遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「私たち」を「うちら」と発す。遠州でもそう発す。
関西と似て非ざる点はそのイントネーション。
関西は「う」を強く言う頭高であるが遠州は平坦もしくは「ち」を強く言うものである。
「うちらんとこ」だと平坦。
「うちら知らんでねえ。」とかだと「ち」を強く言う。
遠州弁は何事も頭高のイントネーションとなるということではない一例でもある。
使いどころとしては「あちら」に対しての「うちら」という意味使いをすることもある。
「あちらんとこはそうかもしれんがうちらんとこはそういう風じゃないだでねえ。」
これをより遠州弁っぽくすると
「あちらんとかぁそうだかもしれんだあ、うちらんとかあそんな風じゃないだでねえ。」
根拠はないのであくまで勘繰りだが、「内々の話し」とか「身内」とかいう意味の「うち」に複数を表わす「ら」を付けたものと邪推できる。「うちら」の効能としては「わたしら」と言うよりもより仲間意識を感じさせるものである。
ちなみに遠州弁では自分のことは「わし」であって「うち」とは言わない。使うのは「うちら」のみである。「うち」と発したら遠州弁では「家」を意味するものであり
「うちは大丈夫。」と発すると「家は大丈夫。」と解釈するものである。