遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「目があらあらする」
こうだと言い切れる自信はあまりないのだが
共通語に直せば
「目がごろごろする」
というものであろうか。目に異物が入って違和感を感じると言っているものと思われる。
ただし自分は使ってないしどちらかといえば古い遠州弁であるので「ごろごろ」=「あらあら」と言い切れる確信は無い。
異物感を感じるだけで異物が混入したというのではなく目が腫れたりしての違和感ということもこのどちらとも考えられるので、
なので、もし医療関係の人に「あらあら」って何?と訊かれても「あらあら」=「ごろごろ」と言い切る自信は無い。
漢字にすると
か「荒々」か「粗々」が思い付くが、辞書引くと
「荒々」は副詞で荒っぽく・乱暴な様
「粗々」は副詞でおよそ・ざっと・きめが粗いさま
とある。
あくまで勘繰りであるが、まぶたのすべりが悪くて眼球と擦れてるということなのかなと。それが異物によるものなのか傷や腫れ・むくみによるものなのかは分からないが。
この「あらあら」目にしか使わないかどうかも定かではないが、経験値からすると目専用と思える。
視点を変えて他に目に関係する言い方を遠州弁とかに縛られずに思い付く限り並べてみると
「目がぱしぱしする」
「目がしぱしぱする」
「目がいがいがする」
「目がずきずきする」
「目がぼやぼやする」
「目がうとうとする」
「目がじんじんする」
「目がくらくらする」
まあこんなところが思いつく。他にもあろうな多分。
これらのうちどれが「あらあらする」と同じものなのかとなると、やはり「ごろごろする」か「いがいがする」辺りが近そうに思えるがどうなんでしょね。
遠州弁的言い回し
「ありもしん」と「ありもしんに」の違い
直訳すると「ありもしん」→「ありもしない」・「ありもしんに」→「ありもしないよ」となるのだがニュアンス的には
「ありもしん」は「ないだろ」
「ありもしんに」で「ないだろうが」
と訳すのが相応しい。
「人いんくてもやるしかありもしん」
(人手が足らなくてもやるしかないだろ)
前向きな勢いが多少ではあるが付く。次に繋がるとしたら「だでやらまい。」(だからやろう。)とかいった前を向いた言い回しがつくことが多い。
「人いんくてもやるしかありもしんに」
(人手が足らなくてもやるしかないだろうが)
「しょうがないだろうが」といった忸怩たる想いが付く。次に繋がるとしたら「どうせよっつうだあ。」(他に方法があるのか?)とかいったむっとした感じが漂う言い回しがつくことが多い。もしくは説教臭い勢いが付く。
あくまで傾向であるので必ずこういう付加がつくというものではないのであしからず。
他にはだと
「人いんくてもやるしかないら」
これだと醒めてるというか冷静というかほとんど感情の籠もらない感じとなる。
「人いんくてもやるしかないだら」
こうなるとほとんど他人事のようにすごく醒めてる勢いとなる。
「人いんくてもやるしかないじゃないのけ?」
「け」を省くと一見共通語っぽいが共通語だと「人がいなくてもやるしかないんじゃないの?」となろうというものでこれも遠州弁的言い回しなんだろうな。
これだと諭すというかよくよく考えて冷静にとかいった「穏やかに」・「落ち着いて」という意識が加味される感じになる。
遠州弁的言い回し
「だらしがない」を遠州弁にすると
「だらしんない」
となる。
「が」が「ん」に変わる撥音便というやつですな遠州弁お得意の。
非常に単純だけれどもこれだけでとても遠州弁らしくなるものである。
「が」を抜いての「だらしない」というのもよく使われる。
勢いとしては「だらしない」を強調したのが「だらしんない」という感じがしなくもないところ。
ちなみに、殆ど使われていないがモロ遠州弁というものだと
「こぐさらぼったい」
似たような使い方の言葉だと
「ぶしょったい」
とかいうのがある。
「こぐさらぼったい」は自分使った事無いのでその使い方やニュアンスは分からないがネットで検索すると「だらしのない様子」とか説明されている。
「こぐさらう」+「ぼったい」というものであろうと推察される。「こぐさらう」もしくは「こぐさる」がどんな意味なのかは不明。
「ぶしょったい」は「不精ったい」という「不精」(ぶしょう)を指すものなので用途は限られている。従って「だらしがない」=「ぶしょったい」とは言いきれないところがある。
例えば「日々の生活んだらしんないもんでだよ」(日々の生活がだらしないからだよ)を「日々の生活ぶしょったいもんでだよ」とは言わない。
遠州弁的言い回し
「だら」の使い方
(厳密には「だらあ」・「らあ」であるが。)
基本「だら」は「だろ」で
「だら?」は「だろ?」となるものである。
したがって
「常識だら」は基本は「常識だろ」・「常識だら?」は「常識だろ?」となる。
で、「だらあ」・「だらあ?」の場合には「だろう」・「だろう?」となるものである。
しかして、「常識だらあ」で「常識だろうが」という使い方が存在する。
屁理屈で押せば「だらあが」にならなければいけないところだがそうはならずに「だらあ」・「だらあ?」となるものである。
例文
「めんどくさいの後回しにして先あっちからやりまい。」
(面倒なのは後回しにして先にあっちからやろうよ。)
「なにゆってるだあ、んなもんこっちから先やるに決まってるらあ。」
(なに言ってるんだ、そんなのこっちから先にやるに決まってろうが。)
「なんでよぉ。楽な方先片しゃあやった気になるじゃん。」
(なんでだよ。楽な方を先に片づければ気分的に楽だろ。)
「ちゃんと手順が決まってるだあ。従うの当然だらあ。」
(きちんと手順が定められているんだからそれに従うのが当然だろうが。)
遠州弁的言い回し
同じ「へたくそ」でも
「どべたくそ」と「ばかへたくそ」とでは
それなりにニュアンスが異なる。
「どべたくそ」は呆れる・嗤っちゃうくらいに下手ということで、改善しようが無いと思ってる勢いがある。つまりしない方(させない方)が好い(まし)という勢いが強い。
「ばかへたくそ」はどこをどうみても上手くはないとか要領がひどく悪いとかで、期待してる成果は見込めないぞという勢いがある。こちらは、しても(やらせても)駄目という訳では無いががっかりするよと言ってる感がある。
「あいつどべたくそだにい。」ということならあいつにはやらせない方がいいよと言っている。
「あいつばかへたくそだにい。」ということなら成果は期待できないかもよと言っている。
「どべたくそ」は当人に向かって直接発する事ももよくあるが、「ばかへたくそ」はあまり当人に向かって発する事はないと感じられる。
「やあ、どべたくそ。みちゃおれんで替われ。」というのはよく耳にする。
「やあ、ばかへたくそ。みちゃおれんで替われ。」というのは無いわけではないが、こう発すると受け手からすると非常に非難(否定)されてると感じてしまう。
言い方にもよろうが、「どべたくそ」と言われても左程傷つくことはないのだが、「ばかへたくそ」と言われると無能呼ばわりされたみたいで傷つくものである。
「どべたくそ」は向いていないという事で「ばかへたくそ」は要領が悪いとかいったつっこみどころが違うというせいもあろうか。