遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
遠州弁的言い回し
「どんじかられた」
どれくらい叱られたのか。どの程度の叱られ方なのか。
いつも以上に多分に個人的見解満載ですので鵜呑みは危険。
一概にこうだという基準はもちろんないのだが
勢いとしては、大層言われてへこんではいるが一時の嵐みたいなものでこたえていないもしくは立ち直りつつある(平気平気という)感じであろうか。どういう叱られ方をされたかというのを想像すると、叱り方はじくじくとした陰湿なものでは無くカラっとした感じという印象を与える。反応としては「いやあ参ったよ怒られちゃった」みたいな。
共通語に直すのなら「叱りつけられた」・「雷が落ちた」とかいったものになろうか。
他の言い方と較べてみると
「がんこ言われた」
きゃんきゃん言われた。言われ放題言われて辟易(うんざり)してる。
「えらい言われた」
なんでそんな事(又はそこまで)言われなきゃいけないんだ?と内心思ってる。
「きつく言われた」
今後こう言う事の絶対無いようにといった内容と想像される。
といった風に、「叱られた」よりも「言われた」を使う方がきつい・こたえてる勢いがある。「叱られた」はきつい注意だが「言われた」は非難されたというニュアンスが強いからであろうか。叱られたはドカンで言われたはネチネチという使い方にもよろうが。
「ばかしかられた」
意味的には「どんじかられた」とほぼ似たような感じであるが、使いどころとしては必ずというものではないが、以前とかこの間とかいう過去に於いてという場合に使われることが多い。ついいましがたとか今正にというのであれば「どんじかられた」で暫く間が空いてのものなら「ばかしかられた」という使いどころの違いが無くもない。
「この間どんじかられた。」だとその時の光景(記憶)が今蘇ったみたいな生々しい勢いになる。今も後を引いている感じが籠もる。
「この間ばかしかられた。」ではあの時はこうだったなというのが記憶として残ってるくらいの勢い。
「説教喰らった」
言われる方にしてみれば「どんじかられた」と大して変わりは無い。強いて違いを挙げれば「どんじかられた」は感情的にで「説教喰らった」は理屈も込みで叱られたというものであろうか。
ちなみに「どんじかられた」の場合「ばかっつら」が枕詞に付き「説教喰らった」の場合語尾に「違うか?」が付く傾向が強い。
内容的には「どんじかられた」はああしろこうしろ分かったか?で「説教喰らった」はなんでこうしない?言ってみろという傾向が見受けられる。
「えらいおこられた」
怒られ具合はほとんど「どんじかられた」と同じと思える。あえて違いをとなると「えらいおこられた」は「いやあ参った参った」といった感じで左程効いていない・後引いていない印象を与え「どんじかられた」は口では平気とは言ってるが内心はボディーブローのように効いている印象をなんとなく受ける。
遠州弁的言い回し
使わない言い回しを挙げるのも一考かなと。
「なんなの一体」というのを「なんなん一体」とは言わない。ということである。
遠州でよく使われる言い回しとしては、女性なら「なによを一体」・男なら「なんだあ一体」とかが思い浮かぶ。
「あんなの」を「あんなん」とというのについては微妙であって使わない・聞いた事無いとは言い切れない。
「なんなのだ一体」となると「なんなんだ一体」とは言う。遠州弁っぽいとなると「どうなってるよを(もしくは、だあ)一体」とかであろうか。
撥音便化(「の」が「ん」になる)をするものとしないものとがあるということで、関西ほどには徹底していないというのが遠州弁であろうか。するしないの法則(理屈)みたいなものは見当がつかない。
もしかしたら「なんなの」という言い方そのものが遠州弁っぽくないのでほっぽかれてそれぞれの裁量に委ねられているからパターンが豊かといえるかも。
「なの」は「だ」とか「でえ・でよ」とかを使う事が多いというのが遠州弁。
「行くな?」は「行くだ?」
