遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
イントネーションの違い。遠州弁を話すに於いて重要なポイントは、その独特といわれるイントネーションを使いこなせるかどうか。
今回のお題は
「ものいい」
「ものいい」は「物言い」で「物の言い方」ということになるのだが
イントネーションの違いで二種類の意味合いがある。これが遠州弁固有なのかは定かではない。(共通語のイントネーションは平坦であろう)
平坦で「ものいい」と言う場合、発言の内容。話しの持って行き方(論法)。説明の仕方。
「そうゆうものいいしたら誰も解かってくれやせんて。」
(そういう説明の仕方では誰も納得してくれないよ。)
「いい」を強く発した場合、口調・言い方といった意味になる。
「親に向かってなんちゅうものいいだあ。」
(親に向かってなんという口の利き方をするんだ。)
逆のイントネーションにすると
「そういう言い方したら誰も本意を理解してくれないよ(不評を買うだけだよ)。」
「親に対してなんてことを言ってんだ。」
という感じになる。
相撲用語の「物言い」は「ちょっと待った」という不服を感じさせるものであるが、遠州弁で使われる「ものいい」は必ずしもそういうものではない。
遠州弁的言い回し
「いっしょくたあにするじゃないにい。」
イントネーションの違いによっていくつかのニュアンスが存在する。
にい
①「にい」もしくは「い」を強く言う場合
「ごちゃまぜにするんじゃないよっ。」といった制止・警告を意味するものになる。きつい言い方と映る。
②「に」を強く言う場合
「ごちゃまぜにしないでね。」といった注意喚起を意味するものとなる。軽めの忠告と映る。
①の場合の「い」は意味を強める効能を有するものと思われる。
②の場合の「い」は語尾を伸ばすもので物言いを柔らかくする効能があると想像される。共通語における「ね」を「ねえ」と言うのと同じものであろうか。
いっしょくたあ
「しょく」を強く言う場合と「たあ」を強く言う場合がある。
この二つの違いは、こうだと言い切れるものではないがいつも以上に個人的な感覚で違いを述べれば
「しょく」を強く言う場合は「ひとまとめ」
「たあ」を強く言う場合は「ごちゃまぜ」
といった「しょく」は好い場合にも使われるが「たあ」は好くない(不服・不快に思える)場合に主に使われる。
くどいようだが個人的にはそういう違いを感じるというものであって一般論とは必ずしも言いきれないのでご注意のほどを。
遠州弁的言い回し
「やあっと見んと思ったら」
まあツボは「やあっと」であるが。なんかいかにも遠州弁らしい言い回しだなと思って。でも遠州独特かというとそうでもないだろうが。
「やあっと見んと思ったら」
イントネーションは「やあ」を強く言う。蛇足だが「あ」を強く言うと「ようやく」・「ようやっと」といった意味になって別物扱いになる。
訳さば「随分見ないと思ったら」。
この「やあっと」。「随分」と訳したが、「暫く」・「長い間」などという意味でも使われる。
この例の場合要は「間(あいだ)が空いてた」ということを言いたい訳であるが、何日以上経ったら「やあっと」と言うとかいう決まりは特にない。よく使われるのは習慣的であったものが一時中断した後復活した際に「おかえり」の代わりに発せられる物言いといったところであろう。
無論歓迎もあれば不満抱き(舌打ちし)つつも大人の対応というのもあるので社交辞令の表現といえなくもない。
「やあっと見んと思ったら」、身も蓋も無い事を言ってしまえば「久し振りだね」と言ってるということである。
他の言い方としては「だいぶ」・「えらい」・「がんこ」などがある。「やあっと」との違いは客観的に間が空いたというもので「お久し振り」といったニュアンスは含まれない勢いになる。
例文
「久し振りじゃん。なにやってたよを。」
(久し振りだねえ。会わない間なにしていたんだい?)
