遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁的言い回し
「づら」の使い方
レベル 死語クラス
「づら」は浜松ではほぼ絶滅種である。危惧種ではない。普段聞く事はない。(ただし遠州といっても広うござんすなので浜松以外の遠州の地でまだ現役なとこはあるやもしれぬ。)
で、その「づら」の使い方。
「づら」には推測と断定という相容れない意味使いをするものである。
「今日は晴れづら」(今日は晴れだろ)→この「づら」は「だろう」という推測の意味使い。
「わしは絶対行くづら」(私は絶対行くんだ)→行くという意思を表わしている。
で、タイトルに挙げた「参加づら」。使い方によっては変となる。
「あいつ参加づら」。これについては「あいつは参加だろ」となって違和感はない。推測の「だら」と読めるからである。
「わし参加づら」。これだと違和感湧きまくりの使い方である。言葉は変わっていくものだから、違うとかという否定する言い方はしたくないので違和感という表現を使うが、いずれにせよこれにはざらつく。
言うとしたら「参加するづら」であろう。
共通語で「私は参加だよ」または「参加だ」というのを「だよ」=「づら」ということで置き換えて「私は参加づら」といった考え方でかくなるのであろうがそれが違和感あるのである。
「男は見た目づら」といった「づら」=「だよ」もしくは「だろ」のように推測の同調を求めるといった意味合いの「づら」と解釈される故に「私は参加づら」だと「私は参加だろ」・「参加だよ」といった風に聞こえざらつきを覚えるのであろう。
「やるづら」でもそうだけど「するづら」に違和感を感じないのは、「するづら」であれば「するのだ」で「する」を強調する意味合いとなるから違和感が湧かないのであろう。
先に挙げた「参加だろ」・「参加だよ」という解釈以外にもこういう解釈が成り立つから「参加づら」は「参加のだ」と聞こえるということでもあってざらつくんだろうかな。
「食す」でいえば「食すづら」というべきところを「食づら」と言ってるようなもんか。
話し戻して、ニュアンスとして「(喜んで・勿論)参加しま~す」と発したい場合は自分だったら
「参加するにい」・「参加するよを」とかになるかな。「する」じゃなくて「だ」で「参加だにい」・「参加だよを」とかもいいけど「参加だづら」という言い方は無いのでここでは省く。
いづれにしてもここでの「参加」を強調する使い方の「づら」の場合とするには「する」を省くことは遠州弁はしないというか省くと違和感を覚えるということは言えそうだ。