遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「覚わさらん」・「憶わさらん」意味は憶(覚)えきれない・おぼえられない。
「さ」が省略されて「おぼわらん」という言い方もある。ニュアンス的には「おぼえれない」で「おぼえきれない」といったイメージが薄くなる。
古典的(滅茶苦茶ですけど)だと「おぼえようと決意する」(おぼわさらむと欲す)みたいな感じになるのであろうが遠州弁ではその逆で「おぼえられんわ」という感じになる。
打ち消し表現ではない「おぼわんさった」だと「お覚えになられた」みたいな丁寧な感じに聞こえる。もっとくそ丁寧にするなら「おぼわらんさった」。より強固に丁寧(省略なし)で言うならば「おぼわらされなさった」とかであろうかまあ普段こんな言い方することはないが。
「おぼえる」は「おぼわる」
「おぼえす」・「おぼわす」は「おぼえようと」
ややこしいのだが「おぼわん」だと「おぼえない」という意味になり「おぼわんさる」だと「おぼえなさる」と名古屋っぽくなる。なのでこれは名古屋系の表現なんだろうかなと。
例文
「試験どうだった?でけた?」
「だめでえ、ヤマかけただけどおぼわさらんかったもんで意味んなかった。」
「ヤマはあたっただ?」
「おお。」
「じゃアホじゃん。」
「そんなことあらすけえ。ここ出るって分かったったなあ凄いらあ?」
「予想当たったって馬券買わにゃぁ当たったたあいわんの。それと一緒だっつうの。」
「そんなこといわすとお。いっこぐらいいいこんみつけんとやってられんて。こおいうのポジティブっつうだに。」
「なにこいてるだ。結果が全てだらあ。そおゆうの能天気っつうだあ。」
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鈍感力という言葉に魅かれるがなんでもかんでも鈍けりゃ良い訳ではなかろうて。今回は簡単なので共通語約は省いてみました。遠州弁のテンポ感をお楽しみください。ポイントは「たった」というところ。
お漬物の事。お茶請けに食べることもあるが、これが静岡県独特かは不明。そして「おこうこ」という言い方も静岡県だけかも不明。
「香の物」が変じたものなのかな?
他には「おしんこ」という言い方もある。
あってるかどうかは不明だが、「おこうこ」というとそのイメージはたくあんを想像する。白菜とかだとシンプルに「お漬物」と呼んでたような。家だけか?
死ぬということ。死んだは「おっちんだ」。全国的な言葉なので遠州弁ということではないのだが、一応記載。
あくまでイメージではあるが、天寿を全うしたというよりも、やりかけ・途中・志半ばでというようなニュアンスに聞こえる。そう思うのは私だけだろうか。
幾分くだけた言い方なので、真面目な場所で言うような言葉ではないのは確かである。
例文
「うちのおやじ早くにおっちんだもんで、財産なんかありゃあせん。」
死にそうをおっちにそうとは言わないので、本当に息を引き取る場合にのみ使う言葉のような感じがする。
「弾に当たったらおっちぬってわかってるらなあ。」
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醤油のこと。
非常に古い遠州弁で、明治生まれの頃の人が使っていたらしい。
初めて聞いたときなんとなく意味は判ったのでどこかでまだ生きているのかもしれないが、今は醤油は普通に「醤油」と言う。
たまり醤油が普通に使われていたからかなと想像できなくも無いがもちろん定かではない。
例文は昔の言葉ということであえて「づら」を使用。
例文
「あんもうはあんころとか黄な粉よりかおたまりで焼いて海苔で巻いたのが一番好きづら。」
(お餅はあんことか黄な粉よりも醤油焼きで海苔巻いたのが一番好きだよ。)
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奢る(おごる)の訛ったもの。(そう聞こえるだけの話しかもしれない)
特に特別な意味合いの違いは無い。おもり・おもる・おもれ・おもろ・おもらす。まあ大体全部「ご」が「も」になる。子供の「お守り」とはイントネーションが違うので間違うことは普通無い。
例文
「先輩たまにゃあおもってやあ。」
(先輩たまには奢って下さいよ。)
「やなこったい。なんでおもらにゃかんよー。もったない。」
(いやなこったい。なんでむざむざ奢らなきゃいけないんだ?)
「そんなねえ損得でものゆっちゃかん。可愛い後輩じゃんか。」
(そんな損得勘定だけで判断しないで、可愛い後輩じゃないですかあ。)
「どこん可愛いだあ?いつだってたかってばっかでえ。」
(どこが可愛いだって?いつもたかるばかりの癖して。)
「たかるほどおもってもらったことないじゃんよ。」
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