遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「かんだでねえ」と「かんでねえ」の違い
(咬んだ・咬んでではない)
「かんだでねえ」は「いけないんだからね」
「やっちゃかんだでねえ。」だと「やってはいけないんだからね。」で「やったら言いつけてやる。」という文が続きそうな勢いとなる。
「かんでねえ」は「駄目だからね」
「やっちゃかんでねえ。」だと「やるんじゃないよ。」で「やったらぶん殴るぞ。」などという文が続きそうな勢いとなる。
「だでねえ」を使うと自分の意思としてそう言ってるのではなく決まり事なんだからというニュアンスに聞こえる。
「でねえ」は自らの意思でそう言っていると聞こえる。
なので、「やっちゃかんだでねえ」の言を破ると処罰は個人がではなく衆が下すという感じになる。
「やっちゃかんでねえ」の言を破ると個人でけじめをつけるといった感じになる。
遠州弁的言い回し
「よど」と「おど」
どう違うか。
まあ「よど」も「おど」も遠州固有というものではなかろうが。
遠州での使われ方をば。ただし、「おど」は日常殆ど使われていないのでもしかしたら遠州弁の範疇じゃなくどっかからの輸入語なのかもという可能性は高い。
「おど」は「嘔吐」(おうと)でつまりゲロ。「嘔吐」は普通「おうと」であるが「おうど」という言い方もあり「おうど」が変じて「おど」になったのではないかと推測される。(って私が勝手に推測してるだけなので根拠がある訳では無い。)
「よど」を漢字でどう書くのか知らないが意味はよだれもしくはつば。
つまり口から出てくるものの違い。本来出すべきものではないものが出てくるという点は同じであろうか。
ゲロといっても胃に入った吐しゃ物(通称、反吐「へど」)に限った訳では無く吐く物なくて胃液みたいな液状のものとかもゲロの部類に入るであろうから「おど」と呼べる対象物は「よど」より多い。
ならば痰はどっちに入るのかとなると、これは本来が出した方が好ましいものであろうから「よど」にも「おど」にも含まれないと考えるのが自然であろう。
他に違いとしては、言い方として
「おど」は「出る」とか「吐く」・「戻す」・ごく稀に「こぼす」とかいうものだが
「よど」は「垂らす」・「こぼす」ものが主流である。つまり無意識。
なので「唾を吐く」の場合は意識的に出すものであるから「よどを吐く」という使い方は微妙である。
遠州弁的言い回し
「ありもへん」と「ありもしん」の違い。
「ありもへん」
使い方としては「(言われた所に)ありもへん。」で訳さば「無いじゃないか。」。有ると言ってるけど無いぞと言っている。
「ありもしん」
使い方としては「(どこにも)ありもしん。」で訳さば「有りもしない。」。無い物を有ると言うなと言っている。
「おいおい無いよ。」だったら「お~いありもへん。」。(まあ普通は「おい無いにい。」だが。)これを「お~いありんもしん」と発すると無い事に怒ってる勢いになってしまう。
「どこにあるっていうんだよ。」だったら「どこにもありもしん。」。「どこにもありもへん。」と発すると「どこ探せばいいんだよ」と聞き返してる勢いになる。
ということで「ありもしん」には若干ご機嫌斜め要素が含まれる。もしくはそう聞こえる。
呆れてる勢いを醸すのであれば「ありもへん」・「ありゃあせん」。
どうにかしてよという勢いを醸すなら「無いよを」・「無いでえ」
感情の籠もりを無しで言いたいのなら「無いじゃん」・「無いにい」。
といった使い分けが考えられる。あくまでひとつのパターンであって必ずこうなるというものではないのであしからず。
遠州弁的言い回し
「まいか」
実際のところあまり耳にしないから古い言葉化してるんじゃないかという「つぶやき」をよく目にするけど
「まいか」は若者(若い世代)は使わないという。
そりゃそうだ。
「~しようじゃないか」という意味のものであるが、これは人を束ねるつまり統率する立場の人が発するものであり若年ではそういう立場にあることは稀有であろう。
集団に於いてもリーダーとかいった存在を好まない横並びを是とするから「まい」をよく使う風潮になってきているというのも影響としてあるのかもしれないけれど。
しかしながら死語化しつつあるというのには疑問を呈すところである。
自身が使わないから古いとか死語だという結論を出すのは早過ぎるのでは。もっと長く生きたのち判断したほうが好いのではないかと思える。
早計・短絡で了見が狭いのは私だけで十分である。
ちなみに私は齢は重ねたが統率するような立場にはついぞついた事が無いので言う方では無く言われる側である。
日常での使われ方例としては
年下の班長がこっちに気を遣って「さあやらまいか。」となる。
これが「さあやりまい」・「さあやらまい」だとタメっぽくなって「舐めた口きくじゃねえ。」と思われかねない。
「やらまいか」は一応指令であるがどことなくへりくだってる印象を与える効能がある。
「さあやりまい」は「さあやろうよ」で「さあやらまいか」は「さあやりましょか」といった勢いになる。
他には、凄い偉いさんが「やらまいか」と発せば自分の目線まで降りてきてくれたみたいな「ありがたや」感が醸し出されたりもする。
蛇足だが事を為すにあたって
「やりまい」は「成し遂げよう」といった決意の表れ
「やらまい」は「始めよう」といった合図
「やろまい」は「始めるとしよう」といった強めの促し
「やらまいか」は「始めるとしようじゃないか」といった柔らかめの促し
というような違いに聞こえる。
遠州弁的言い回し
はたしてこういう言い方は遠州独特なのかどうか。
という問い。
「やるやるう」・「いやいやあ」
とかいった連呼+語尾長音(伸ばす)というのは遠州独特なのかどうか。
「うちくる?」で「いくいく」と応えるテレビ番組があるくらいだから、連呼は共通語でもよくあるものであろうが語尾を伸ばすというのはどうなんだろうということ。
ただしイントネーションは共通語の「いくいく」だとほぼ平坦であろうが遠州弁での「いくいくう」は連呼の「いくう」の「く」を強く発するという違いがある。
意味においても違いが有って「いくいく」は「勿論行く」とか「喜んで」とかいうものであろうが遠州弁での「いくいくう」は「行くに決まってる」とか「行きなさいよ当たり前でしょが」とかいったそそのかすというか押し付ける勢いが付くものである。
「さあ暇んなったでなにやらすかねえ。」
「夜も更けてるだで寝る寝るう。」
この場合自分は寝ると宣言してると共にあんたも寝なさいよと暗に押し付けてる。
この場合では道連れをというニュアンスもあるのだが、必ずしも付加されるものではない。
「善い子は寝る寝るう。」となればあんたは寝なさい自分はまだ起きてるから
「いやいやあ」の場合は「断る」の他に「冗談じゃない」という意味が付加される勢いの拒否発言であり投げつける勢いとなる。
「いくいくう」の場合は「行くのが当然」。まあ要は「行きなさい」なのであるがそこまで命令調ではないのがこの言い方の効能であろうか。
と、このような使い方をするのだが、これは共通語に於いても使われる言い回しなのであろうか。
個人的には遠州だけとは思っていないのだがはたして他所で伝わるものなのかどうか知りたいところである。