遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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例えば「感じんくて」。
「麻酔効いてるだか何も感じんくて手先の感覚が掴めん。」
(麻酔が効いているのか何も感じなくて手先の感覚が掴めない。)
「ん」=「な」というのではくて「んくて」=「なくて」という考え方の方がスムーズに思える。
「ん」だけならば「ない」とするところで「んくて」→「ないくて」→「なくて」という流れに感じられる。「ん」=「ぬ」なら「んくて」→「ぬくて」→「ないくて」→「なくて」であろうか。
極稀に「感じくて」と「ん」をも省く「感じくて」といった言い方をする使い手もいるらしいが上記の屁理屈とは相いれないところである。「そうじゃなくて」を「違くて」というのと同じ理屈によるものなのだろうか。「やらんくて」を「やらくて」と言ったりするのかな。
自分は使わないのでよく分からない。だからといって存在しているものをおかしいと否定する気はさらさらない。だってあるもんはあるだもんでねえ。
まあ横道はこの辺にしといて「んくて」。
「やらんくて」(やらなくて)・「しんくて」(しなくて)・「ならんくて」(ならなくて)と大抵のものに付く。
「なくて」以外にも「ないで」という訳でもはまる。
「振り返りもしないで」→「振り返りもしんくて」
もっとも細かくいえば「しんくて」ではなくて「しんで」の方がより適正ではあるが。
例文
「買わんくて後悔するなら買って後悔した方がずっかましだと思わん?」
「買わなしじゃおれんっつうなら買やいいじゃん。どうせあんた我慢できん人だで。」
「失礼しちゃうやあ。後悔と我慢は違うだにい。」
「好きにすりゃいいじゃん。買おうが買わまいがわしの腹痛む訳じゃないだで。」
これまではすべて「よを」と表記してきたところであるが。
使いどころにしてもニュアンスにしても異なるところでありきちんと区別した方がいいと思い直しこれよりは極力使い分けをして表記していくこととしよう。
とりあえず大まかに分けると二種類が考え付く
「どうするよう」(どうするのさ)
「するだよを、するに決まってるじゃん」(するでしょ普通。するに決まってるでしょうに)
相手に対して覗っている際に使われるのが「よう」で指示・強い要請をする際に使われるのが「よを」。
「よ」に「う」を足すことによって意を強める効果が得られるようだ。イントネーションは平坦。
同じように「よ」に「を」足せば指示の強さを表わせる効果があるようだ。イントネーションは語尾が上がる。
紛らわしいかもしれないが、「そうだよう」だと「その通りだ」というニュアンスになり「そうだよを」だと「当然そうだ」というニュアンスになる。
「そうだよう。普通行くら」(そうだよな普通なら行くでしょうに)
「そうだよを。行かんでどうするよ」(当たり前でしょ行かなくてどうするの)
「よお」と「よ~」にいては
「どうするのこれ。要らんの?」
「要るよお。捨てんで。」
といった風に気の抜けたような心ここにあらずな印象を与えるものである。俗にいう「舐めた物言い」という奴であろうか。これは遠州弁でもなんでもないので殆ど紹介する事はないと思う。
尚、以前に書いた記事を書き換えるのが最良であろうが、なにせ数が多いので直さずそのままにしときます。ホームページの方については気付いたとこは随時換えていきますがたぶん行き届かない事のみぞ多かりきだらなあ、めんどくさがりだでわし。
「探し回った」と書くと何の変哲もない共通語であるのだが。
これが遠州弁になるとイントネーションは「が」と「まあ」を強くして
さがしまあった
となる。
ほんで、そのニュアンスは「えらいおうじょうこいた」。随分と骨が折れたと言っている。
このあとによく続く言葉としては「いやんなっちゃうやあ」・「やっきりこいちゃう」とかが頻度が高い。
苦労したんだからねという事を伝えているのが「さがしまあった」である。多分に必死感も篭もるものであり、好き好んで探してた訳じゃないという事や余計(余分)な事をしてしまったといったといった要素も含まれるものである。
