遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
ただいまコメントを受けつけておりません。
「ほったらかし」と訳せる。まあ「うっちゃらかし」を共通語の範囲としてる辞書?も見かけるので遠州弁と言うには微妙なところであるが。
使い方としては
「この庭、はあ何年もうっちゃらかしにしてあるで草ぼ~ぼ~だにい。」
とかいう使い方。
「ほったらかし」が名詞なら「うっちゃらかし」も名詞ということになるんか?
でも「うっちゃらかす」という言い方もあるんでなんともかな。
「うっちゃらかした」だと他動詞五段活用?になりそうで名詞として使うのであれば「うっちゃらかしにした」と言う必要があろうか。
「うっちゃる」(うっちゃらかす)については「捨てる」・「放棄する」・「放置する」・「投げる」などといった意味使いがあるが
「うっちゃらかし」となると「放置してる」という意味使いのみとなる。まあ「手を付けない」・「やりっぱなしでそのまま」という場合もあるがそれは「放置」の部類に入るだろうから。
例えば、子供が帰って来たと思ったらランドセル玄関に置いてすぐに遊びに行こうとしてる状況で
「うっちゃらかしにしんでちゃんと片さんとかんじゃん。」
と言ったとしたら、「うっちゃらかし」であるのでそんなとこに置きっぱなしにするんじゃない(片付けなさい)と言っている。これが
「うっちゃっちゃ駄目じゃん。ちゃんと片しなさい。」
となれば、この場合では「うっちゃらかしては駄目でしょう」ということなので放り投げては駄目だと言っている。つまりものを大事にしなさいと言っている。
では「うっちゃらかす」だとどうなるかというと。
「うっちゃらかすたあ何事よう。」
「うっちゃる」で説明した意味使いすべてに対応できる。したがってこの後に続く言葉で「うっちゃらかす」の意味が変わる。
「ちゃんとしまいなさい」が付くなら「放置するな」で「放置する(使わない)ならちゃんと仕舞いなさい」。
「壊れても知らんにい」なら「投げつける」となり「投げつけて壊れても知らないからね」ということになる。つまり物を大切に扱えと。
「そんなら捨てちゃうにい」だと「捨てる」か「放棄」といった具合で「放棄するんなら(いらないなら)捨てちゃうよ」ということになる。「使わない=ゴミ(不用品)だから捨てるよ」という理屈。つまり怒ってるんだぞと。
これを「うっちゃらかし」に置き換えてみると
「うっちゃらかしにするたあ何事よう。」
となると「そのままにする(手を付けない)とは何事だ。」と言ってる。したがって「ちゃんとしまいなさい」は「放置するな」となって「使わないなら仕舞え」と言っている。(うっちゃらかすのと同じ)。
「壊れても知らんにい」と続くと投げて壊れるとかじゃなく使わなくなることによって劣化しちゃうとかいう壊れる理由が変わってくる。
「そんなら捨てちゃうにい」と言うよりも、言うとしたら「うっちゃらかしにするたあ何事よう。そんなこんなら捨てちゃうにい。」とかになろうか。「使わない=ゴミ(不用品)だから捨てるよ」というのではなく「放置する=良くないことだから罰として捨てるぞ」と脅かしてる勢い。
共通語においての標準は「ほったらかし」であろうか。
その亜流というか変化したのが「うっちゃらかし」であり「ほっぽらかし」であろうかと踏んでいる。(あってるかどうか知らないが)
どれも共通語の範疇で本来同じなのであろうが、この3つを並べてみると遠州人の感覚からした場合
「ほったらかし」=「ほっぽらかし」であるが
「うっちゃらかし」=「ほっぽらかし」とは必ずしもならない。
その理由ひとつめ
「ほっぽらかし」の場合ほったらかしにしてる人間の真意が掴めていない勢いであり
「うっちゃらかし」の場合明らかに「あ、こいつほったらかしにしたな」と対象者の意図を読み取ったという勢いを持つ。
なので
「ほっぽらかしにして出て行った」だとすぐ戻ってくるほんの一時的な状態かもしれないという不確定なものであり
「うっちゃらかしにして出て行った」では例えば「あの野郎放り投げて外に遊びに行ったな」といった風に確信めいた勢いを有する際に発せられる。
まあ、あくまで傾向であって決まり事ではない。
その理由ふたつめ
勢いの違い。
「ほっぽる」だと「放る」だが「うっちゃる」だと「投げる」。
「ほっぽらかす」で「放り投げる」、「うっちゃらかす」で「投げつける」。
といった勢いの違いがあり、その勢いの違いは「ほっぽらかし」と「「うっちゃらかし」にもあろうかと思われる。「あいつ今いないけど逃げたのか?」というのと「あいつ逃げやがった」という違いと同じようなものか。って分かりにくい例えだな。
その理由みっつめ
間の長さの違い。
ひとつめと被るが、必ずしもこうなるというものではないが「ほっぽらかし」は短い間・そう長くない間で「うっちゃらかし」はそれよりも長めの間という勢いがつく。
「ほっぽらかし」には放棄というより一旦離脱という勢いで戻ってくるのではと思ってる感覚があり「うっちゃらかし」には放棄・離脱という勢いが強く戻ってこないだろうというイメージがある。