遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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「なにせすだあ」だと「なにをするんだ」と訳せる。
「どうせすよを」だと「どうするつもり?」と訳せる。
つまる「せす」は「する」という事になる訳であるが。「せる」という言い方も存在している訳で共通語の「する」だと「せる」の方が近い。
A・「せ」が使役の助動詞「す」の未然形であり
「す」も使役の意を表す助動詞であるとするならば使役の連呼ということになる。
別の妄想として
B・「せ」が尊敬の意を表す助動詞未然形であり
「す」が「為」(他動詞)ある動作を行う・するという意味使いであるのなら本来の訳は「なされる」・「しなさる」という訳の方が適切に思えてくる。
実際使ってる感覚からするとBの尊敬の要素というのはまずない。むしろ上から目線である。Aの使役の連呼というのも「なにすんだ?」で「させる」という事ではない。
「あいつにやらせす」(あいつにやらせる)というのであればAで異論はないところだが
「なにせすだあ」にはあてはまらない。
尊敬の「せ」は「いらっしゃいませ」くらいしか思いつかないや。
つまり「なにせすだあ」の「せす」はAもBも当てはまらないもではないか。
「す」は使役というよりもおそらく動作を行うという意に「為」であろうからして、問題は「せ」なのだが使役でも尊敬でもない。今のところ言えることは「分からん」。
ただニュアンスとしては単純に「する」ということではなく「しでかす」みたいな勢いが「せす」には感じられることだけは確かな印象である。
「し」とせ」
「なにをするんだ」を遠州弁に変換すると「なにせすだあ」・「なにせるだあ」になる。女性言葉なら「だあ」を「よを」に変えればよい。
「しない」を遠州弁に変換すると「しん」と「せん」・「せない」。「しよう」を変換すると「しまい」と「せまい」・「せるか」。
このように「し」と「せ」が混合で共存する地域ともいえる。「へ」も使うなあそういえば。なんでもありということか。
「す」については「し」と「せ」いづれにも変わるのだが「する」という表現の場合には「せす・せる」はあるが「しす・しる」は聞いたことがない。