遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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個人的な勝手な憶測であるが、「頓着しない」(無頓着)が「とんちゃくはない」→「とんちゃくぁない」→「どんじゃかない」へと変形したのではないかと想像している。「とんじゃくない」と言う方も存在するのはそのためか。したがって正しく?書くと「とんぢゃかない」であるべきかもしれない。
気にしない・構わないという意味である。「おら知らね」との違いで比較すると自分の子供がはしゃいで家に帰ろうとしない時など、
「もお置いてくにい。迷子んなったって、しらんでねえ。」
訳・「もう先に帰るよ。迷子になっても知らないからね。」
「もお置いてくにい。迷子んなったって、とんじゃかないでねえ。」
訳・「もう先に帰るよ。あんたが迷子になって困っても私は気にせず帰るからね。」
「しらん」だと責任を負えない・放棄する的な意味合いで、「とんじゃかない」は~があろうとも~をするというような、意思を宣言する様な使い方になる。但しこんな親は普通いないのでこういう場面での使い方は滅多にない。
ミスにへこんでくよくよしてたり、何かに躊躇してる人に対して励ます時に、
「それっぱかのこん、とんじゃかないに。」
訳・「それぐらいのことで、くよくよする(気にする)事はない。」
しかしながら他人に対して非難する意味で使うことはほとんどなく。
「あいつはとんじゃかない奴だ。」
訳・「あいつは無神経な奴だ。」
といった風には、使わない。もちろんやってやれないことはないので
「あいつぁとんじゃかしん奴だでかまわすけえ」
とかいう文を作って作れないことはないのだが普段はこういう言い方はしないような気がする。
どちらかというと自分の心境を告げる時に使うことが多く
「それっぱかのこん、わし、とんじゃかないでねえ。」
訳・「それぐらいの事で自分はめげない(気にしない・構わない)からね。」
相手への思い遣り的な「いえいえお気遣い無く。」のような使い方の場合は
「それっぱかのこん、わしに気い使わんでよホントに。」
とかで「とんじゃかない」は使わないのでやはり基本は自分用の表現だと思う。
なので謙遜(?)・遠慮的な使い方ではなく、自分の事で使う場合、くよくよしないとかの過去の現象に対して使うことよりも、、現在進行形の事柄への、障害や些細な事を無視又は放置してでも目的を達成するぞと宣言するような使い方が一般的であろう。同じ使い方の言葉で「かまわすけえ」というものもある。
「とんじゃかない」の反対語が「とんじゃかある」っつうかというと、そんだだもんはない。
「とんじゃかない」と「とんじゃくない」。
どちらもよく使われるもので実際使われるにおいては同じ意味合いで使われてるものである。が、
「とんじゃかない」は「頓着はしない」もしくは「頓着はない」
「とんじゃくない」は「頓着ない」
の変と想像するところである。
頓着とは辞書などによると
貪着の変化したもので、気にすること・気にかけること・懸念・心配といった意味。とある。
読み方としては貪着で「とんじゃく」となるそうでそれが「とんぢゃく」で「とんちゃく」へと変化してきたようである。
従って遠州弁で「とんじゃく」もしくは「とんじゃか」は「とんちゃく」が訛った(変じた)ものではなく元々の読み方がそのまま残っているということになりそうだ。
以前書いた記事ではとんちゃくが訛ってとんじゃくとなったのではなかろうかと書いたが逆であったようで、訂正した方がいいのかもしれない。(なのでホームページの方は早速に直した。)
ちなみにこの「とんじゃく」いつ頃生まれた言葉なのかは調べ方が下手糞なので分からなかった。が、古語辞典には載っていなかったので古語というレベルのものではない風に思えるところ。
で、最初に戻って「とんじゃかない」と「とんじゃくない」を考えてみると
「とんじゃくない」(頓着無い)ってことは、気にかけることが無い・心配ないということである意味頓着してる人からしてみれば「こいつ無神経」と思われかねないということになる。つまり共通語の「無頓着」(むとんちゃく)と同じ意味使いのものということ。
「とんじゃかない」(頓着はない)ということであれば。気にすることは無い・心配は無いということで、懸念事は無いと判断したという勢いに聞こえるものである。ただしこのニュアンスだと「とんじゃかない人」と言った場合どういう人なんだということになる。説明できない(言い表せない)。なので「頓着はない」と訳すのは無しなのかもしれない。
「とんじゃかない」(頓着はしない)ということであれば、気にするはしない・心配しないと言ってることになり、気に掛ける事・心配事はあるけれど考えないようにしようという意識だということになる。
まあ、あくまで言葉尻を捉えた言い掛かり的な違いであるが、大袈裟にいうと人物的には「とんじゃくない人」は無神経な人で「とんじゃかない人」は器が大きい人といった受け取られ方の違いがでてくるのかもしれない。
しかしながら最初に述べたとおり実際にはどちらも同じ意味使い(気にしない等)で使われてるもので使い分けとかはされていないものである。ちなみにわたしらんとこは普通「とんじゃかない」を使い「とんじゃくない」は殆ど耳にしないものである。屁理屈的には「とんじゃくしん」という言い方であればすっきりするとこではある哉。
「あいつぁ細かい事とんじゃかない奴だで大丈夫だよ。」
「あいつぁ細かい事とんじゃくしん奴だで大丈夫だよ。」
とかならざらつくことはない。
「あいつぁ細かい事とんじゃくない奴だで大丈夫だよ。」
だと間違いではないのだろうがなんか変と感じるものである。
「とんじゃかない」→「とんじゃくない」→「頓着無い」と想像され
共通語では「無頓着」ということになろうか。
「無頓着」との違いは「無頓着」が主に他人が評価・判断してというものであるのに対して「とんじゃかない」は自ら宣言するものであるのが主という点が違うところである。
もちろんどちらも他人の事を自分のことを発したりするもので、他人のことを指す専用・自分のことを指す専用というものではない。
なお、字体の問題もあってブログだと「ち」と「ぢ」が一緒に見えかねないので、はっきりするためにも「じ」を今後も使うつもり。心はあくまで「とんぢゃかない」であるが。