遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「かったるい」は共通語と遠州弁とではどうも意味合いが違うみたいだ。
まず「かったるい」。ネット辞書によると
①だるい・物憂い②もどかしい・じれったい。とある。
遠州弁だと①の意では「どだるい」・「かいだるい」がよく使われる。この意では「かったるい」は使わない傾向があろうか。
②の意においては「どだりい」・「なるい」・「どなるい」とかになろうか。「なるい」は「緩い」と書く共通語であるが、遠州弁では「もどかしい・じれったい」というよりもどちらかというと楽勝過ぎて歯ごたえが無いとかで「やる気が失せる」・「やる気が薄れる」などという意で使われているから「なるい」が当てはまるということになる。
話しちょっと飛ぶが、「だるい」・「だりい」とすると重症で「どだるい」・「「どだりい」と言う方が愚痴で済んでる位の軽い症状ということになるのがあら不思議。
ちなみに「どかったるい」という言い方はほとんど聞かない。「ばか」・「えらい」・「がんこ」はあるが。
本題に戻って、今度は辞書ひくと
疲れてだるい。とある。
ネット辞書及び辞書の意味と遠州弁で使われてる「かったるい」の意味が若干違いがありそうだ。
遠州弁での「かったるい」は物憂いでもないし疲れるでもなしじれったいでもなしで、つまらないからとかの理由でだらけるとかいう意味で使われている。
ということは、共通語的に「今日は荷物運びかったるかったねえ。」と発すると、遠州弁的解釈では「今日の荷物運びは面白くも無い仕事だったよね。」と解釈されて
本人は「疲れてだるかったよね。」と言いたかったのに「つまらん仕事だったよね。」と伝わっているということになる。誤解を招きそうだ。(共通語的な意図をというのであれば「今日の荷物運びえらかったねえ。」もしくは「しんどかったねえ」とかになる。)
ニュアンスがかくも違いかねないわけで、さりげなく方言といえそうな感じの遠州弁における「かったるい」の意である。
遠州弁的言い回し
このふたつは同じかどうか。
「血豆」(ちまめ)は共通語であるので説明は不要であろう。
「血が死んだ」は内出血して青あざが出来てる様をいうのであるが。
遠州辺りで使われてるだけの言い方なのかと長い事思っていたのだが最近ネットで検索したら変形というか直ではないが似たような言い方を広い地域で使ってるらしいというのを知った。
「しに」という言い方で「黒じに」とかな。
「じみ」で「黒じみ」という地域もあるそうな。
もしかしたら「じみ」は「染み」で「しに」も「染に」とかいった青く染まるとか黒く染まるという方のものではないのかと勘繰れなくもないが、まあ近い言い回しということにはなろうか。他には「滲みる」・「沁みる」も考えられるところ。
遠州弁の「血が死んだ」ははっきり「死んだ」であって「染みた」(しみた)の変ではない。と思っている。
「血が死んだ」の説明はこれくらいにして本題の「血が死んだ」と「血豆が出来た」は同じかどうかという点について
結論からいうと遠州に於いては「血豆が出来た」と「血が死んだ」は別物である。
血豆は内出血したところが豆粒ほどにぷくんと青または黒く膨らんでいる状態をいう。
血が死んだは内出血したところに腫れはなく青または黒ずんで変色してる状態をいう。
ネットで色んな地域の使い方をみると、関東の方では同じと説明されてるところもあったが、遠州弁においては別物である。
蛇足だが「あおたん」と「血が死んだ」は同じと思える。
遠州弁的言い回し
「ど」と「ばか」の違い。
今回は「どねむい」と「ばかねむい」
まあ個人差はあろうが
