遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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例文
「閉まりゃせん。」
(閉まらねえ。)
「あんた無理くりはめすと壊れるにい。」
(あのねえ無理にはめようとすると壊れちゃうよ。)
この場合「無理やり」を「無理くり」と言ってるわけで
なら単純に「や」が「く」になってるということかというとそうとも言いきれない。
例文
「ばかかいいや。」
(すごい痒い。)
「あんたかいいからってかじくっちゃかんにい。」
(駄目だよ、痒いからってかいちゃあ。)
この場合「かじっちゃ」を「かじくっちゃ」と言ってるわけで
なら単純に「く」が追加されてるということになる。
「や」が「く」に変わってると考えるよりも「く」もしくは「くり」が加えられてると考える方がすっきりする。
では「くり」なのか「く」なのかどっちなんだろ。
「くり」だとしたら
「へそくり」・「やりくり」・「むりくり」
とかいう「努力・工夫」というか「なんとかして・強引に」というニュアンスが「くり」には感じられる。漢字にすると
「臍繰り」・「遣り繰り」・「無理繰り」
と書くから「くり」の「く」には「繰」という字がはまるんだろうかな。
辞書等で調べる限り「繰り」に「なんとか・どうにかこうにか」といった意味合いがあるとは書かれていない。
しかし「繰り」を使うと意思を感じる訳で自然の流れでは決してそうならない故意が含まれる気がする。遠州弁では「繰り」を多用する傾向にあると思えるのだが気のせいか。
「繰り返す」とかの反復という意の「繰り」ではなく意図的(もしくは強引)なものを感じさせる言葉を羅列してみる。
「ほじくる」・「かじくる」・「いじくる」・「ちみくる」・「はしくりまわる」・「つれくりまわす」・「やぶくる」・「こねくる」・「せせくる」
いずれも「くり」の後に「ほじくりかえす」のように「かえす」か「まくる・まわす」が付く事が多い。「倒す」も付く事がある。
「く」だとしたら
辞書にはないが古語辞典には
「く」接尾 活用語について、その語を名詞化する ・・・・することの意を表す
という記載の部分があった。
名詞化するってのはなんじゃらであるけど、都合のいいとこだけ抜粋すると「することの意を表す」という部分はそうかもなと思えなくも無い。
ま無茶だろうなやはり。
「くたくた」は疲れた様を表わしているものであり
「くたんくたん」はくたびれた様を表わしている。もしくはしおれた様。
ただししおれるというと花などがイメージされるのだが植物のみに使われるのではない。あくまでその物の見た目が貧弱に映るというものである。
例えば道具を長い間使っていてくたびれた状態であることを「はあくたんくたんになってる」(もう随分とくたびれてる)と言う。
「くたびれた背広」なら「くたんくたんな背広」
身も蓋もない事を言ってしまえば「くたくた」に「ん」が付いて「くたんくたん」となったといえるのかもしれない。意味的にはそうであろう。
ただ遠州弁において「くたくた」と「くたんくたん」とでは受けるニュアンスが違う。
「くたんくたん」には長い時間の末にというような勢いの劣化を表わすものであり他の言葉に言い換えるなら「年季の入った」といった趣がある。
「くたくた」は使用が激しいという勢いで消耗を表わすものである。
従って激務の果てのつぶやきで
「はあどえらいくたくたやあ」と発すれば疲労困憊を訴えているものであり
「はあどえらいくたんくたんやあ」と発すれば疲労蓄積を訴えているものである。
なので「くたくた」になってる人に「ちっと休みない」というのは労わりの効果があるが「くたんくたん」になってる人に「ちっと休みない」といっても労わりという効果はほとんどない。
例文
「久しぶりに釣りでも行かすかな。どうよ、行かん?」
「行くはいいけど、道具長い事仕舞いっ放しだら。はあくたんくたんになっちゃいんけえ。」
「みばあくたんくたんでもいいやつ買っただでそんなやごかないらあ。使うに問題ない筈だでいいらあ。」
(見てくれはくたびれててもお高い品買ったんだからそんな簡単に駄目になったりなんかしないだろう。使うには問題ない筈だから大丈夫だよ。)
「ま、どっちみち大物なんか釣れんで大丈夫だろうけど。」
「ゆってくれるじゃん。」
例文音声はこちら