遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
特に特別な意味がある訳でもなく遠州弁を知らなくとも何を言ってるのか意味は理解できると思われる言い回しであるが、「いかにも遠州弁らしい」(他所ではこうは言わない)遠州弁であろう。
「だめじゃんあんなとこにいちゃあ。」
ニュアンスで訳さば「駄目じゃないのあんなところに居ては。」。勢い的には「ほらあ叱られた。」もしくは「そらみたことか」。
ちょっと離れたところで失敗したとか誰かしらから注意されてのち、こっちに戻って来ての追い打ちで注意するときの言い草。という光景が想像される。
まあ要するに、済んだことに対して事後注意してるといった反省を求める(ツッコミ)的なものである。
「そんなとこ」という近くに居るを注意する際には
「だめじゃんかそんなとこにいちゃあ。」
この場合は事前の予防も有り得て事後の追い打ちとは限らないが。
どちらにしても「ほらみたことか」もしくはそうならぬような軽い警告というものである。
注意ではなく怒ったり何か起こる前の注意(叱り)といった場合の言い方としては
「だめだにいあんなとこいちゃあ。」
といった叱責になる。弱めであれば
「だめだらああんなとこにいちゃあ。」
味噌は「じゃん」と「だにい」・「だらあ」のニュアンスの違いと「いちゃあ」という言い方。
事後ではなく未然にという場合
「だめだらあ」と「だめじゃん」とでは「じゃん」の方が明確な制止と聞こえる。
「だめじゃん」と「だめだにい」とでは「だにい」の方が強めの制止と聞こえる。
「いたら」と言うより「いちゃあ」と言う方が好くない(好からぬ)という勢いが増す。
遠州弁的言い回し
「おいたのむにい」
遠州弁を知らない人が聞いたら・・・
うる星やつらの面倒家の正当な謝り方と同じみたいな風に聞こえるやもであるが
あげな不遜を絵に描いたようなものでは決して無く。
訳せば「本当に頼んだからね」といった感じであろうか。
つまり念を押して頼み事をお願いしているものであって横柄なものでは決して無いのである。
もっとも強い言い方(是非の依頼)ではあるのでこう言われて断るのは余程上手い言い訳をしないと非情と言われて(むかっ腹たてられて)も致し方ない。
「おい」をつけないでの「たのむにい」だと、「頼んだよ」といった感じで気軽に頼まれたみたいな勢いとなる。これだと本気で頼んでいるのかただのあいさつ的なものなのか読みにくい感じを受ける。
「にい」を「やあ」に変えて「おいたのむやあ」としたら、勢いとしては助けて(応援してくれ)といった感じとなる。頼むというより訴えてる勢いが強くもあるか。
「おいたのめるかねえ」だと「ちょっとお願い」
「おいたのめるかいやあ」は「頼み聞いてもらえないか」
「おいたのめるだかいやあ」は「ねえ、頼んでもいい(状態)かなあ」
「たのむでねえ」は「頼むからね」というもので押し付け具合が強い。
改めて言う事でも無いが、男女共に使う言い回しである。
遠州弁的言い回し
「やらっか」と「やらすか」の違い。
どちらも「やろうか」と言っているのだが、このふたつはどう違いがあるのか。
「やり方知らんならわしやらっか。見てない。」
訳は「やり方が分からないなら私がやろうか。見てなよ。」
この場合の見ていては手を出さなくてもいい(傍観してな)という勢いが強いものであり見て覚えよという勢いは少ない。より傍観してな(交代)という意を強くしたいのなら「わしんやらっか」となる。
「やり方知らんならわしやらすか。見てない。」
訳は「やり方知らないなら私がやるよ。見てな。」
この場合の見ていては見て覚えてという勢いが強めである。それの他に「やらっか」と同様に全部片づけちゃうからといった任せろというのとかも有り得る。こちらは「わしんやらすか」と「ん」を付ける言い方は普通はされない。
つまり交代ということなら「やらっか」で指導ということなら「やらすか」を使うという事。(あくまで傾向)
ただし、「やらすか」はどちらにも使える両用タイプなので明確に使い分けてる訳では無いが。
他の言い方では
「わしやるで」