「ばかねむい」は目が重たくなってるとかな眠いにしてもまだ気力で踏ん張ろうとする勢いを感じる。どちらかというと眠くなる前のだるいとか体が重いという状態であろうか。
応じるとしたら「寝ちゃかんにい」(寝ないでよ)辺りとなろうか。
「どねむい」だと目がしょぼしょぼしてきてもう駄目という寸前で踏ん張りがきかない勢いを感じる。
応じるとしてら「寝るじゃないにい」(寝るんじゃないぞ)とかになろうか。
車の運転中に「ばかねむい。」と訴えられたらなら「ガム噛みな。」と応え。「どねむい。」と訴えられたら「おい事故起こいちゃかんにい。」と応える。とかな。
ちなみに「ねむい」を「ねぶい」と言う言い方もあるがそれはまた別の記事で。
遠州弁的言い回し
「ねむい」と「ねぶい」
このふたつにはどう違いがあるのか。
(あくまで勘繰りであるのでこうだと言い切れるものではない。)
「ねむい」を「ねぶい」と言う言い方は、「ねぶい」を使う人と使わない人とがいるので一概にこうだという明確な使い分けとかは無いのであるがそれでもなんとかこじつけを探すと。
両方使う人の一例として「ねむたい」と「ねぶたい」で較べてみると決して一貫性はない(むしろそれぞれは相反したりしてる)のだがいくつかのパターンが思い浮かぶ
ひとつめはところによっての使い分け
授業・講義中とか会議中に眠くなったら「ねぶたい」
寝てもいい環境とかでだったら「ねむたい」
を使うのが差し障りないと感じられる。「ぶ」を使うと一応眠気に抗ってる勢いがつくように感じられるからである。
ふたつめは眠気の強弱の使い分け
「ばかねむたい」よりも「ばかねぶたい」の方がより寝たいという気持ちが強い。
「ねむい」の強調形が「ねぶい」という言い方も出来ようか。
みっつめは、ひとつめとほぼ同じなのだが
「ちっくそ~どねぶいやあ。」と眠気に対してこの野郎と思ってる。つまり寝てはいかんと思ってる・踏ん張ってる。
「はあばかねむたい」だともう眠いと泣きが入ってるくらいの弱音と聞こえる。もしくはリタイア宣言の一歩手前。
眠気と闘ってる場合は「ねぶたい」睡魔に襲われて負けそうな場合は「ねむたい」。
ちなみに「ねぶたい」。男女共に使う人は使うものである。
遠州弁ま行
「まざる」・「まぜて」
遠州固有種とかではなくけっこうな地域で使われているものであろうが、遠州でも使うよということで。
というか共通語の範疇だろうな。
「仲間に入る」・「仲間に入れて」
という事なのであるが、これを漢字で表わすとなんになるんだろうというのを勘繰ってみる。
「混ざる」・「交ざる」
ここいら辺が妥当なところであろうか。まあ、「混ざる」だと人混みの中に潜り込むみたいな勢いを感じて「交ざる」は「人との交流を図る」みたいな勢いを感じるので
「交ざる」の方が適当と思えるところではあるか。もっとも辞書には「交ざる」の説明の中に混ざるとも書くとあるのでどっち使っても問題ないのであろうが。
「交わる」の変という勘繰り方が無難な線であろうか。
「まざる」(仲間に入る)の反対語は「はぶせ」(仲間から外れる・余る)になろうか。
漢字にすると多分「交ざる」と「省せ」。遠州弁における「はぶせ」は決して排他的な言い回しに限ったものでは無い。
例文
「ねえ、まぜてやあ。」
(ねえ私も参加させてよう。)
「二人一組だもんで一人だとはぶせんなるでもうひとり連れてこんと駄目だにい。」
(二人一組だから一人だと余りになってしまって参加できないからもう一人連れて来ないと参加できないよ。)
「じゃ探いてくるわ。」
(分かった。探してくる。)
「そうしい。」
(それが好いと思うよ。)
注、この場合選択肢は「じゃあ止める」というのと「じゃあ探してくる」のどちらかで、「そうしな。」というので止めるよりも探すのが賢明だと言っているのである。