「なんなのよ」は「なんでだ」・「なんでえ」・「なんでよを」
「そういうもんなの」だと「そうゆうもんだあ」・「そうゆうもんでえ」
蛇足だが「そういうもんなの?」では「そうゆうもんだ?」・「そうゆうもんけ?」となる。
遠州弁的言い回し
「ぬかす」と「こく」
「言う」・「発する」ということだが、このふたつに違いや使い分けというものが存在しているのかどうか。
「こく」は男女共に使うが「ぬかす」は基本野郎言葉であろうな。あくまで基本はということで実際には微妙。
「ほざく」と「ぬかす」は近いかな。「吠える」だと遠くなる。
例を挙げて較べてみると
「なにぬかしてるだあ。」承服できないという勢いが強い。
「なにこいてるだあ。」理解できないという勢いが強い。訳すにおいては、ありえない・冗談じゃない・ふざけるんじゃないよ、といった言い回しになる事が多い。
ボケに対するツッコミというのなら「こいてる」でないと。「ぬかしてる」を使うとツッコミではなくマジで否定してる勢いになってしまう。つまり洒落にならない。
ちなみに「ぬかす」は基本野郎言葉と説明したが、なら女性はこの場合どう言うのかというと
「なにゆってるよを。」と発することが最も多かろう。
「なにこいてるだあ。」は「なにこいてるよを。」あたりになろうか。
あくまで物は言い様であるので語気が荒ければこれらの限りでは無い。
遠州弁的言い回し
「とっから」
全国どこでも使うであろう言い回しであるが
遠州弁での使い方をば。(まあ全国一緒だろうがあえて)
「ところから」→「とこから」→「とっから」
という変化であろう。
なんでもかんでも「とっから」と言うのかというとそうでもなく「とこから」もよく使われる。
ならば使い分けとかされてるんだろうかというと
「駅のとこからだと歩きゃ5分。」。ごくごく普通である。
「駅んとこからだと歩きゃ5分。」。これだとちょっと言いにくい。
「駅のとっからだと歩きゃ5分。」。これだとなんかざらつく感じがしないでもない。
「駅んとっからだと歩きゃ5分。」。普通である。
どれも言い方が変と思えるものはないしニュアンスが変わるわけでもないので特に使い分けしてる風では無いと映る。強いて挙げるとすれば、「の」の時は「とこから」で「の」が「ん」に変わってる時には「とっから」とした方が言い易い気がする。
次に、例を替えて較べてみる
「駅」という公共物ではなく私物である場合
「家のとこからだと」だとちょっとよそよそしく感じる。「家」といっても自分の家を指しているわけではない勢いに思える。
「家んとっからだと」が普通と思える。これだと馴れ親しんだ勢いがついて自分の家を指してるような感じとなる。(必ず自分ん家を指す訳では無い)
「とこから」と「とっから」の違いは馴れ具合の差を表わしているといえなくもなさそう。
「駅んとっからちゃっととんできただよ。」
これだといつも通ってる(利用してる)駅という印象を与える。
遠州弁的言い回し
「だいすき」
共通語の「大好き」は頭高の「だ」を強く発するものであり遠州でも使われるが
遠州弁の「だいすき」は「す」を強く発する言い方もある。
「あいつケーキだいすきだで、これ知ったら ど羨ましがるにい。」
「ばかすき」と言い方を代えた方がイントネーションは分かりがいいだろうか。
では、共通語発音で言うのと「す」を強く言うのとではどう違うのかというと
実はそんな変わりは無い。強いて挙げるとするならば
共通語発音で「だいすき」というのは好意的な捉え方で例文のニュアンスはあいつがいたら喜ぶだろうなという感じになる。
「す」を強く言うのはちょっと呆れてるといった、自分にとってはそうでもないが誰かは好きという他人事を言う(俯瞰的な)場合に使われる事が多い。
なので例文を訳すと「あいつならケーキが異様に大好きなのでこれ知ったら羨ましがるよ。」となり、自分たちはそうでもないがあいつなら大好きだからこの状況は嬉しいだろうなといった感じというのと、はっはっはどうだ羨ましいだろみたいな優越感を表わす感じといったいくつかのパターンが思い浮かぶ。