遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
無意識に語尾につけてしまいがちな「だら」・「ら」
使い過ぎにはご用心。
「ら」は「ろ」・「だら」は「だろ」。「だらあ」で「だろう」と共通語に置き換えられる。
「だら」・「だらあ」は推測・憶測の表現である。
「明日行くだら。多分誰か持ってくだら。だで心配せんでもいいだら。」
と全部「だら」とすると訳は「明日いくんじゃないの?多分誰かが持ってくんじゃないの?だから心配しなくてもいいんじゃないの?」となって確実に他人事と思ってると判断される。
よしんば「だら」を「ら」に替えても
「明日行くだら。多分誰か持ってくら。だで心配せんでもいいら。」
というような言い方をすると、下手すると(に格下げするが)親身になっていないいい加減(他人事で薄情)な奴だと思われかねない可能性はまだ大である。
訳さば「明日行くんじゃないの?多分誰かが持っていくだろ。だから心配しないでもいいだろ。」
全部憶測で物を言ってる次第。ここは
「明日行くだら。多分誰か持ってくって。だで心配しんだっていいに。」
訳さば「明日行くんじゃないの?きっと誰かが持っていくって。だから心配しなくったっていいよ。」
もしくは「明日行くじゃないのけ。多分持ってくら誰か。だで心配要らんて。」
とかにしとくのが無難であろう。内容を吟味すればいい加減さに変わりはないがそれでも他人事加減は大分薄れるものである。
ちなみに「だに」とすると
「明日行くだに。誰か持ってくだに。心配しんでもいいだに。」
ニュアンスで訳さば「明日行くんだよ分かってる?ちゃんと誰かが持っていくんだよ。心配しなくてもいいんだからね。」
と意味も変わるしなにより口煩い感じになる。子供じゃねえんだからいちいち口出すなという気分になる。
遠州弁的言い回し
「じゃあじゃあ」と「だあだあ」の違い。
「じゃあじゃあ」が共通語で、水(液体)に関する言い回しであると仮定しての話しであるが。
*状態の違い
「水がじゃあじゃあ洩れる。」だと勢いよく洩れ出てるという意味ととれる。
大量という事であり、なんとか止めないとという意識が感じられる。
「水がだあだあに洩れる。」では止めようがないくらい(制御不能)に洩れてるととれる。
どうしようもないという事であり、お手上げ(諦め)の意識が感じられる。
従って使いどころに於いて「水をじゃあじゃあ出しっ放しでもったない。」というのを「水だあだあに出しっ放しでホントもったない。」という使い方はしないのである。「だあだあ」では調節や止めようがないのだから出しっ放しは致し方ないからである。
ただし「だあだあ」が出しっ放しにしてる人間の限りないズボラに対してというもので「だあだあに水とか出しっ放しでホントもったない。」というものであれば有りである。
*対象物の違い
「じゃあじゃあ」は水に関する事に対してのみというものであるが、「だあだあ」は大量過ぎて制御不能というものであれば大抵の事において使われるというものである。
「しっちゃかめっちゃかではあだあだあ。」
(しっちゃかめっちゃかでもうお手上げ。)
「だあだあに散らかってるもんでまともに歩けやせん。」
基本「だあだあ」には「うんざり」を含んでいるものである。喜ばしい事に使われる事は普通無い。
*勢いの違い
「じゃあじゃあ」の勢いは強目という印象を受けるが、「だあだあ」はとめどなく(次から次へと)という意味使いもしたりするものでたとえじわじわであっても止められないというものになら使われるので必ずしも強いとは限らない。
「だあだあに客ん来てるもんで商品足りんぞこれじゃ。」
*その他(これは冗談です)
「じゃあじゃあ麺」という食べ物は有るが「だあだあ麺」という食べ物は無い。
