遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
例「やりえなんだ」・「しえなんだ」
レベル 日常ちょい古レベル つうか遠州弁か?
「やりえなんだ」で「やれなかった」。「しえなんだ」で「出来なかった」と訳せる。
直訳すると「やり得なかった」・「し得なかった」となろうか。方言というよりも古い日本語という範疇であろうかな。遠州では年齢層お高めの世代ではまだ普段使いされているという事なのであろう。
この「えなんだ」をニュアンスで訳すと「られなかった」もしくは「~することができなかった」とかが妥当な線か。
「なんだ」は「なかった」ということで。
「得ない」という場合は「えん」となる。
例文
「旅行行って来たにい。」
「おお。それで暫く見んかっただか。おみやげわあ。買ってきただらなあ。」
「もちろん。しこたまみんなにおみやげ買ってきたでねえ。」
「にしちゃあ手ぶらじゃん。とてもそうゆう風には見えんけど。」
「がんこ一杯過ぎて持ちえなんだもんで、郵送にしただよ。後で送られて来るで期待して待っててやあ。」
ちなみに「もてなんだ」という言い方でも意味は同じだがたまにシチュエーションによっては「モテなかった」と誤解される可能性もある。「ど重たくて全然もてなんだ。」とかだと。・・・なんてな。
ニュアンスの比較ということでは「やれなんだ」と「やりえなんだ」で述べると
「やれなんだ」は単純に出来なかったという「やれず」といったものであるが
「やりえなんだ」の方がやれなくて残念だとか悔いが残るとかいう勢いが増す「やる事能はず」・「やるを得ず」とかいったものである。
「借りれなんだ」と「借りれえなんだ」だと
「借りれなんだ」だと借りられなかったという勢いであり
「借りれえなんだ」だと借して貰うことが出来なかったというものである。
「貸せなんだ」だと「貸さなかった」。ただし「貸さなんだ」の「貸さなかった」とは異なるもので「貸せなんだ」は「貸してやらなかった」といったニュアンスのものである。
「貸せれなんだ」では「貸す機会を逸した」・「貸す余裕が無かった」とかいう貸したい気持ちはあったがといった意味合いでの「貸すことが出来なかった」。
「貸せれえなんだ」だと貸したくても貸しようがないという意味合いでの「貸すことが出来なかった」。
共通語だと「借りられなかった」というもので「借りれ」は「ら」抜きじゃないかということになろうが、「借りられ得なんだ」というのには違和感を感じるものであり「忘れ得ぬ」という言い方のように「ら」があっては却っておかしいものであろう。
話し戻して、「やれなかった」という言い方であれば他には「やりいんかった」・「やりえんかった」といった言い方もあって
「やりいんかった」・「やりえんかった」・「やりえなんだ」の違いを考えると
「やりいんかった」は「手が出せなかった」みたいな諦めたみたいな勢いが感じられるパターンと「やる」を放棄したみたいな勢いのパターンが多い。
「やりえんかった」だと自らの意思以外の理由でやれなかったという勢い。「人が一杯でやりえんかった。」という言い方はあるが「人が一杯でやりいんかった。」という言い方はしない。この場合は「人が一杯だったもんでやりいんかっただら。」といった他人に対して発する使い方に限られる。自分の事について発した場合は言い訳・理由というものではなく降参という勢いになるからで普通はプライドとかもあって「参った」は口にしないものであるからして。
「やりえなんだ」は先にも述べたがやれなくて残念という勢いがつく。自らが諦めた、他の理由でというパターンについてはどちらにも使われる。
「やれえなんだ」という言い方は普段に於いて耳にしたことがないのでなく「もてえなんだ」とかも同様なので多分無い言い方なんだろうかな。
「する」の場合
「なんだ」の場合には「しなんだ」・「せなんだ」とは言うが「えなんだ」とする場合は「しえなんだ」のみで「せえなんだ」という言い方はしない。
えらく散漫な記事になってしまったが、なんとなくまとめると
「えなんだ」は方言というより古い日本語の言い回しなのではなかろうかと思える。じゃによってこれは遠州弁ではなかろうてと思える次第。
遠州弁的言い回し
「だで」と「だもんで」の使い分け
あくまで傾向であって必ずこうなるというものではないのであしからず。
「だでさっきからそうゆってるじゃん」
「だもんでさっきからそうゆってるじゃん」
勢い的には「だで」の方は「だからさあ、さっきからそう言ってるじゃないか」
「だもんで」の方は「だからさっきから繰り返しそう言ってたろうが」
必ずしもこう使い分けがあるわけではないのだが、傾向としては
相手がああそうなのかと理解しつつあるという状態であれば「だもんで」
相手が納得してなくて言い合いの状態であれば「だで」
まあ、正確ではないが「だもんで」→「なので・なもので」・「だで」→「だから」とすれば分かりがいいかも。
遠州弁的言い回し
「んさる」
これだけだとなんのこっちゃいであるが
「なさる」が撥音便化しての「んさる」
「来なさる」→「来んさる」・「されなさる」→「しなさる」→「しんさる」
とかいった「んさる」
「なさった」なら「んさった」
「東京から来なさった」→「来んさった」
「おやりなされた」→「やりなさった」→「やりんさった」
一応丁寧な言葉ということになる。丁寧じゃなきゃ
「くさった」
「来やがった」→「来くさった」・「しやがった」→「しくさった・しいくさった」
というのが使われる。
まあいずれも遠州独特というものではないだろうが、独特っぽいのを探すと
「おいでんさる?」(おられますか?)
