で。
「のままい」→「飲もうよ」(たまにゃ一緒にのままい) この場合「のもまい」という言い方もあるが若干違和感を感じる。「のまざあ」という言い方も意味はほぼ同じ。
「のますか」→「飲もうじゃないか」(徹夜でのますか)
「のますか」→「(誰が)飲むか」(誰がてめえとのますか) と二通り存在して、非常にどっちか分かりにくい。イントネーションが違うので遠州人にとっては区別はつくのだが。
「のみえん」→「飲めない」(ど熱くてのみえん)
「のみいん」→「飲めない」(炭酸わし嫌いだでのみいん) 今度は訳が一緒になるややこしさ。実際はどちらも違いはないのだが無理矢理使い分けをこじつければ、下戸で飲めない場合とかは飲めないから「のみいん」で運転しなくちゃいけないのでという場合とかは飲みたいけど「のみえん」。
「のんだらか」→「飲んであげようか」(のまんならわしのんだらか)
「のんだら」→「飲んだろ」(わしののんだら)
「のんだだ」→「飲んだのだ」・「飲んじゃったの?」(不味いけど無理してのんだだ)・(え~!これのんだだ?)
「のんだにい」→「飲んだよ」(それはわしがのんだにい)
「のんだでね」→「飲んだからね」(悪いがそこにあったののんだでね)
「のむだか」→「飲むのかよ」(これをのむだか)
「のむだら」→「飲むでしょ?」・「飲むでしょう」(あんたものむだら)・(多分のむだら)
「のむだらあ」→「飲むんでしょ?」・「飲むと思うけどな」
「のむだらか」→「飲むだろか」(果たしてじいちゃんのむだらか) とまあ、「む」と「ん」では意味合いが変わってくることが多い。
「のまっか」→「飲もうか」(のまんならわしのまっか)
「のまさすか」→「飲ませようか」・「飲ませるか」(たまにゃあいつにものまさすか)・(絶対あいつにはのまさすか)
「のまさすかあ」→「飲ませようかな」・「飲ませる訳ないだろ」
「のませすか」→「飲まそうか」(どうしっかのませすかなあ)
「のましっか」→「飲まそうか」(どうしっかのましっか) ほぼ「のませすか」と同じ。
「のまさせすか」→「飲まさせない」(今日は大事な日だで絶対のまさせすか) 「のまさせすかや」と「や」が入るとより強力な意思が感じられる。
「のませすかあ」→「飲まそうかな」・「飲ませないよ」 「のまさすか」と「のませすか」の違いについては微妙で尚且つ同じ言葉でも意味が逆転するのでややこしい。ただ「さ」より「せ」を使ったほうが上から目線っぽいのでえらそうな物言いにしたいような場合には「さ」を使うほうが効果的かと。
「のましい」→「飲ませなよ」(欲しそうにしてるでのましい)
「のましたりい」→「飲ませてあげなよ」
「のましいん」→「飲ませられない」(まだこの時間じゃのましいん)
「のましょ」→「飲ませろ」(やあ、のましょうやあ)
「のみくさる」→「飲みやがる」(こんな時間にのみくさる)
「のんでけつかる」→「飲んでいやがる」(仕事さぼってのんでけつかる)
「のむにい」→「飲むよー。」(悪いが先にのむにい)
「のむらあ」→「飲むでしょ」・「飲むだろう」(あんたものむらあ)・(あいつもきっとのむらあ)
「のますけえ」→「飲まないよ」(のまんと決めただでのますけえ)
「のまんとを」→「飲まないと」(苦くても効くだでのまんとを)
「のむだに」→「飲むのに」(まだのむだに片さんでもいいじゃん)
「のむにい」→「飲むよ」(まだのむにい)
「のみない」→「飲みなよ」(ちゃっとのみない)
「のみすけ」→「飲兵衛」(こののみすけ)
「のんだらかんだか」→「飲んじゃいけないのか」(ここじゃのんだらかんだか)
まだまだあろうが、きりがないのでこの辺で。
例文
A「やあ今日帰りのんでかまい。」
(お~い今日は帰りに飲もうぜ。)
B「おおいいぜ。おんしのおごりでのますか。」
(おおいいよ。お前のおごりで飲もうじゃないか。)
A「馬鹿こいちゃかん。ワリカンに決まってるじゃん。で、Cわあ。」
(冗談いうなよ。ワリカンに決まってるだろ。ところでCは?)
C「わし車だで のみえんで帰るわ。」
(俺は車だから。飲めないから帰るわ。)
A「Fはのみいんかったけか。」
(Fは下戸だったっけ。)
B「Dわぁ。あいつぁは誘わんだ?」
(Dはどうよ。あいつは誘わないのかい。)
A「あんな奴となんか誰がのますか。はあ勘弁でえ。」
(誰があいつとなんか飲むか。もうこりごりだよ。)
C「なんでえどうしたでえ。」
(なんかあったのか?)
