遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「食べれない」と「食べられない」
遠州弁ではこのふたつはどう異なって解釈されるかというのを勘繰ってみる。
例えば「もう」を付けて
「もう食べれない」
これだと気分的にもう要らない。
「もう食べられない」
これだと食べようという気はあるがお腹が一杯で入らない。
次に「嫌いだから」を付けて
「嫌いだから食べれない」
これだと食べたくない。
「嫌いだから食べられない」
これだと体が受け付けないから食べたら吐くかも。
次に「もったいなくて」を付けて
「もったなくて食べれない」
「もったなくて食べられない」
これについては大きな違いは無いと思える。強いて違いを捻り出すとしたら
「食べれない」の方は萎縮で「食べられない」の方は恐縮といった感じであろうか。「ら」を付けると丁寧な感じになるという方の「ら」であろう。
「受動」と「能動」とかいうので分けるというのはなんかそんな単純なものじゃないと思える。
ちなみに共通語の「られない」を遠州弁にすると「れれない」となるというパターンもある。
遠州弁における「られない」と「れれない」の違いはいつか(そのうち)勘繰ってみる。
遠州弁的言い回し
「なるたけ」
共通語であるからして全国津々浦々で使われる言葉で遠州弁では決してないのだが
なんかちょっと共通語とニュアンスが違うのかもと思って記載。(あくまで「かも」)
もはや言葉を弄びの領域。
ネット辞書には、できるなら・なるべく、とある。
しかして遠州弁での使い方で例えば
「なるたけ使わんようにする。」
というのを訳さば「極力使わないようにする。」であり、なるべくとか可能な限りとかいった勢いのものとはちょっと違う。
「なるべく」なら使わないようにを意識してで
「なるたけ」なら使わないことを意識して
といった違いが感じられる。(って分かりづらいか。)
どちらも「絶対使わないとは言い切れない」ではあるが
遠州では「なるべく」だと回数を減らすとかいった勢いで
遠州弁での「なるたけ」は「余程の事が無い限り(言い訳が立つ・致し方ない等の理由が無い限り)使わない」という使い方のような気がするところ。
もしかしたら意味使いがちょっと辞書のものとは違う様な感じがしたので記載した。
遠州弁的言い回し
「起きろ」・「起きな」とかを遠州弁では「起きよ」と言う。
この「おきよ」抑揚がふた通りあって、これのニュアンスの違いはあるのか?というのを勘繰ってみる。
頭高での「お」を強く発す「おきよ」
中高での「き」を強く発す「おきよ」
例えば
「やあ、いつまで寝てるだあ。はやく起きよや。」
頭高の場合起きてなにかをしろという勢い
中高の場合まずとにかく起きろという勢い
次に居眠りしてる相手に向かって「おい、起きよ。」
頭高の場合爆睡してるのを起こす勢い
中高の場合うとうとを起こす勢い
あくまで勘繰りであるが、目覚めさせるという場合には頭高で起き上がらせるとかいう場合には中高の「おきよ」を使っているという使い分けを妄想するものである。
故に段平が丈に向かって「立て、立つんだジョー!」と放つ名台詞を遠州弁にする際には中高での「起きよぉ、起きよやジョー」ということになろう。
遠州弁的言い回し
「寝れん」と「寝えれん」
これはどう違うかというのを勘繰ってみる。
どちらも「寝れない」と言っているのであるが
「眠くならない・なれない」というのが「寝れん」
「眠気は来てる(寝たい)がなんらかの障害があって眠れない」というのが「寝えれん」
「忙しくて」という場合に
「忙しくて寝れん」だと「仕事の事が頭に浮かんで寝る気になれない」もしくは「忙しくて寝ようという気になれない」と聞こえる。
「忙しくて寝えれん」だと「寝たいんだけど忙しくて寝てる暇が作れない」と聞こえる。
寝てるどころじゃない「寝てられない」という場合には「寝れん」で「寝たいんだけど」という場合には「寝えれん」。
「寝えれん」の「え」は「ねーれん」という長音化ではなく「寝得れぬ」とかいった「得」ではなかろうかと邪推するところ。
「寝得れぬ」だとなんか文語調で恰好好いが「寝えれん」と遠州弁になるとなんか品格が下がる気がするのはなんでだろ。
ま、とにかく「見れん」と「見られん」の「ら」抜きと同じともいえそうで
「寝れん」は自身に理由があり、「寝えれん」は他(外)からの圧によってという風に聞こえる。
共通語に置き換えれば
「寝れない」が「寝れん」
「寝られない」が「寝えれん」
といったところか。
遠州弁的言い回し
「まちがえたにみ」
その2
この言い回しの味噌は「に」の使い方にあろう。
「間違えたぞ見ろ」と訳するのが一番適当なのかもしれないが、実用でのニュアンスはその1で述べたように説明するのが難しいもので「間違えたぞ見ろ」では適格とは言い難いと思える。
で、とにかく「に」。
「泣くに泣けぬ」とか「引くに引けぬ」とかの「に」とよく似ていると思えなくない。
しかし、訳すと「泣くにも泣けない」・「引くにも引けない」とかいった「に」=「にも」というものとなって
これを「間違えたに」にあてはめると「間違えたにも見ろ」となって意味不明になってしまうから別物ということになるように思える。
普段遠州弁でよく使われる終助詞の「に」・「にい」とは違う「に」ということであろう。
格助詞の「に」なんだろうか。でも、終助詞の場合「に」=「よ」とすると大抵はまるという屁理屈をあてはめることも出来なくはない。「間違えたよみろ」と。
辞書や古語辞典を引用しても却ってというか余計分かりづらくなりそうなので、それはやんぴとして(実はよく分かってないもんで)
共通語だったら「ほら見ろ間違えたじゃないか」と言うのを遠州弁では「間違えたに見」もしくは「間違えたに見い」となるものである。
とにかくこんな言い方するのは遠州弁くらいなもんだろうかなと思うがどうなんだろ。