遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
語尾に付く「わ」
ややこしい。というか紛らわしい。
例えば「そういうもんだわ」
これだと女性言葉のようにも解釈出来る。
従って男が使うと異様に感じられるという誤解を受けたりもする。
しかしてその用途(意図)は達観というか醒めたとか諦めたとかいったニュアンスが「わ」を使う事によって醸し出されるものである。イントネーションも異なる。
訳さば「そういうものさ」とかになろうか。
「明日早起きしにゃかんだわ。」
とかなら誤解を受けたりはしなさそうであるが
「明日早起きしないといけないんだわ。」
だと「しないといけないのよね」と誤解を受けそう。
なので極力「わぁ」と記載して混同を避けるようにしているのだが。
実際は「わ」と発している事が多く実用と離れてしまうが致し方ない。
よく使われている言い回しなので結構重要なのである「わ」は。
遠州弁にすると「がんこ使うもんでえらい重要だにい『わ』わぁ。」
遠州弁的言い回し
例えば「見ずに捨てた」
遠州弁では「見なし捨てた」
となる。
まあ「見なしうっちゃった」と言う方がより遠州弁っぽくはなるのだが。
傾向として「ず」は「なし」という傾向が遠州弁は強いのかもしれない。
あと「に」抜きも。
*「行かずに家でごろごろしてた。」→「行かなし家でしんでた。」
ちなみに「行きなし家でしんでた。」だと「行く事も無く家でごろごろしてた。」
「行けないと」いう意で「行けなし」(行けない)という言い方はあまり使わない。普通は「行けんで」・「行けんと」とかを使う。
*「拾わずに通り過ぎた。」→「拾わなし通り過ぎた。」
ちなみに「拾いなし通り過ぎた」だと「拾う事無く通り過ぎた。」
ついでに「拾えなし通り過ぎた。」だと「拾えずに通り過ぎた。」
*「持たずに来てしまった。」→「持たなし来ちゃった。」持ってくる必要が無いと思って持って来なかったという勢い。
ちなみに「持ちなし来ちゃった」だと「持つ事無く来てしまった。」忘れたという勢い。
ついでに「持てなし来ちゃった」だと「持てれずに来てしまった。」
「ず」は「なし」以外にも「ん」とも変わったりもする。ってこれは共通語もそうか。
「持たんと来ちゃった。」・「持てんで来ちゃった。」
とかいった具合。あまり遠州弁っぽくはないがこういう使い方もよく耳にする。
遠州弁的言い回し
「しらんやあ」と「しらんにい」の違い。
以前同じようなネタで記事を書いたかもしれないが、
「知らんやあ」は「知らないなあ」。
「知らんにい」は「知らないからね」。直で訳すと「知らないよう」
他には
「知らんでねえ」は「知らないからねえ」。「知らんにい」と同じ訳であるが「にい」は「それは知らない」と状況は把握してるがどうなってるのは知らないというもので、「でねえ「は「私は知らない」(与り知らない)と私には関係ないというもの。状況すら把握していないというのも含まれる事が多い。
「知らんわあ」だと「知らないよ」。興味(関心)が無いというもの。
「知らんぞを」。男言葉。ニュアンスは「さあ知らないなあ」。
例を挙げると
「私のカバンどこやったよを。」
(私のカバン見当たらないんだけど知らない?)
で、
「知らんやあ。」と答えれば、「見てないなあ。」と言っていることになる。
「知らんにい。」と答えれば、「私がどっかやった訳じゃない。」とカバンが無いのは私のせいじゃないと言っていることになる。
「知らんでねえ。」だと、「そんなの知らないよ。」とそもそもカバンがどうのこうのなんてこと自体与り知らないと言っていることになる。
「知らんらあ」では、「知らないだろう」ということになり。
「知らんわ。」では、カバン云々なんてどうでもいいと言ってることになる。呆れてるという場合にも使われる。
「知らんや。」なら「ああそういえば自分知らないよ」みたいな今気付いたみたいな。
「知らんに。」だと「知らないから」。語尾が上がれば「知らないよ」。
ついでによく言われる「だら・だに・だもんで」だと
「知らんだら」は「知らないんだろ」。例「あんた知らんだら。」
「知らんだに」は「知らないんだよ」。例「きっと知らんだに。」
「知らんだもんで」は文の最後に付けば「知らないんだから」例「しょんないじゃん知らんだもんで。」そうでない場合は「知らないもので」。例「知らんだもんでしょんないじゃん。」
「知らんだで」は「知らないので」。例「あいつは知らんだでほっとけ。」
「知らんもんで」は二通り。ひとつは文の最後に付けば「知らないからだよ」でそうでない場合は「知らないから」。例「知らんもんでびっくりするだよ。」。もうひとつは「知らないので」。例「知らんもんでおせえてやあ。」
遠州弁的言い回し
「やらなし」と「やりなし」
さてこれはどう違うのか。
例えば
「宿題やらなしどこ行く気だあ。」共通語に直すと「宿題やらないでどこに行くつもりなんだ。」
「宿題やりなしどこ行く気だあ。」共通語に直すと「宿題やらずにどこ行くつもりなんだ。」
これだとあまり違いは無い風に感じられる。
では、言い方を代えて「はかなし」と「はきなし」。例えば
「靴下はかなしいる」だと「はく意思が無いからはいていない」というもので
「靴下はきなしいる」だと「はく意思云々では無く何らかの理由ではいていない」というものとなる。
で、最初に戻って講釈かませば
「やらなし」の方はやる気が無いと聞こえるもので
「やりなし」は宿題やるより大切な用事ってのは何なんだ?と問うている風に聞こえる。
そういった違いがこねくり出せそうである。
他に例を挙げると
「靴下はきなしいるもんで寒いだよ。」これは自業自得だと言っている。
「靴下はかなしいるもんで寒いだよ。」これも自業自得という意味合いで使われることもあるが、それ以外に、寒い理由(原因)を言っていて、はいたらどうなの?と進言しているという意味での使い方もある。
「買わなし何して来たよを。」買わなかったって、何しに行ったんだ?と目的が違うじゃないか(目的が分からん)と突っ込んでる感じになる。
「買いなし何して来たよを。」買わずになにをしてたんだ?とどういう邪魔(障害)があったんだ?という感じになる。
遠州弁的言い回し
以前「いたった?」で「いたのかい?」と説明をしたが
今回は語尾が上がらずの「いたった」という言い方のものを説明。
「いたった」は要するに「居た」ということである。
なんで「った」という語が付くのかというと、これを付けることによって確定であるということをより明確に示す効果が大となる。
他人が居たという場合、「確かに居た」といった目撃したと言っている断定の勢いを醸す。
「さっきまで居たにい。」だと「さっきまで居たよ。」
「さっきまで居たったにい。」では「さっきまで居たのだよう。」
「居たのであった」とかいう訳にしても違和感なさそう。
といったもので間違いなく「居たのだ」と強調している。
自分が居たという場合、上の使い方の他に「居てやった」という若干ながらも上から目線を醸し出す使い方がある。
「わしいたっただに声かけんもんでえ。」
訳さば「せっかく私が居たのに声を掛けないからだよ。」
「居たった」に限らず他にも「見た」で「見たった」、「吸った」で「吸ったった」
「あれ?あんた居たった?」だと「おや?あんた居たのかい。」ニュアンスだと「本当に居た?」
「居った」(おった)という言い方も使われるが「居った?」と訊くより「居たった?」と訊く方が「ホントかよ」と驚いてる及び信じがたい感が増す。