が遠州弁っぽいというか他所では言わないだろうなと思える言い回し。
「行かれる」を雑な順に並べると
「行きくさった」→「行きゃあがった」→「行った」→「行きんさった」→「行かれんさった」
他にもあろうがこんな感じか一応。
繰り返しになるが、「んさる」は丁寧な言い回しである。
「おいでなすった」というのと「おいでんさった」とでは丁寧度が異なり、「おいでなすった」に近い遠州弁だと「きくさった」とかになろうか。「おいでくさった」という言い方は微妙である(多分無い)。
遠州弁的言い回し
「よってく」と「よっていく」
どちらも共通語だが、この使い分けにもしかしたら地域性があるのかもと思ってうちらんとこの使い方を記載。
「寄ってく」と「寄って行く」
例えば「寄って行かなければならない所が有るので失礼させてもらう。」というのを
「寄って行かにゃかんとこあるもんで、ご無礼さして貰うわあ。」
「寄ってかにゃかんとこあるもんで、ご無礼さして貰うわあ。」
とするとその違いは極端な(つまり必ずこういうこととは限らない)事を言えば
「寄って行く」を使うと公用(用事・頼まれ事)
「寄ってく」だと私用(個人的理由)
と分けられるかもしれない。
楽しみと嫌々という区別はなさそうだ。そういうのだと誇張して解釈すれば「寄ってくとこ」と「寄ってかにゃかんとこ」で「寄ってく」が楽しみ「寄ってかにゃかんとこ」は義務・責務といった勢いと聞こえなくもない。
こういった勢いの違いはここいら辺だけなんだろうか?
遠州弁的言い回し
「らなあ」
このニュアンスをば言わんや。
例1 ため息交じり調
「って、人の話し誰も聞いちゃいんらなあ。」
訳さば「とはいうものの、人の話しを誰も聞いていないだろうなあ。」
屁理屈でいうと、「ら」=「ろ」で「らあ」=「ろう」・「だらあ」=「だろう」となるので直訳すると
「人の話しを誰も聞いていないろなあ。」となる。「聞いていないよなあ」とする方が文章としては繋がるが「ら」は「よ」ではないという屁理屈からすると説明に窮する。ちなみに屁理屈的には「よ」は遠州弁では「に」がはまることになる。
「ら」=「よ」という特異な使い方の「ら」ということになるのだろうか。
もっとも屁理屈は屁理屈であって理屈ではないが。
勢い重視で訳すと
「とはいっても、人(私)の話しを聞く奴なんかきっと誰一人としていないんだろうなあ。」
屁理屈的にはこういう場合「だら」・「だらあ」を使うべきになるのだが
「だら」を使って「人の話し誰も聞いちゃいんだらなあ。」とすると
「人の話しを聞く奴なんか多分一人もいないんだろうなあ。」
といった「おそらく」話しということになる。
「ら」は「きっとそうに違いない」という嘆きの勢いのものであり、「だら」が予想(多分)で「ら」は確信(きっと)という違いが生じてくる。
例2 詰問調
「てめえらやっちゃいんらなあ。」
訳さば「お前らやってないだろうなあ。」
「よもややっているんじゃないだろうな」とやっていない事を願うような聞き方というものじゃなくて「まさかおまえらがやったんじゃないだろうな」と非常に疑ってる勢いのものである。
先のニュアンスで言いたい場合には「やっちゃいんよなあ」とかいった言い方をする。