遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「だろうが」という言い方遠州弁にすると「だらあが」となるかというとそれはない。
「だろが」を「だらが」というのも当然ない。
屁理屈上では「だら」=「だろ」・「だらあ」=「だろう」という事になるのだが、この屁理屈がなんでもかんでも適用されるものではない。
「そらみなさいよ言った通りだろうが」という文章の場合
「ほれみいに、ゆった通りだらあが」とはならないのである。こういった場合
「ほれみいに、ゆった通りだらあ」もしくは「ほれみいに、ゆった通りじゃんかあ」となるのが普通である。
「だら」にしても「だらあ」にしても基本何か付く事は無い。
「だろうが」・「だろうよ」・「だろうに」・「だろうから」などは「だらあが」・「だらあよ」・「だらあに」・「だらあから」とはならない。
(基本としたのは「だろな・だろうな」を「だらな・だらあな」とか稀にではあるが「だろか」を「だらか」という事などがあるからである。)
付かない理由は「だら」・「だらあ」だけでそれらの意味を成すからである。意味を成さないものについては例えば「だろうから」だと「だもんで」といった風に別の表現になる。
例文(今回は逆で共通語を遠州弁に)
「本はもう片付けた?」
(本はあかたいた?)
「それは自分がやるからいいよって言っただろうが。」
(そりゃてめえでやるでええつったじゃん。)
「そんな事言った覚えはないぞ。」
(ふんだだこんゆった覚えないにい。)
「ああどうせそうだろうよ。」
(おお、おお、どうせそうだでな。)
「言っただろうに。こっち半分の片づけはは俺がやるからそっちは君に任せたって。」
(ゆったらあ。こっちんさあの片すのわしんやるでそっちゃまかいたにいって。)
「だったら尚の事さっき片づけるのに邪魔だからというので一旦こっちに除けるって寄こしたんだろうからそっちの領分じゃないのか?」
(ほんだったら余計さっきい片すに邪魔だでってんでこっちんさあ寄こいただでてめえんやりゃにゃかんだらあ。違うう?)
「かす」と「さす」の使い分け
共通語だと例えば「働かす」だと「働かせる」という意味だけになるのであろうが遠州弁では「働こうか」(働かんとす)という意思を示す意味合いで使われる事がある。
「さあ飯も食ったでそろそろ働かすか」(さあ飯も食べたしそろそろ働くかな)
「すか」でそういう意味になるのじゃないのかという疑問もあろうが
「働かすや」(働くかな)・「働かすでえ」(働くから)・「働かすに」(働くよ)とか他の言い方にも当てはまるので「すか」だけという事ではなかろう。「働く」では分かりづらいということであれば「やる」に置き換えてもらえばその方が分かり易いかも。
蛇足だが「笑かす」というのは「笑わかせる」のみで「笑おうとする」という使い方は存在しない。これは共通語であって遠州弁ではないのであろう。
「か」は「こう」・「かん」といった意思を表すとかになるのであろうかも。「働かっか」(働こうか)という事にも通じるのであろうか。
「さす」は共通語にはないだろうから比較しようがないが「働く」の場合だと「働かさす」という使い方となる。意味としては「働かせる」という使役に近い意味と稀ではあるが「働こうとする」(働かさんとす)意欲を示す意味とがある。例えば「働かさして」(働かさせて)は誰かを働かさせてという意味と自らが働かさせてくれという意味とどちらにも使える。
「さ」については、「さ」が入ると「使役」的意味合いになるという事であろうか。
「す」については、「す」が「せる」の文語形であるとすれば「かす」→「かせる」と「さす」→「させる」となって共通語的に読めるということになるのでは。この場合の「かす」と「せす」はどちらも使役を意味するところがあるのは遠州弁も同じ。
「かす」は「かせる」打消しなら「かさん」・「かせん」
「さす」は「させる」打消しなら「さん」・「ささん」・「さない」
「す」は「せる」打消しなら「ん」(ぬ)
「す」が「する」の文語形であるとした場合には「かとする」(こうとする)・「せとする」(しようとする)と想像でき、この場合は意思を表す意味となる。この使い方が遠州弁独特ということになるのであろうか。
例として「取りに行く」を挙げると
「持ち行かす」で「自分が取って来る」と「取りに行かせる」と二通りの解釈となる。
「持ち行かさす」だと「取りに行かせる」と言ってる事になる。
「行かす」の解釈として普段遣いでは使わないが屁理屈上では「取り行かんとす」みたいな取りに行くぞと意欲を示すという使い方も考えられるところである。が、遠州弁では繰り返すがこういう「かんとす」という使い方はしていない。
以上色々ごちゃごちゃと自分でも書いてて訳分からくなった事をつべこべ書いたが要は「かす」は共通語の使い方と遠州弁的使い方を使い分けており、「さす」は共通語にはないが遠州独特なものというよりも古い日本語の使い方が生き残っているのではないかという勘繰りができるところである。
「しょっぱい」・「しょんばい」・「からい」・「しょっからい」。
「しょっぱい」は共通語であるが他の遠州弁での言い方も要はどれも「しょっぱい」と言っている。もっとも「からい」は古い日本語であって方言と呼ぶものではないということはあろうが。というか「甘辛煮」とかで今でも使われてる表現か。
ならば古語では正しくはなんと言っていたのかというのを調べると見方が浅いのか古語辞典では見つからなかった。ちなみにネットで調べると「しほはゆし」・「しははゆし」とかがあったけどどちらも私の古語辞典には記載されてなかった。「からい」も「からひ」でも載ってなかったら詰まる所分からん。
分からぬついでにいうと「しょっぱい」って共通語ではあるが標準語なのか?「塩辛い」というのが標準語になるのか?