屁理屈かませば「だあだあ」の次から次へと際限なくという意味使いを駆使して「わんこそば」を「だあだあそば」と遠州流に改名できなくもない。まあ遠州ならではということなら餃子で「だあだあ餃子」とかいう餃子食い放題の品が考え付くところであるが。如何せん「だあだあ」にはうんざりという勢いが付随してるのでちょっとどころか大分料理名には向かないであろうな。
遠州弁では使わない言い回し
「しんといて」・「やらんといて」
遠州ではほとんど使われない言い方である。
「見んといて」だと「見んで」
「しんといて」だと「しんで」
といった風に発するのが遠州の傾向。
それでいて「見といて」・「しといて」といった言い方は普通にする。
打消しの場合には「といて」は使わないというのが遠州の傾向といえるやも。
「見ないでおいて」→「見とんといて」は使わない。「見んでやあ」が普通であろうか。
「見ておいて」→「見といて」は普通に使う。
「やらないでおいて」の「やらんといて」は「やらんでおいて」・「やらずにおいて」・「やらなしにおいて」
「やっておいて」は「やっといて」
とまあこんな感じか。あくまで傾向であって一切使わないというものではない。
遠州弁的言い回し
イントネーションの違い。遠州弁を話すに於いて重要なポイントは、その独特といわれるイントネーションを使いこなせるかどうか。
今回のお題は
「ごめんよ」
まあ、遠州独特というものではなかろうが
共通語とはイントネーションが異なるし意味も異なる。
「めん」を強く言う。男女共に使うもので、タメ(同格)もしくは上が下に対して発せられるものである。下が上に対して発すると礼儀を知らない生意気な奴と確実に思われる。
ニュアンスは「申し訳ない」・「済まない」。つまり謝っている。決してちゃらけてはいない真面目なものである。
共通語の「よ」を強く言う「失礼」・「ちょっとごめんなさい」とかいうものとは意味使いからして異なる。
例えばお皿を割ってしまっての「ごめんよ。」。
遠州弁においては心底詫びているものであり訳せば「本当に申し訳ない。」といったものである。
共通語においては「ちょっと前をごめんよ。」みたいな会釈的に頭を下げてるものであろうから訳せば「ああ悪かったねえ。」といったものになろうか。
随分と受ける印象が違ってくるものである。
共通語の「ごめんよ」と同じ感じのものは「悪いやあ」で、遠州弁での「ごめんよ」は済まない事をした反省してるくらいな勢いのものである。
他の言い方は
「ごめんね」は「めん」を強く言うと「ああ悪かったね」、「ね」を強く言えば共通語と同じ。
「ごめんだに」は許して・勘弁してと言っている。イントネーションは「だ」を強く言う。
とかがある。
遠州弁的言い回し
イントネーションの違い。遠州弁を話すに於いて重要なポイントは、その独特といわれるイントネーションを使いこなせるかどうか。
今回のお題は
「東海」
「東北」・「東京」のイントネーションと「東海」のイントネーションは違う。
東北・東京がほぼ平坦なのに対し
東海は「と」を強く言う頭高である。
これが、地方とかが付いて「東海地方」とかとなると頭高ではなく平坦なイントネーションになる。
「磐田」だと頭高で「磐田市」だと平坦になるというのと一緒である。
すべてそう(頭高と)なるのかというと
「湖西」は頭高で「湖西市」は「さ」を強く言う。
「浜北」は平坦で「浜北区」も平坦、つまり変わらない。
「掛川」は「け」を強く言い「掛川市」は平坦もしくは「わ」を強めに言う。
といったように地名によって異なる。
どういう理屈・法則があってこうなるのか分からないが、とにかくそれが言い易いからそう発せられているということは確かであろう。
地名に関してはなにしろややこしい。パターンが掴めないから覚える・馴れるしかないであろう。
蛇足で「すずき」(鈴木)
平坦もしくは「き」を強めになら名字。
頭高でなら軽自動車・ぽんぽん作ってる会社。ただし「スズキ自動車」とか後ろに何か付くと平坦もしくは「ずき」が強めとなる。
地域によってばらつき(違い)はあるだろうけど、大方はこういうイントネーションで発せられる。