B「まああいつぁがんこ飲むでの。」
(まあ量飲むからなあいつは。)
A「ふんでいっつも酒癖悪くて始末に負えんくてやあ。」
(しかもいつも酒癖悪くて始末に負えないしね。)
C「酒さえ入らにゃ普段大人しいだんな。」
(酒さえ飲まなきゃ普段は大人しいんだけどな。)
B「自分に素直でいいことじゃん。」
(まあとことん自分に正直なんだろうな。)
A「ついてけんわあ。馬鹿ひょんきんだらあ。」
(普通じゃないだろ。あの変わり様にはついていけないよ。)
本人はいたく切羽詰まって「でれれん でれれん よを」と連呼して助けを求めていたとしても口で太鼓のまねとかでもしてるのかと勘違いされてしまいかねない「でれれん」という表現。普通に共通語だと思っていたが理屈で考えると遠州弁っぽい。
「でれれん」とは「出る事が出来ない」つまり「でられられない」ということであるが。
遠州弁の必殺技「ら」抜きの2連発と「ない」が「ん」に変わることによって「でれれん」となる。という理屈が成り立つ。つまりこれは遠州弁か。
「でえれん」もその意味は同じであるがこちらは「出られない」の変化したものであろうと思われる。「でれん」という言い方ももちろん存在する。
緊急性というか切羽詰まった感は「でれれん」の方が強く「でえれん」の方が冷静さがある。それと「でえれん」は「出れる状況にない」というニュアンスも含むことになる。意味が同じということでは「でれれん」=「でれん」=「でえれん」だが「でれれん」と「でえれん」は必ずしもイコールではない。
では「出られられる」はどうなるかというと「でれれる」となり「出られる」は「でえれる・でれる」となる。
これに「だろう」をつけて「出られられるだろう」を直すと、「だろう」は「らあ」または「らろ」と遠州弁では変わるので
「でれれるらあ」・「でれれるらろ」
ら行が続くので全部ら行で成立するか冗談で試してみる。「変なガス吸って頭がラリった」の「ラリる」。これを「出る」と替えてみると
「ラリれれるらろ」(ラリることが出来るだろう)
というのが成立し、やってやれないことはないということになる。でもまあこうなると「ら」を抜かずに
「ラリられられるらろ」とする方がよりややこしくはなるが何故かしっくりこない。そりゃそうだな方言でもなければ共通語でもない宙ぶらりんだから。
言葉遊びをもうひとつ。語呂で遊べば
「でででんとでててでれれんもんはでれんでげれんでんまわった」
(デデデンと出ていて出られられないものは 出られないので ゲレンデの方に周った)
「デデデンと出てて出れんもんは 出れんで ゲレンデん 周った」
例文
「こりちゃったやあ。出口がんこ狭くてでれれやせんくて往生こいたわ。」
(懲りちゃったよ。出口が凄く狭くて出れなくて大変だったよ。)
「それでどうしたよを。」
(それでどうしたの?)
「しょんないもんで、でれれんでれれんっつって大声だいて助け呼んだだよ。」
(仕方がないから出れないよ~って大声出して助けを呼んだのさ。)
「そりゃやっぱ自分デブってるもんだで出えれんかっただらあなあ。」
(それは多分あんたが太ってるものだから出れなかったんだろうなきっと。)
「失礼こいちゃうやあ。じべたに置けれん荷物がんこ持ってたもんでだよ。」
(失礼な事言うじゃないか。地面に置けれない荷物を一杯持ってたからだよ。)
「寝れない」という意味では同じ言葉であるが遠州弁でのニュアンスはそれぞれ異なる。もちろん厳密な使い分けというのではなく、共通語としての「寝れん」は万能に使える表現なので使い分けのルールは非常に曖昧なものであるが。以下は個人的な考えによるものであることを付け加えておきます。
尚、「ねえる・ねえった」の記事は「寝入る」の訛った表現として説明しておりこの記事の説明とは言葉が違うものであると言い訳をしておきます。
「ねれん」
眠れない・寝付けない
「うるさくて寝れやへん」
「ねえれん」
寝ることが出来ない・床に付けない
「忙しくて寝えれやせん」・「寝えってる暇んない」
では、「うるさくて寝えれやせん」と言った場合
布団に入る前からうるさいということになる。
「うるさくて寝れやせん」は
眠ろうとしたらうるさいのが気になりだしたということを意味する。
つまり「ねえる・ねえれん」という言い方は「ねえいく」(寝に行く)という言い方のように睡眠そのものを指すのではなく寝るという行為を指すものであるということ。細かく補足的に訳せば「ねえれん」は「寝れる状態じゃない・寝てる場合じゃない」とかいう意味合いで使われるということ。
「寝る・寝れん」は遠州弁ということでは睡眠を指す言い回しが主体であろう。
