遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
「老人語」といふものについて
なんでもかんでも「老人語」と分類するのはどうなんだろうという疑問。
プラス、方言は年寄りの言葉かどうか。
個人的意見。
読んで字の如しであれば、年寄りしか使わない言葉もしくは言い回し、というものであろうか。
しかしてその経緯には
年相応というか、そういう事が言える使えるようになる(ガキでは説得力が無い)といった類いのものと
昔は年齢に関わらず誰しもが使っていたものが時代の変化によって往時を知っていた者だけが使える(使ってる)ことにより月日の経過と共に必然的に高年齢化していっているというものとがあろう。
これらが共通語における「老人語」と呼ばれる経緯であろうが、方言に於いてはこの二つ以外に理由が見いだせようか。
それは、カッコつけ・色気づくお年頃になると方言は「ダサい」と感じ意識的に伏せるもしくは隠すことにより方言を心置きなく話せるのは老人だけがという流れではないかと。
個人的には方言に「老人語」というものは存在しないような気がする。他所の人からは「田舎臭い」と言われ、若い世代の地元民からは「年寄り臭い」と言われるが、世代に関係なく使えるというものが殆どであろう。
問題は歳を重ねて回帰するか否かというものであるが、自分も若い時分には方言は眼中になかったが今はなんの気兼ねも無く使うようになっていることから鑑みれば多くの人は回帰していくんではなかろうかと推察するものである。
なにしろ遠方に住まう人にとっては方言と故郷はセットで郷愁を誘うものであり
地元で骨を埋める人にとっては、仲間の証しであると共に親密を表わすものとして大切なものである。
話しがずれたが、言いたい事は方言は「老人語」ではないし老人用の言葉でもなくどの世代が使ってもおかしくはないものだと思う。
つまりやたらくしゃ高齢者しか使わないから老人語とするというのには疑問と感じるものであり、それは共通語(辞書等の分類)に於いてもそう思えるものである。
なんでもかんでも「老人語」とするのでなく勝手な造語だが「時代語」とかいう枠を作って別に分類した方が良い様な気がするのだが。細区分するのであれば「昭和語」とか「明治語」とか主に使われてた年号を付すみたいな。
遠州弁関連
文字にすると同じでも、イントネーションも違えばニュアンスも違うという地域差が生じる言い回しを勘繰ってみる。
今回のお題は「面白いでえ」。
関西の方だと「おもろいでえ」(語尾が上がる)で「おもしろいよ」といった意味合いになるのであろうか。
遠州弁だと「おもしろいでえ」(語尾が下がる)で「面白いから」もしくは「面白いので」と言っている。
関西の使い方だと文の最後(結論に付く)と思われるが遠州弁の場合では「~だから」・「~なので」ということで次に結論がありそうと受け取れる。が、続かない(はしょられる)ことが多々あるのが遠州弁である。
共通語で「面白いから見てみなよ。」をその語句の並びのまま「面白いでえ見てみない。」とすればいいのであるが遠州弁はそうはならず
「見てみない。面白いでえ。」という並びに遠州弁はなるのである。
無論イントネーションも関西とは異なる。
人によって異なるかもしれないが「おもしろい」の「し」を強く言い「でえ」は「で」を強めに言う。
遠州弁関連
「だに」の使い方。
「だに」は使い方が「だら」より難しく、初心者が使うとえせ遠州弁に陥りやすい。
「だら」と同じで「だ」+「に」というものであろう。「だに」でひとつの言葉というもはないと思える。
「だら」よりも「だに」の使い方は難しい。「だら」は大抵「だろ」に変換すればいいといものであるが「だに」の場合は一概に「だよ」と変換すればいいというものではない。
「だに」→「だよ」という例
「あいつがやってくれたんだよ」
「あいつんやってくれただに」
「だに」→「だよ」ではない例
「言えばやったのに」
「ゆやあやっただに」
というようにこの場合には「だに」→「のに」ということになる。
もっとも音は同じ「だに」だが全くの別物というもので「だに」にいくつもの意味使いがあるというものではなかろう。
次に、変(不自然)と思える使い方としては「さあ今日もがんばるぞ」というのを
「さあ今日もがんばるだに」と言うというもの。受け取り方によっては「がんばるんだぞ」と指示してる風に聞こえる。
こういう場合には「さあ今日もがんばるだよ」もしくは「さあ今日もがんばるに」というのが自然と感じる。
基本的には「に」は共通語の「よ」に置き換えるものであるが、あくまで基本で実用としては「に」=「よ」だと思い込んでしまうとわけが分からなくなる。
なお、「だに」も「だら」と同じように
「に」・「だに」・「だにい」という言い方があって、これらはそれぞれニュアンスが異なるものである。
遠州弁関連
「ばかっつら」
この言葉の解釈を考えてみる。完全な個人的解釈。
「馬鹿面」(ばかづら)の変化したものが「ばかっつら」と考えるのが普通であろうが
「馬鹿面」という言葉の意味と遠州弁で使われてる「ばかっつら」とは一致しない。これは大いなる難点である。
訳すにおいては「馬鹿野郎」という方が相応しいものであろう。
もっとも、ネット辞書にある
「馬鹿面」(ばかづら)間の抜けた顔つき。あほうづら。
「馬鹿野郎」人をののしっていう語。
このどちらも遠州弁の「ばかっつら」には該当しないのではあるが
しかしネット辞書にある意味以外にも「馬鹿野郎」には「ちょっと待て」みたいな注意を喚起するものであったり「なにやってんだ」・関西風なら「アホか」みたいな制止(つっこみ)を意味するものもあって
そういう辞書にない意味合いでの「馬鹿野郎」と「ばかっつら」が似ているというものである。
ニュアンスはそういうことであるが、「馬鹿面」が変じて「ばかっつら」になるというのは意味的には繋がらない。でも音的にいけばそうなんだろうなそういうもんなんだろうなと思ってきた。
そいうことで「ばかっつら」を解釈してきていたのだが、最近ちょっと待てよ、これ以外にも考えられるかもなあとふと思い付いたことがある。
それは「つら」の解釈。
「つら」を「面」としていたのだが、そうじゃなくて「づら」・「つら」の「つら」なんじゃないのかと。
「そこんさあにあっつら」(そこんとこにあっただろ)・「あんたやっつら」(あんたやったでしょ)
とかいう「つら」である。
「馬鹿」+「つら」で「ばかっつら」と。
「つら」は「だろ」と訳すのが普通で、この屁理屈で「ばかっつら」を訳すと「馬鹿だろ」ということになる。
「馬鹿野郎」以外にも「馬鹿かあ(お前)」と訳しても違和感のないものだけに
「馬鹿だろ」と断じてる勢いは「ばかっつら」と共通している気がする。
意味的にはこちらの方が繋がる。
「馬鹿面」→「ばかっつら」意味は馬鹿のつら
「馬鹿」+「つら」→「ばかっつら」意味は馬鹿だろ・馬鹿か
ふたつを較べると後者の方がなんか意味的にも音的にも符合するように思えるのだが、あまりにも妄想的過ぎるともいえそうで、さてどうでしょね。