これが「まあった」ではなく「まわった」となると何故かこういったニュアンスにもイントネーションにもならず共通語の通りの意味で「随分と探した」というものになる。
大分外れるが奔走というニュアンスであるならば「はしくりまわった」を使う事が多い。共通語だと「駆けずり回った」であろうか。
例文
「新聞読ますかと思ったら眼鏡んなんくてさがしまあっちまってえ。朝っぱらからばかこいた。」
(新聞を読もうかと思ったら眼鏡がなくてそこらじゅう探し回っちゃったよ。朝から余計な体力使っちゃったよ。)
「で、めっかっただ?老眼鏡。」
「乱視っ。人聞きの悪いこんゆっちゃかん。そんなまだ目えちょんになっちゃいんでねえ。」
注、「ちょん」というのは目が悪くなったということ。
例えば「突入せよ」。これが遠州弁だと「突入せよう」となったりもする。
「せよう」を訳さば「しろよ」辺りであろうか。
「せ」においては、「する」というよりも「せる」、「しなかった」というよりも「せなんだ」という事が遠州弁らしくなるものであることから遠州弁は「す」よりも「せ」が基本とも考えられる。
共通語の「しろ」。遠州弁だと「せろ」となる理屈となる。「しい」・「せい」・「せえ」という形にはならない。「そうしろ」・「そうせろ」は使うが「そうしいや」・「そうせい」・「そうせえ」という言い方は殆どしないということである。
「よ」については、「よ」よりも「よう」。この「う」が付く事が多少なりとも遠州弁っぽいかなと思え記載。
共通語だと「しよう」で「突入しよう」と促すというか同意を求める感じでこれは遠州でも同じあるが、遠州弁では「せよう」となると命令的で「しよう」とは大きく意味が異なる。
遠州弁では「しよ」という命令表現もあるが普通は「せよ」であり、「せよ」だときついから「せよう」とすることが多い。
例文
「おいぃ。ちゃっちゃと支度して家出んと間に合わんくなるにい。はよせよう。」
(なにやってんの。ぱっぱと支度して出発しないと間に合わなくなるよ。早くしなさい。)
「ふんなこんゆったって持ってかにゃかんのありゃせんだもんで探すしかありもしん。」
(そんなこといっても持っていかなきゃいけないのが無いんだから探すしかないでしょうが。)
「それんないとかんだか。」
(それがないと駄目なの?)
「だよを。行っても意味なさんだもん。」
(もちろん。それがないと行く意味がないもの。)
「なに探いてるよう。」
(何を探してんのさ。)
「眼鏡。」
「あんたねえ、あんたきんのうメガネうざったいつってコンタクトにしたじゃないの。」
(あのねえ。昨日あんた眼鏡はうざいからってコンタクトにしたんでしょう。)
「やっがんこじゃん」。「がんこ」は「頑固」であろう。
意味は「わっ、こりゃあ相当~だな」。
基本的にはこれでひとつの塊でありこれに付け加えられる言葉は「なんだよ」とか「え~」とかいった感嘆の言葉くらいであろうか。
「やっなんだよをがんこじゃん」。
似たような表現で「やっ随分じゃん」というのがあるがこれとの違いは思ってた以上の度合いの違いである。
「やっ頑固じゃんこの散らかしようわあ。」
「やっ随分じゃんこの散らかしようわあ。」
とでは凄まじいと凄いという表現の違いみたいなものであろうか。
この場合には「頑固」だともう呆れる勢いで「随分」だとなんとかしろと憤ってる勢いがニュアンスとして含まれてもいる。
蛇足だが、他には「随分」には「なんてことしてくれたんだ」とか「ひどいじゃないか」とかいう意味合いで使われる事もあり、この場合での訳は「なんだよひどいじゃないかこの散らかり具合は」とかになる。
ちなみに「いやいやそれはそれは凄いんだから」と言いたい場合は
「あれえあんたホントがんこだにい」などとなる。
例文
「やっがんこじゃん。なにこれ?」
(うわあこれはひどい。どういうこと?)
「見りゃ分かるらあ。」
「じゃなくてなんでこうなるよを。」
「しらすけえ。気が付いたらこうなってただで。」
(知らないよ。気づいたらこうなっていたんだから。)
「あんた散らかいただら?知らん訳ないらあ。」
(あなたが散らかしたんでしょ。知らない筈ないでしょう。)
「それどころじゃなかっただよ。」
「なにがあ。」
「忙しかったのっ。」
「言い訳んならん!」
(言い訳になってない。)