遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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正直言って「だけん」も「だけが」も本場は掛川辺りであろう。
よって聞いた(聞き取った)限りではという事を前もって断って置きます。
で、本題の「だけん」と「だけが」。
意味としては、「だけど」・「だけれど」・「なのだが」などといった意味合いであろう。
使い方としては
「そうゆうもんだけん」(そういうものだけど)
「そうゆうもんだけが」(そういうものだが)
「そうゆうだけえが」(そういうもんなんだが)
といったものであろう。意味的に対して違いが感じられないところであるが
使いどころとしては
「ゆっちゃかんっつわれただけん、ゆわずにゃおれんもんでゆっただけえが」(言うなと言われたけど言わずにはいられないから言ったんだが)といった風に一つの文章での場合同じ言葉で連呼調にはさせないという法則があるようだ。確かに
「ゆっちゃかんっつわれただけえが、ゆわずにゃおれんもんでゆっただけえが」だとだらだら感が出て締まりがない風に感じられる。
「だ」を「じゃ」に換えると他地方の「じゃけん」・「じゃけえ」みたいになるが、他地方のは断定という印象を受けるものであり「だけん」・「だけが」は断定というよりも曖昧(はっきりしない)な印象が強いだけに別種であろうなと推測される。
ところで掛川が本場と述べたが、じゃあ浜松ではどう言っていたのかというと、「だん」か普通に「だけど」・「だが」であろうな。
「ゆっちゃかんにいっつわれただん、ゆわずにゃおれんくてゆっただけどぉ」
とかになるかな。なんて書いたが実際は
「ゆっちゃかんにいっつわれてただもんでゆわんようにしてただあ、ゆわずにゃあおれんもんでゆっただもんでねえ」
といった「だもんで」連発である。西に行けば行くほどこの傾向が強いので三河弁の影響の強弱によるものなのだろうな。その中間という浜松としてなら
「ゆっちゃかんにいっつわれただでゆわんどいただあ、なんしょゆわずにゃあおれんもんでゆっただでねえ(やあ)」