遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
「教えたらあ」で「教えてやるわ」・「教えてあげる」。
「教えたげる」も「教えてあげる」。でもこっちの方が「たらあ」よりも横柄では無い印象を与える。
「教えちゃる」・「教えたる」で「教えてやる」。
といったパターンがある訳であるが、その中の「たらあ」。江戸っ子風味の「してやらあ」(してやらあ・ってやらあ)というニュアンスとほぼ近い。遠州弁と言う程でもない広い地域で使われる言い回しであろうが、遠州でも使うよという事で記載。
「喰ったらあ」で説明(分解)すると「喰って」+「あげて」+「やらあ」(やるわ)の「てやらあ」が変化して「たらあ」となったものと邪推するものである。「たろう」という邪推も成り立つか。
「だら」(だろ)・「だらあ」(だろう)に連なる「らあ」(ろう)という解釈で「てやらあ」=「てやろう」という説明も出来そう。
「よ~しみてろよ、やったらあ」といった「やってやるぞ」といった決意表明のようなものではない。
「あ~いいよ、やったらあ」といった軽い感じのものである。とともにあくまで「やってあげる」である。
話しが飛ぶが「やったらあ?」となるとその意は「やっただろ?忘れたのかよおい」といったものになる。こちらは「たらあ」ではなく「た」+「らあ?」の組み合わせというもので微妙に別物である。
しかして書き文字として例えば「わし教えたらあ」だと「俺が教えてあげる」とも「俺が教えたろうに」ともどっちもとも取れてしまう。耳で聞くに於いてはイントネーションが違うので聞き違えることはない。「教えてあげる」なら「おしえたらあ」を平坦に発し、「教えただろう」なら「おしえた」の「た」と「らあ」の「ら」を強く言う。「らあ」の「あ」を強く言うと文章の意味は「教えたのになんで忘れてんだよ」といったものになる。
まとめると「たらあ」は「したらあ」を例にすると
「してやろう」・「しだだろう」・「しただろうに」・「したじゃないか」
といった意味使いがあり、それらはイントネーションがそれぞれ異なるものである。