遠州弁を集めています 主に昭和の遠州弁で今は死語となってるものもかなりあります
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遠州弁関連
「だら」と「ら」について変だなと思えた事をば
どこで見聞きしたのか記憶が無いのだが、「同じ遠州弁でも駿河寄りは「ら」で三河寄りは「だら」を使う傾向がある。」といった旨の文章を見た事がある。
正直「ホントかよ。ふんだだこたねえらあ。」とその時思ったが、そうじゃないだろうという御託並べる知恵もなかったのでほかっといた。
それに自分は浜松で三河寄りの地域に属する種族なので駿河寄りの遠州弁というのとはあまり縁が無い。駿河よりではホントにそういう使い方をしているのか分からないところがある。
でも、遠州弁ネタもそうそう無いのでちっと考えてみすかと思いたつ。あくまで三河寄りの遠州人から見ての事であるのであしからず。
とりあえず言える事は、「ら」と「だら」は共に使わなければ文章として成立しない。つまり「だら」を「ら」に変えると意味が通らない。逆もまたしかり。
「明日はいい天気だら。」(明日はいい天気だろ。)
これを「明日はいい天気ら。」(明日はいい天気ろ。)とは言わないのである。
「見てくら。」(見ていくだろう。)
これを「見てくだら」とすると「見ていくんじゃないの?」となって「ら」の場合は確信の度合いが強く「だら」では予想という程度とニュアンスが違ってくる。
「だら」は「だろ」、「ら」は「ろ」と訳すのが大抵はまるものであり、共通語と違うのは、「見てくろ。」もしくは「見てくろう」で「見ていくだろう」という使い方をするもので「ろ」だけで使われる事が遠州弁では有り得るという点がある。(まあ遠州弁に限ったことではないだろうが)
そういう意味では「だら」・「ら」「だろ」・「ろ」という種類を使い分けしてると考えた方がしっくりくる。
「そうせるら」も「そうせるろ」も「そうするだろ」と言っている。
「そうせるだら」と「そうするだろ」も「そうするんだろ」でニュアンスは一緒である。(「だろ」を使うと前が「せる」では変と感じる)
「あいつだったらそうせるら。」(あいつならそうするだろ。)
「あいつだったらそうせるだら。」(あいつだったらそうするんじゃないの?)
とまあこんな風に考えられるのであるが、「だら」=「ら」には至らない。私の頭が至らないということもあろうが、「だら」ばかりを使うとか「ら」だけを使うという事は無理だろうという気がする。
駿河よりの遠州弁がどういうものなのか、浜松では「だら」を使うところを駿河よりでは「だら」は使わないという例文をどなたか挙げていただければ較べる事ができるのだろうが。
とにかく、三河寄りの遠州弁使いからすると地域によって「だら」と「ら」の頻度が違うというのはちょっとなあという思いに達する。「だら」と発すところを「だろ」としているというのなら納得で、三河寄りは「だら」・「ら」が主に使われ駿河寄りでは「だろ」・「ら」が主に使われるということなんだろうかな。