「よう寝た」は熟睡したということであり、「よう寝えれた」だと寝るのにいい環境だったというニュアンスになる。「眠った」でいえば「眠った」と「眠れた」の違いみたいなもんか。
では「でれれん云々」の記事で説明した理屈で「ねれれん」という言い方は在るかというと、それは存在する。「ねれれん」の意味合いは「ねれん」と同じであり「でれれん」と「でえれん」のニュアンスの違いもこれと同じであろう。
例文
「ここんとこ残業続きで疲れたらあ。今日はちゃっと帰って休みない。」
「それがのっ。あんねえガキ連れて帰って来てけつかるもんで どうるさくて寝えれやせんだよ。」
(それがさあ。姉貴の奴が子供連れて帰って来てるもんだから騒々しくて寝れないんだよね。)
「そりゃしんどいこんだの。でも横んなるだけでもちったあ違うだで寝れんくても寝えった方んいいにい。」
「今日は良い天気で絶好のお出かけ日和だら」
間違ってはいないがえらく中途半端であり
「今日良いい天気だで外ん出るにゃ最高だにい」
くらいにはしてもらわないとすっきりしない。もちろん
「いい天気じゃん。あんた今日そと出てかんでいつ出るよを」
ぐらいまで逝ってくれればもう原住民扱いになるのだが。
たとえ原住民の人でもピンとこない言い回しと感じることがある。遠州弁と言っても各集落によって随分と異なるものであり私がしてることは自分とこの集落の言い回しを押し付けているようなものなんだけど。
「そんなに ぬくとめなくても いいにい」
(そんなにあたためなくてもいいよ)
私だったら
「そんな ぬくとめんでも いいにい」
もっとぐでぐでにするなら
「んな大層にぬくとめんくたっていいでねえ」
とする。他の例では
「まあ、そうだけど、左側に落ちんくてなによりだったな。あっちは民家があるでね。」
私だったら
「まあそうだけえが ひだりっかあに落ちなんでなによりだったやあ。なんしょあっちん方家あるで落ちたらホントたまらんにい。」
そりゃあまあ若い衆は方言を避ける傾向にあるのは今日に始まったこんじゃないだで人の事言えた義理じゃないにしても、歳とりゃあ自然と回帰するだでちったあね。使えたあ言わんでも聞き取りはきちっとして言い回しとか忘れんようにもしてくれんとをと思えるだよを。
ちなみにタイトルの「上手くない」。
「うまくない」と読むのは標準語。断定するのは無謀な暴挙ではあるが
遠州弁なら「じょうずくない」と読む。
「凄く旨いでしょ」と言っている。「どうまいら?」と語尾が上がれば「「凄く旨いでしょ?」となる。「どうまいらあ」だとイントネーションの違いで「凄く旨いでしょうに」・「どうだ旨いだろ」という二通りの解釈ととれる。語尾が上がって「どうまいらあ?」となれば「そうだろ?凄くうまいでしょう?」とかになる。
「どうまいら」の使い場所としては例として
「ね、分かるらあ。どうまいら。」
訳すと「ねえ分かるでしょ凄く旨いでしょ。」といった感じで同意を強く求める勢いになる。
「どうまいだら」だと「凄く旨いんでしょ」つまりまだ食べてない状態での発言。
まだそれを食べていない人に自分が今食べていて旨い事を伝えたい場合で「これ食べてご覧よほんとこれは凄く美味しいよ」ということなら
「これ喰ってみいにホントこれどうまいにい」
同じように薦める状態で自分も今食べていない状態で「これ食べてご覧よほんとこれはすごく美味しいんだから。」ということなら
「これ喰ってみっせえホントこれどうまいでえ」。女性言葉なら「これ食べてみいにいほんとどうまいだにい」
食べる前から旨いだろうとは思っていたけれど「食べてみたら凄く旨かった」だと
「喰ったらばかうまかった」
食べる前は旨いとは思っていなかったけど食べたら「思ってた以上に旨かった」だと
「いやあがんこうまかった」
人に勧めたくて「本当に旨いよこれ」という場合には
「ホントうまいにいこれ」
人に理解して貰いたくて「本当に旨いんだよこれ」だと
「ホントうまいだにいこれえ」
人に納得して貰いたくて「本当に旨いんだから食べてごらんよ」だと
「ホントうまいだで食ってみいって」
とかになる。あくまで一例でありましてパターンはまだいくらでもありますが複雑にしても分かりにくいので。
ちなみに旨いの強調形のパターンを挙げると
「どうまい」・「ばかうまい」・「がんこうまい」・「うんまい」
とかがよく使われるのではないか。明快な使い分けは多分ないと思われる。
蛇足ではあるが女性の場合「にい」表現を多用すると可愛らしいと映ることがあるらしい。
蛇足の例文
「これあんたけえ。」
(これやったのあなたなの?)
「違うにい、にいにだにい。」
(違うよ兄ちゃんだよ。)