というのがあるが、「で」=「から」・「ので」で次に続く言葉によってどちらにも使える。
「やらっか」・「やらすか」は相手の了承を求めるものだが「やるで」は相手の意思に関わらずやると言っている。
遠州弁的言い回し
「おいでらる?」
ほとんど屁理屈上の言い回しではと想像するが果たして如何に。
あくまで個人的意見。
「おられますか?」と言っていることになる。
「おいでる」を丁寧強化した言い方といえようか。滅多に聞く事は無い。というかあるかないのか微妙である。
なんかとても古語っぽい言い回しであるが、遠州弁の「ら」は丁寧を表わすもので「おいでる」に「ら」が付いたという単純なもので古語というものではないだろうと踏んでいる。
「見れる」は自発を表わすものであり
「見られる」は「拝見なされた」みたいな相手に対して丁寧さを表わす物言いである。
「見なさる」を「見なさらる」と言うかというと甚だ疑問が残るが、とにかく「ら」の使い方はそういうことである。
「いらっしゃいます」(来られるではなく居る)を「おいでる」という言い方をするのだが
「おられます」という意で「おいでらる」という言い方はまずもってしない。言うとしたら「おいでらす」とかであろうか。まあこれも聞いた事は無いほぼ架空の言い回しだが。現実に則すと「おいでんさる」・「おらす」とかであろうか。
で、「いますか?」という意で「おいでる?」と言い方があるのだが、これに「ら」を足して丁寧にしようと「おいでらる?」とするのは有りか無しかとなると。
「おいでる」は「御+居で+る」で「御」が入っていて十分丁寧なのだからしてふたつも入れる必要は無かろうと思われるがどうなのであろうか。
「らる」で「らっしゃる」と訳せそうで「おいでらっしゃる」とすると別におかしくはないとも言えようし。
実際の会話は
「○○さんおいでんさる?」
「裏におらすよ。呼ぶけえ。」
「いやこっちから行くで。」
とかいったもので丁寧じゃなければ
「○○さんおるけえ。」
「裏におるよ。呼ぶ?」
「いやこっちから行くわ。」
といったもの。
つまり、やっぱ「おいでらる」は耳にしないよなあ。
「お見えになられる」という意の「おいでらる」は有り得そうだが、というか「おいでらるる」とすると文語調っぽくなるよなあ。遠州弁には無いけどそっちの方ではあり得るのかも。
「お見えになられますか?」という意の「おいでらる?」というのは(地域によってはあるのかもしれないが)どうも馴染みが無いので微妙である。
遠州弁的言い回し
「ら」と「だら」の使い方。
「やり過ぎら」
これは有りか無しか。
これはなんかざらつく遠州弁である。というか変。よって無しと言えよう。
「やり過ぎだら」
というのが普通であろう。
「ら」=「ろ」という理屈でいけば
「だら」であれば「やり過ぎだろ」と訳せるが
「ら」だと「やり過ぎろ」となるからである。
これが方言として「やり過ぎろう」ということであれば有り得なくもないが。ただしこの言い方は遠州弁っぽくはない。
それか「らあ」として「やり過ぎらあ」であるならば「らあ」=「ろう」で多少はざらつきは軽減されなくもない。(「やり過ぎだらあ」である方が普通というのに変わりは無いが。)
なぜ軽減かというと実際のところひどく慌ててるような際にはこのようについ口から出て「しまった」と思う事もない訳では無いからである。
という風に実際には「らあ」は有りと言えそうなのだが文字に起こすに於いて言い間違い(断定はできないが)をあえて書くというのはどういう意図なんだろうと勘繰ってしまうことになる。
つまるところ「らあ」は有るかもしれないが「ら」は無しといえようか。
言葉例を替えて「見ていくでしょ?」とした場合
「見てくろう」というのは有りである。が遠州弁っぽいのはやはり「見てくら?」である。
じゃあ「見過ぎだろ」というのを「見過ぎろう」というのはやはり遠州弁ぽくはない。「見過ぎだらあ」がしっくりくる。
発せられて意味は理解できるがどこか他所の言い回しという感じであって遠州弁としては異端な感じが湧く。
つまり、むやみやたらに「だ」をはしょることは遠州弁では出来ないといえるのかもしれない。