まあそんな脇道はこれくらいにして、では遠州弁に於いてこれらの使い分けは存在しているのかというお話し。あくまで感覚的な推測なのでこうだと言い切るものではない。
「からい」という方が舌にピリピリ来る感じは強くなる。
料理でなら「しょっぱい」は修正が効く勢いであるが「しょんばい」・「からい」は失敗作と断定できるもしくは口に合わないという勢いに聞こえる。「しょっからい」についてはそういうものだという良いも悪いもない決まってるという勢いを感じる。
例えば「浜納豆はしょっからい」ものである。
人生は「しょっぱい」とかいう比喩としてみたいな言い回しにおいて「しょんばい」は使われない。「しょんばい」は味覚に対してのみ使われる傾向であろうか。
一概に比較で表わせない。なぜならそれぞれに「ばか」・「ど」・「がんこ」・「えらく」とかを付けるとどっちがより塩辛いのかということは決めつけられないからである。
「どしょんばい」と「からい」ではさてどっち?と言われても人それぞれなのである。違いといったら「どしょんばい」はなんだこれ?という驚きが強く「からい」は直に素直な感想といった趣の違いは生じるが。
他の言い方として「どくしょんばい」というものもあるが、これは解釈として「毒しょんばい」で死ぬほど塩辛いというものと「ど」+「くそ」+「しょんばい」という解釈などが考えられる。ただこれはあまり使われる表現ではないしその場の空気を悪くするので中傷的表現のような側面が大きい気がする。
その点「からい」にしても「しょんばい」にしてもそういう要素はないので普段遣いで使われる表現である。
例文
「やあ、このカレーどんがれえや。」
「そりゃそうだら、カレーだもん。」
「じゃなくて自分食ってみい。どしょんばくて食えたもんじゃないでえ。」
(辛いという意味じゃなくて。すごい塩辛くて食べれたものじゃないって。)
「ほおけえ、ほいたら水入れて薄くするけえ。」
(そうかい。じゃあ水入れて薄めるかい?)
「そんなこんしたじゃしゃびしゃびんなってカレーじゃなくてスープになっちまうわあ。」
(そんなことしたら水っぽくなってカレーじゃなくてスープになっちまうよ。)
「病は気からじゃん。カレー風味の雑炊と思やあいいだあ。」
しらんよを 私は知らないからね
しらんにっ 知らないよっ
しらんにい (そんなこと)知らないよ
しらんって 知らないって
しらんらあ 知らないよね
しらんわあ 知るかよ
しらんでね 知らないからね
しらんら? 知らないかなあ
しらんだ? 知らないかい
しらんて 知らないとは
しらんたあ 知らないとは(言わせない)
しらんだあ 知らないんだ
しらんけ 知らないか
しらんけえ 知らないかなあ
しらすか 知るかよ
しらんだわ 知らないんだよ
しらんだわあ 知らないんだよな(これが)
しらんでるまに 知らない内に
とりあえず思いつくままに羅列してみた。遠州弁固有のものとは限らないしそれぞれニュアンスが異なる。当たり前だがすべての言い回しを網羅している訳ではないのであしからず。
「なにするんだ」。「なにするだあ」というよりも「なにせるだあ」
「そうしろよ」。「そうしいや」というよりも「そうせろや」
「そうするとなんだい」。「するってえとなにかい」というよりも「そうせすとなんだやあ」・「じゃなによう」とかになるかな。
なにを言ってるのかというとこうした方がより遠州弁らしくなるのかなあとふと思ったまでの事。実際は両方使われていて「す」を使わないという訳ではなく、あくまでより「っぽく」聞こえるというお話し。
つまり「す」より「せ」。加減としては「しろ」の場合「せろ・「せい」・「せよ」であり「せえ」・「せや」とか「しい」などになると関西的に寄り過ぎる事になる気がするところ。
もっともこの傾向は廃れつつあり「なにせるだあ」と言うよりも「なにすんだ」と言う事の方が多くなりつつある。
例文
「このぼっちょ押すとどうなるだかいやあ。」
(このボタン押すとどうなるんだろね。)
「なんかがいごくだらあ。」
(なにかが動くんじゃないの?)
「そうせると、どうなるだいやあ。」
(そうするとどうなるんだろな。)
「さあなあ。そうなってみにゃ分からんやあ。」
(どうだろう。そうなってみないと何とも言えないね。)
「冷たいじゃん。興味ないだけえ。」
(そっけない応えだなあ興味がないのか?)
「ふんだだこたあねえよ。押してみい。そうせりゃ分かるだでえ。」
(そんな事はないさ。押して見なよそうすれば分かるんだから。)
「じゃおんしやってみい。」
「やだよを。なんでわしんせんとかんよう。」
(冗談じゃないどうして俺がしなきゃいけないんだ?)