「ちっとな。長い出張行ってたでえ。」
(ちょっとね。長期の出張行ってたんだ。)
「やあっと見んと思ったら真面目に仕事してただあ。」
(そうなんだ。暫く見ないと思ったら真面目に仕事してたんだねえ。)
ちなみに「やあっと」。憶測だが、「やっとかぶり」の「やっと」と同じものかというと、「やっとかぶり」が「八十日振り」であるとしたならば「やあっと」は「八十」ということになる。
「やあっとか」なら「八十日」で「やあっとか見んかった。」は「八十日会わなかった。」という解釈で成り立つが「やあっと見んかった」だと「八十会わなかった。」となってなんのこっちゃというはめになる。
「やあっと」=「やっとか」とは言いにくい部分があるところである。
「ようやく」という意味の「ようやっと」の「やっと」=「やあっと」というものでも無いように感じられる。「やっと」とは別物であろうな。
じゃあ共通語に相当するものはなんだとなると、今の所これだというのが思い付かないので「随分」・「暫く」をあてている。がやはりまだドンピシャという感じがしない。
遠州弁的言い回し
「ぶっさらう」と「ぶっさぐる」の違い
遠州固有というものでもなかろうが遠州でも使うよということで。
前にも書いた内容かもしれないが、長い事やってると記事数が膨らんで、逐一重複か確認チェックするのが億劫なので思いたったままに記事とした。だもんで重複だったらごめんよを。
こうだという決め事がある訳では無いし地域によっても異なることもあろうが
「ぶっさらう」はトンカチとか(叩く道具)を普通に叩く(用途に準じた叩き方)というのと人に対してなら叩く(はたく)にしても平手でって感じのもの。
「ぶっさぐる」はそんな勢いで叩くのかといった普通じゃない叩き具合というのと人に対してなら殴るという勢いでげんこつで叩く(たたく)みたいな感じのもの。
勢い的には「ぶっさぐる」の方が強めと感じる。「ぶっさらう」は払うといった感じであろうか。
「おいお前ぶんなぐるぞ」と言いたい時
「やあおめえぶっさぐるぞ」というべきか「やあおめえぶっさらうぞ」というべきかとなると。
普通だったら「ぶっさぐる」であろうな。
「ぶっさらう」はビンタで「ぶっさぐる」は殴るという感じであろうか。
「後でぶっ飛ばしてやる」と言う場合
「後でぶっさらってやる」か「後でぶっさぐってやる」どっちを使うかというと。
どっちも有りであるが、怒りが籠もってるむかつき感は「ぶっさぐる」の方が強いと感じる。「ぶっさらう」だと「きつく注意しとく」程度な感じと映る。(無論「後で説教」よりもきついものである)
つまり叩くべき用途と用法で叩くのなら「ぶっさらう」で、勢い強くもしくは怒りが原因(感情的)で叩くのなら「ぶっさぐる」という違いと言えなくもない。
ところで、「ぶっ」は接頭語で「ぶち」の強調形。勢いよく何々する。ということで
「さらう」と「さぐる」はなんぞやというのを説明すれば違いを屁理屈で示せるのであろうが、如何せん辞書にそれらしいものが無かったので感覚的にしか説明できない。
遠州弁的言い回し
「血が死んだ」
完全に憶測という内容。法螺吹いてるつもりではないのだが。
「血が死んだ」。
「内出血した」と言っているわけであるが、なんで「死ぬ」なんだろうと。
「青あざができる」ということであり
状況(景色)としては服に染みが出来るのと同じに映るとしたら
「死んだ」ではなく皮膚が染みたということで「染みた」が変化して「しんだ」となったのではないのかと勘繰る次第。
まあ書いといてなんだが、実際には小さい頃から血は流れていてこそで流れなくなった血は死んだも同然という解釈で「血が死ぬ」という言葉の意味を覚えてきているので、「血が染みた」もしくは「滲みた」という考え方は非常に眉唾物ではある。
蛇足だが他の言い方としては「あおたん」が使われたりもする。
「血が死んだ」とどう違うのかは検討してみないと分からない。「あおたん」は関東で使われる言い回しだそうで、使い分けしてるのか・同じ状況を指すのか指さないのかとかは今後の課題。